三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

アグネス・スメドレー『女一人大地を行く』

2012年10月05日 | 

高校、大学のころは角川文庫をせっせと読んでいた。
気になっていたけど読んでいない本を時々図書館で借りている。
アグネス・スメドレー『女一人大地を行く』もその一つ。
訳はなんと尾崎秀実
高杉一郎『大地の女』によると、ゾルゲに尾崎秀実を紹介したのはスメドレーで、尾崎秀実の処刑をスメドレーに伝えたのは石垣綾子なんだそうな。

スメドレーは1892年2月23日、貧しい農民の次女(5人兄弟)としてミズーリ州に生まれたジャーナリストである。
父は放浪癖がある飲んだくれで、母とはよく喧嘩をした。
10歳の時にコロラド州に移る。
9歳の頃から皿洗いや赤ん坊のお守りなど雑役労働をさせられ、中学校は卒業していない。
住んでいた家は埴生の宿である。

「埴生の宿」という歌があるが、埴生とは「土の上にむしろを敷いて寝るような粗末な小屋。また、赤土を塗ってつくった小屋」という意味だとは知らなかった。
ウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』は同じころのネブラスカ州の農民を描いた小説。
アントニーア一家はチェコスロバキアからの移民で、洞窟を掘って、穴の前に家を継ぎ足した家に住んでいる。
その家には床はないので、やはり埴生の宿である。
王兵『無言歌』で、右派とされて砂漠の農場(といっても緑なんてない)で労働改造させられる人たちは壕の中で暮らすのだが、埴生の宿とはそんな家のことらしい。



スメドレーが19歳のころ、弟から手紙が来る。
弟二人は農場で働いていたのだが、こき使われ、ムチで打たれていると書かれてあった。
女工哀史みたいである。
明治末から大正初のアメリカ中西部がこんな状態だったとは知らなかった。

尾崎秀実はあとがきで「アグネス・スメドレー女史の顔」について書いている。
「私はその時つくづく女史の顔を見た。彼女の顔はなるほど綺麗とはずいぶん縁の遠いものだった。しかし私はその後幾度か会ううちに女史の顔を美しいと思うことすらあった。とても無邪気な笑い顔だった。その頃初めて女史のこの小説のドイツ版が到着した。その表紙に女史の顔が、あの複雑な表情が大写しで出ているのには驚いた。私の行くドイツ人の本屋のおかみさんは、その絵をひどく気にしてこれは実物よりひどい、こんな写真を出しては気の毒だと同情していた。
こちらへ帰ってから、日本訳の口絵に入れるつもりだから写真を呉れないかといってやったら、女史の返事には、「私はまったく醜い、そのことは昔から気になっているんです。だから写真はなるべく撮らないようにしています。ドイツ版でこりごりしました」ということであった」
『大地の女』にスメドレーの写真が何枚かあるが、そんなブスでもないと思うのだが。



尾崎秀実訳に「寄せぎれ蒲団」(パッチワークか)、「美爪術師」(マニキュア師か)という言葉があった。
こういう言葉を探すのも読書の楽しみの一つ。

コメント (4)
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