三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「死刑囚表現展」のアンケートと平野啓一郎『死刑について』(13)

2024年04月01日 | 死刑
⑮ 死刑と裁判員裁判
裁判員裁判が行われるようになってから厳罰化しているそうです。
裁判員が被害者に同情し、応報感情や正義感情を持つからではないかと言われています。

しかし、被害者が処罰感情を持っているとしても、裁判員が被害者感情に同調して判決を決めるべきではありません。
自分の子供が殺されたらと考えることと、殺人事件の裁判員になることは違います。
裁判員にとってそれは難しいことだそうです。

宮下洋一『死刑のある国で生きる』で、精神鑑定医である村松太郎慶応大学医学部准教授が裁判員裁判について語っています。
精神障害の症状が影響した複雑な事件の判断を、裁判員に委ねるには無理があります。無理を通すために事件が単純化されている。法廷に出てくる前に、複雑な部分が削ぎ落とされてしまう。裁判員裁判が素人判断だからよくないのではなく、裁判員に提出されるデータが限られることが深刻な問題です。限られたデータによって事件が単純化された時点で、もはや真実は分からなくなっていると思います。
鑑定が増えている大きな理由のひとつとしては、裁判員には判断が難しい責任能力のことは、公判前に済ませたいという裁判所の狙いが見え隠れしています。
村松太郎さんは「裁判員裁判にはまったく反対」と明言し、「廃止すべきか、適用を見直すべき」と明言しています。

残酷な殺し方をするのは脳の機能のひとつ。
前頭葉が脳腫瘍、または、血管障害や外傷などで損傷を受けた人は、後天性サイコパスになり得る。
前頭側頭型認知症などの認知症の変性疾患もそのひとつとされ、倫理機能の低下をもたらすことがある。
そういった症状があって犯罪を犯した時、それが本人の責任だとどこまで言えるのか。突き詰めると、先天的にそういう脳を持って生まれた人の責任をどう考えるのかという話になりますが、追及していくと誰の責任でもなくなるのです。
自分は絶対にそんなことをしないと思っていても、脳の損傷などでそんなことをすることがあるかもしれないわけです。

重大事件を起こした人が精神疾患患者だったとしても、極刑が避けられないと思うことがあるかという質問に、このように答えています。
精神鑑定の作業を進めて被告人の病気がよく分かるようになるにつれ、病気がなければこの人は絶対こんなことはやらなかったはずで、それなのに死刑にしていいのか、と思うこともあります。しかしそうすると、次の瞬間に、病気じゃない人は死刑にしていのかという問いが出てきて、私はこれに応えられない状態です。

心神喪失(精神の障害によって自己の行為の善悪を判断できないか、判断したように行動する能力がない者)は無罪とされます。
あるいは、アルコールや薬物の依存症者が事件を起こし、事件のことを覚えていないと主張することがあります。
そうした場合、情状酌量すべきかどうか判断を裁判員はできないと思います。

⑯ 暴力と話しあい
世界各地で争いが絶えません。
スーダン内戦は1983年から。
ソマリア内戦は1988年から。
シリア内戦は2011年から。
イエメン内戦は2015年から。
ミャンマーのクーデターは2021年。
ロシアのウクライナ侵攻は2022年。
イスラエルのガザ攻撃は2023年。

毎田周一「暴力は言葉の放棄だ」という言葉があります。
紛争が起きたら、暴力(武力)ではなく言葉(外交)で問題解決を図るべきです。
しかし、現実は力の強い者の勝ちという状況です。

平野啓一郎『死刑について』にこうあります。
本来、人間の社会の中では、自分の意思を実現させたい時、相手と話し合いをしなければなりません。自分がこうしたいと思っても、そうしたくないと思う人もいる。その時には、相手の意見を聞いて、相手を説得したり、あるいは、自分が譲歩したりという様々なプロセスを経て、たとえ少しであっても、自分の意思が実現できる方向に動いていくわけです。民主主義的な社会の最も基本的な仕組みとも言えます。
ところが、暴力というのは、そうした複雑なプロセスを経ることのない、非常に単純な方法です。相手を力でねじ伏せて自分の言うことを通してしまう。非常に単純であるが故に、無理の大きい方法です。到底受け入れられないと感じている人を従わせるわけですから、これでは、正しいことも、通らなくなるし、そもそも何が正しいのかという議論も失われてしまいます。

犯罪を犯した人に対して、口で言ってもわからないなら、体に教え込むしかないというやり方は間違いです。
力で抑えつけることで犯罪が減り、犯罪者が更生するとは思えません。

入江杏さんはこのように言っています。
最後に私が到達したのは、殺人には殺人で、暴力には暴力で報いたなら、凶悪犯罪が引き起こした暴力の連鎖を断ちきることはできない、という想いだ。人間同士の許しあいは、犯罪の事実をうやむやにすることでも、正しい裁判を行わずに犯罪者を野放しにすることでもない。「ゆるし」とは一つの長い「あゆみ」だ。
https://www.crimeinfo.jp/wp-content/uploads/2018/09/07.pdf

人を殺さない、傷つけないという原則を守っていきたいです。
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