以前、エルンスト・ブロッホ『希望の原理』をパラパラととばし読みしたことがある。
読みにくい文章のうえに、やたらと分厚い本なので途中で投げ出した。
私の頭では理解できなかったが、好村富士彦『ブロッホの生涯』を読んで、こういうことかとわかった気になった。
エルンスト・ブロッホは「どんな理想的な条件のもとで達成された目標においても、必ず当初の目標の不一致が残る」(好村富士彦『ブロッホの生涯』)と問題提起している。
願望を実現しても理想の達成にはならず、必ず幻滅、失望、不足感を感じる。
つまり、「この人と結婚できなかったら死ぬ」と言っていたのに、結婚すると「こんな人とは思わなかった」というあれですね。
ブロッホが問題にしていることは、『論註』の「かの無碍光如来の名号、よく衆生の一切の無明を破す、よく衆生の一切の志願を満てたまう。称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかん」という問いと同じだと思う。
これは小説や映画によくあるパターンの話で、たとえば優勝を目指してがんばっていた高校生が優勝したとたんに、これから何をしていいかわからなくなってスランプに陥るとか、自分は何を望んでいたんだろうかと悩んだりする。
最近見た映画だと『武士道シックスティーン』がそれで、この話どこかで見たなと思ったのも、主人公の磯山の悩みがまさにこれだからである。
磯山は勝つことがすべてだったのに、じゃあ勝ってどうするのかと考えるようになって、剣道をやめようかと悩む。(映画はイマイチだったけど、小説はうふふとオジサン笑いをしながら読んでしまった)
曇鸞は「無明なお存して所願を満てざる」のはどうしてか、それは「実のごとく修行せざると、名義と相応せざるに由るがゆえなり」と答える。
私にはなんのこっちゃであるが、エルンスト・ブロッホの答えは明快である。
エルンスト・ブロッホによれば、理想を求めることは遠くに目をやることであり、足元を見ていない、だから目標が近づくにつれて、目標は自己の闇の中にはいってしまい、明瞭だったはずの願望がはっきりしなくなる。
そのために、願望そのものとそれが実現したはずの現実との間にズレを感じる。
「実現者自身のなかにまだ自己を実現していないなにかが残っているからである」
だから、磯山は勝っても何か物足りなさを感じるのである。
しかし、願望実現に伴う違和感は、自己満足や日常に堕すことを批判し、そこに安住させない、とエルンスト・ブロッホは言う。
このズレによる心の痛みがなければ、そこにとどまってしまい、しかもそれに気づかずにいる。
不足感は新たな希望に向けて推進させる力となる。
「どの願望充足にも希望という固有の一要素が実現されずに残る」
「希望は歴史の推進力」
「〈さらにこの上に〉は理想実現の矛先を弱めるどころか、かえって目標に向かって矛先をいっそう鋭くする」
このようにエルンスト・ブロッホは『希望の原理』で言っている。
ユートピアは今の私を自己満足に陥らせることなく未来に向けて促していく。
理想が実現することは常に未来であって現在ではない。
「われわれのなかに何かになりうる可能性がかくされている」
その何かが現れ出る未来を確信する者にとって、ユートピアはそこに安住してしまう場所ではなく、常に前へと進ませるはたらきである。
このようなエルンスト・ブロッホのユートピア観を高柳俊一『ユートピア学事始』では、「人間のなかにある未来への原動力としてのユートピア」、「人間がまだ訪れていない未来、つまりユートピアの実現へ決定づけられている。(略)人間はこうしたユートピアを自分のなかに含んでいる存在である」と説明されている。
ユートピアの英語訳はno where(どこでもない国)だが、この言葉はnow here(いまここに)とすることもできる。
ユートピアは今ここではない場所であるが、同時に今ここに内在しているのである。
ユートピアはいつか実現する理想社会ではなく、内面化されて理想へ向かわせるエネルギーなのである。
そのことはまた、私の思いとしてのユートピアが破られつづけていくことでもある。
トマス・モア『ユートピア』は「ユートピアの社会には、われわれの諸都市においてもそうあることを期待したいというよりも、正しくいうならば希望したいようなものがたくさんあるということである」という言葉で終わる。
エルンスト・ブロッホの、願望の実現の際に残されたものが批判のトゲとなって先へ駆り立てる推進力となるということを『論註』に置き換えてみると、いくら称名しても所願が満たされないということがトゲであり、未来への原動力が願生心かなと。
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なおこのコメントが不適切と判断されたら削除していただいてかまいません。
『論註』に「かの無碍光如来の名号よく衆生の一切の無明を破す、よく衆生の一切の志願を満てたまう、しかるに称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかんとならば、実のごとく修行せざると、名義と相応せざるに由るがゆえなり。いかんが不如実修行と名義不相応とする」とあります。