三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

葬式と墓 4

2010年10月20日 | 仏教
親鸞は「閉眼せば、賀茂河にいれて魚にあたうべし」、自分が死んだら賀茂川に流して魚のエサにしてくれと遺言したそうで、そのためか、真宗の盛んな土地には遺骨は本山に納骨し、墓は作らない地域がある。
因幡の源左さんの村では個人や家の墓はなく、寺に石碑があり、そこにみんな納骨するそうだ。
讃岐の庄松も、同行が「死んだら墓をたててつかわしましょうと相談がまとまったで、あとのことは心配するなよ」と伝えると、庄松は「おら、石の下にはおらぬぞ」と言ったという。
真宗では骨や墓にこだわらないのが本来で、墓に納骨しなければいけないわけではないと思う。
だけども、親鸞の遺族は遺言には従わず、墓を作り、それが本願寺になった。
遺言どおり遺体を川に捨てていたら、親鸞の教えが現代にまで伝わったかどうか疑問である。
少なくとも本願寺は存在せず、日本の歴史が変わっていたことは間違いない。

お父さんが急死した知人が「お墓というのはありがたいものですね」と言っていた。
月命日になると墓参りをしなくてはと思うし、しばらく参っていないと、花が枯れていないかと気にかかる。
墓という形をとおして亡くなったお父さんのことを思いだすわけで、墓がなければお父さんのことを忘れてしまうかもしれない。

読売新聞社全国世論調査2005年によると、「身の安全、商売繁盛、入学合格等祈願に行く」38.1%、「お守りやお札などを身につける」31.0%だが、「盆や彼岸などにお墓参りをする」79.1%と高い数字である。(徳留佳之『お墓に入りたくない人 入れない人のために』)
墓がある人のほとんどは定期的に墓参りをしていることになる。
お墓を大切にしたいという気持ちは今でも強いと思う。
そうは言っても墓に対する意識は変わっているようで、小谷みどり『変わるお葬式、消えるお墓』には、墓に対する新しい意識を三つあげている。

1,あの世の住まい
日当たりのよい墓のほうが人気があるし、墓の中は暗くてじめじめしているからイヤだという人がいるのも、墓が死後の住まいだから。
「墓が死後の住まいであれば、誰とどんな墓に住むかは重要なライフプランとなる」
夫婦で同じ墓に入りたい人、入りたくない人もいる。
「夫婦は同じお墓に入るべきである」という問いに、「そう思う」と答えた男性は42.2%、女性は29.4%。
死んでまでつき合いきれないというわけである。

2,生きた証を残したい
個性的な墓(墓の形や墓石に刻む文字など)を作る人が増えている。
樹木の根元に納骨する樹木葬もその一例だと思う。

3,子どもに迷惑をかけたくない
「自分たちのお墓の維持を子どもたちに頼りたくないと考える人たちがいる」
墓参りをする人が8割なのに、「先祖の墓を守り供養するの子孫の義務だ」という問いに、男性の49.6%が「そう思う」と回答し、女性は29.9%にすぎない。
自分は先祖の墓をきちんと守るが、子どもには期待していないと考える人が少なくないことになる。
子どもが転勤族、娘しかいない、離れた故郷に墓があるなどの場合、子どもに先祖伝来の墓を見てもらえないかもしれない。
また、「先祖の墓があると子どもに墓守やお寺とのつきあいで負担をかけるので、お墓を建てたくない」と考えている人が増えている。
自分は先祖供養は義務だと考えていても、子どもには望まないのである。

たしかに墓を新しく建てるとなるとお金がかかる。
ある墓苑に行くと料金表があって、永代使用料が250万円だった。
プラス墓石代だから、結構な出費である。
郊外の墓苑は最寄りのバス停からは距離があるところが多く、年を取って車の運転をやめると墓参りも一苦労になる。
そのためか、東京では民間霊園の売れゆきはあまりよくなくて、墓地が余っているそうだ。
「ここ10年以内に開設された民間霊園で、当初計画した造成区画が満杯になっているところは、ほとんどないだろう」とのことで、一つには「一等地でお墓を売り出す民間霊園や寺院墓地が増えている」ということも影響しているそうだ。
墓を建てない人が次第に増えているのかもしれない。
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