三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

最近見た映画の感想

2012年10月01日 | 映画

ジャンルカ・マリア・タバレッリ『ジョルダーニ家の人々』
あれれ、イタリアと日本とは違うと思ったことをいくつか。
高校生の三男が授業で、教師からコサインとは何か聞かれて答えられない。
成績は優秀なはずだが。
そして、ガールフレンドの家に泊まることを両親に話し、両親は喜ぶ。
何をするかはもちろんみんな知っている。
トランプなどではない。
三男はその帰りに、運転する車が川に落ちて死ぬ。
母はガス自殺を図り、入院したいと言うのだが、次男は「あんなところに」と反対する。
川に落ちて壊れた車を処分せず、自宅のガレージに置いている。
長男の恋人(男性)が重態なり、救急車を呼ぶのだが、救急隊員(女性)に支えられて歩いて救急車に乗る。
父の浮気を責める次男は、大学の指導教官の妻といい仲になって妊娠させ、指導教官に知られる。
イタリア男はほんとにもう。
6時間39分はさすがに疲れた。

フィリップ・ル・ゲ『屋根裏部屋のマリアたち』
ラストのシーンで、近所の人がマリアに「娘の調子、どう?」と声をかける。
ああ、結婚したのか、苦い終わり方だなと思った。
でも、男と会ったマリアの笑顔で映画は終わるわけで、あの笑顔は何か。
ネットで調べたら、マリアが出ていく前日に二人はセックスをするのだが、その時にできた子供だろうと書いているブログがあった。
映画には一発妊娠の法則があり、ここでも法則が適用されたのかと納得。
ハッピーエンドのほうがいいですからね。

熊切和嘉『莫逆家族 バクギャクファミーリア』
元暴走族のおじさんの話で、高倉健や『許されざる者』のクリント・イーストウッドのように、カタギになって真面目にしていたのに、という物語かと思ったら違っていた。
友達の娘が強姦され、昔の仲間が集まって犯人をボコボコにする。
そこまではいいのだが、回想シーンになってやたらと登場人物が増え、しかし人間関係がさっぱり理解できず、殴り合いになる理由が不明で、彼らが何をしたいのかわからぬまま。
早く終わらないかと思いながら見ていた。

フレッド・ジンネマン『ジュリア』
以前、テレビで見た時には、汽車でパリからベルリンへ行く場面ではハラハラした。
だけど再見すると、手助けする人が何人もいるし、さほど危険なようにも思えない。
自伝が原作なので、実体験かと思っていたが、どうやらフィクションらしい。
他のところも嘘くさく思えてきた。

タチアナ・ド・ロネ『サラの鍵』
原作を読んだ。
映画では秘密の部屋で死んでいる弟の姿を見せないが、小説ではこのように描写されている。
「わずかな戸の隙間から、納戸の奥がちらっと見えた。膝を抱いてまるくなった、小さな人間の塊。そして、あの愛おしい、愛おしい、小さな顔。それはすっかり黒ずんで、目鼻立ちもくずれていた」
「私」の義父はこう話す。
「本当に痛ましい光景だった。波打つ金髪がまだ残っていた。膝を抱いた手に顔をのせて、体を丸めたまま硬直していたんだ。肌はぞっとするような緑色に変色していた」
サラがあんな死を選ぶのも、義父が60年間忘れることができないのもわかる。
ラストは映画を見て知っていても、やはり泣けました。

山本直樹『僕らはみんな生きている』
漫画版を読む。
映画は1993年公開。
あとがきで原作の一色伸幸は「山本直樹さんは一般的には女の描くのが見事だと評価されている」と書いているが、たしかにセーナはかわいい。
セーナとタルキスタンで暮らしてもいいという気になる。
戦闘の絵は上手とは言えないけど。



『ビリーバーズ』も読んだ。
オウム真理教を思わせる団体の信者3人の孤島での生活。
1人はこういう展開になるのも当然というかわいい女性で、島での生活も苦にならないのではと思った。
3人は内部でしか通用しない、外部の者にとっては意味が不明な言葉で話し合う。
その言葉を理解できない人たちは汚染されているというエリート意識がそこにはある。
連合赤軍事件の手記にもそういう言葉が散見し、カルトの特徴を伝えているように思う。
しかし、既成教団はもちろん、趣味のサークルやボランティア団体でも自分たちだけが理解できる言葉を使いがちで、初めて来た人はとまどうことになる。
専門用語は使わないようにしていても、一般の人には届いていないことに気づかない。
『僕らはみんな生きている』と『ビリーバーズ』のラストは夢で終わる。
二作ともなので安易な終わり方だと感じた。

コメント
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