三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

クリント・イーストウッド『チェンジリング』

2009年03月28日 | 映画

『戦場のレクイエム』で気になったのが、国民党軍の兵士たちも国のため、正義のために命をかけて戦ったという点では、八路軍の兵士と同じだということである。
正義という旗印をかかげ、自分ばかりが正しいというようだと、どうもうさんくさく感じる。

「TOHOシネマズマガジン」にクリント・イーストウッド『チェンジリング』が紹介されていた。
1920年代に起きた誘拐事件をもとにした映画。
こんなことが実際にあったのかと唖然とする。

「TOHOシネマズマガジン」に、「子供誘拐事件にたった一人で戦った女性、クリスティンを、実生活でも6人の子供の母親であるアンジェリーナ・ジョリーが演じている」とある。
「たった一人で戦う」とはどこかで聞いた言葉だが、クリスティンは孤軍奮闘したわけではなく、牧師や弁護士が協力している。
牧師が動かなければクリスティンは精神病院から出ることはなかっただろう。

アンジェリーナ・ジョリーはこう言っている。
「その日の夜にブラッド(・ピット)に「すごい映画なの。正義に関する物語よ」って話していたら、クリスティンのことが頭から離れなくなってしまった。そして、私が彼女を演じることで、彼女が信じた正義を世間に伝えることができるかもしれないと思うようになっていたの。それが、自分にとっての正義じゃないかなって」
たしかにクリスティンの置かれた状況はひどいものだし、警察の腐敗は目に余る。
しかし、それでも正義の旗印は好きになれない。
自分は正義だと思い込むと、自分は絶対不可侵、無謬だという立場から行動してしまう。
アンジェリーナ・ジョリーがブッシュ前大統領を支持しているかどうか知らないが、アフガニスタンやイラク侵攻はブッシュ前大統領にとって正義である。

佐藤忠男『現代世界映画』に「ドン・シーゲル論」があり、クリント・イーストウッドが主演した『ダーティー・ハリー』についてこう書かれている。
「長年ハリウッドのB級アクション映画の中に流れていた保守反動の気質のすさまじい開花として、傑作は傑作であるが、恐るべき反動的な作品であると思えてならない」
「秩序を乱す奴らは片っ端から殺してしまえ、という、暴力的人間の権力意志のほうが、より強烈に表現されていると言わざるを得ない」
「ことさら、常識的な民主主義やヒューマニズムの原則の線で行動する人間を、どうしようもない俗物として描くところに、この映画の、民主主義やヒューマニズムに対する根深い悪意がある。この悪意は、民主主義やヒューマニズムではぜったいに悪には勝てない、という考え方と結びついている」

これはクリント・イーストウッドへの批判ではないが、これを読んで私はクリント・イーストウッドが嫌いになったのだから、我ながら単純な人間だと思う。
それはともかく、佐藤忠男は『ダーティー・ハリー』の悪役にベトコンを裏読みする。

「この『ダーティー・ハリー』のヒーローの考え方は、そのまま、ベトナム戦争におけるアメリカのタカ派の論理や心情に重なることは言うまでもない。ベトコンや北ベトナムは卑劣で悪智恵に富んでいる殺人者であり、どこかに身をかくしてはテロ活動をする。こんな連中はひねりつぶしてしまうべきなのだが、アメリカとしてはさまざまな国際的な制約があって積極的に行動できない。その制約のほうが間違っていると思うが、民主主義というタテマエもあって、その制約を簡単にどうこうするというわけにもゆかない」
佐藤忠男の言う「アメリカのタカ派の論理や心情」はまるで田母神論文そのまま。
今だったらベトコンはイスラム原理主義ということになるし、北朝鮮への嫌悪にもつながる。

というふうに考えると、『チェンジリング』の、クリスティンを精神病院に入れた警部は『ダーティー・ハリー』の悪役と重なってくる。
といっても、『チェンジリング』は抑圧されている人が正義を求める話である。
「常識的な民主主義やヒューマニズムの原則の線で行動」するのは牧師や弁護士であり、「こんな連中はひねりつぶしてしまうべき」だとして積極的に行動するのが警察である。
近年のイーストウッド作品は権威を否定し、痛めつけられている人の立場に立っていると思う。

「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク第11回死刑廃止セミナーの講師である、森達也氏は、そのセミナーにいた永岡弘行氏を紹介して、こう言っている。
永岡氏はオウムで出家した息子を取り戻すために立ちあがり、VXガスで殺されそうになったりして、オウムに対してすごい憎しみを持っていた。
しかし、「永岡さんは、オウムの幹部信者たちと面会を続けます。捕まった死刑囚の信者たちとも。多分、信者たちと会っているうちに、永岡さんのなかで何かが変わったと思いますね。そして、今、死刑廃止の集会に、こうして足を運んでいただいている。実は、死刑廃止運動も始めていらっしゃいますね。会うことで、人は変わります。会えば優しさが分かります。そんな悪魔のような人間は、絶対に存在していません」

善悪を単純に分けたほうが映画としてはわかりやすく面白いし、正義の立場に立って裁くのは気持ちいい。
その傾向はイーストウッド作品にも見受けられる。
だけど、赤穂浪士に喝采する危険性も自覚すべきだと思う。

コメント
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