高校、大学のころは角川文庫をせっせと読んでいた。
気になっていたけど読んでいない本を時々図書館で借りている。
アグネス・スメドレー『女一人大地を行く』もその一つ。
訳はなんと尾崎秀実。
高杉一郎『大地の女』によると、ゾルゲに尾崎秀実を紹介したのはスメドレーで、尾崎秀実の処刑をスメドレーに伝えたのは石垣綾子なんだそうな。
スメドレーは1892年2月23日、貧しい農民の次女(5人兄弟)としてミズーリ州に生まれたジャーナリストである。
父は放浪癖がある飲んだくれで、母とはよく喧嘩をした。
10歳の時にコロラド州に移る。
9歳の頃から皿洗いや赤ん坊のお守りなど雑役労働をさせられ、中学校は卒業していない。
住んでいた家は埴生の宿である。
「埴生の宿」という歌があるが、埴生とは「土の上にむしろを敷いて寝るような粗末な小屋。また、赤土を塗ってつくった小屋」という意味だとは知らなかった。
ウィラ・キャザー『マイ・アントニーア』は同じころのネブラスカ州の農民を描いた小説。
アントニーア一家はチェコスロバキアからの移民で、洞窟を掘って、穴の前に家を継ぎ足した家に住んでいる。
その家には床はないので、やはり埴生の宿である。
王兵『無言歌』で、右派とされて砂漠の農場(といっても緑なんてない)で労働改造させられる人たちは壕の中で暮らすのだが、埴生の宿とはそんな家のことらしい。
スメドレーが19歳のころ、弟から手紙が来る。
弟二人は農場で働いていたのだが、こき使われ、ムチで打たれていると書かれてあった。
女工哀史みたいである。
明治末から大正初のアメリカ中西部がこんな状態だったとは知らなかった。
尾崎秀実はあとがきで「アグネス・スメドレー女史の顔」について書いている。
「私はその時つくづく女史の顔を見た。彼女の顔はなるほど綺麗とはずいぶん縁の遠いものだった。しかし私はその後幾度か会ううちに女史の顔を美しいと思うことすらあった。とても無邪気な笑い顔だった。その頃初めて女史のこの小説のドイツ版が到着した。その表紙に女史の顔が、あの複雑な表情が大写しで出ているのには驚いた。私の行くドイツ人の本屋のおかみさんは、その絵をひどく気にしてこれは実物よりひどい、こんな写真を出しては気の毒だと同情していた。
こちらへ帰ってから、日本訳の口絵に入れるつもりだから写真を呉れないかといってやったら、女史の返事には、「私はまったく醜い、そのことは昔から気になっているんです。だから写真はなるべく撮らないようにしています。ドイツ版でこりごりしました」ということであった」
『大地の女』にスメドレーの写真が何枚かあるが、そんなブスでもないと思うのだが。
尾崎秀実訳に「寄せぎれ蒲団」(パッチワークか)、「美爪術師」(マニキュア師か)という言葉があった。
こういう言葉を探すのも読書の楽しみの一つ。
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うろおぼえですが。
話は飛びますが、石原さんの尖閣への関与から、今や、各方面に影響が出て、一昔のようには、簡単に収収拾がつきません。私のような、名もなき市民にも影響が出てまいり、まいっています。石原さんを選ぶのも、尖閣購入にお金を差し出すのも、言ってみれば、個人の問題ですが、事態は深刻です。特に東京や大阪のような大都会では、よく、考えて政治関係者を選んで欲しいものです。地域だけの問題では、決してないのですから。
イタリアに行って参りました。ローマも経済危機。緊縮財政。予算不足で、町は、ゴミが以前にも増してすごいです。ストも頻繁です。そんな中で、以外にナポリが、今回、綺麗になっていました。お話を伺うと、市長さんが代わったとか。ナポリのような各勢力拮抗しているところでも、市長のやり方次第で、町が変化するんですね。ナポリ市民は賢明だと思いました。
久しぶりにコメント致しましたが、次回も、また、お久しぶりになる予感です。時間が取れましたら、また、おじゃま致します。とにかく、雑用が増えました。
お元気で!!
中国の人に尖閣諸島をめぐる反日デモ(暴動)をどう思うか聞いたら、「バカだ」と言ってました。
「仕事のない人がやってるんだ」と。
中国にある日本の工場が閉鎖されたら仕事がなくなる、日中で共同開発したらいいとも。
もっとも、その人は日本に住んでいるからそう思うのかもしれませんが。