三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

やられたらやりかえせ

2009年03月31日 | 日記

某氏に河合知義『似島はドイツ』という本をいただく。
ええっというような題名だが、広島の地名を手話ではどう表現するか、そのいわれを書いた本。
手話では「似島」と「ドイツ」は同じ表現をするそうだ。
というのが、第一次世界大戦中、ドイツ軍の捕虜が似島に収容され、それで「ドイツ」を表す手話(鉄かぶと)が「似島」にも使われるようになったのだという。

『似島はドイツ』に河合氏はこんなことを書いている。
車椅子を利用する中途失聴者の友人と買い物に行った時のこと。
バスセンターの本館と新館の間に階段があり、車椅子の人のために昇降機がつけてある。
ところが、昇降機には鍵がかかっており、「ご利用の方はインターホンでご連絡ください」と表示されている。
インターホンを押すと、何分かしてガードマンがやって来て施錠を解いてくれた。
耳が聞こえない友人一人だったらガードマンを呼ぶこともできない。
「やはり障害者は一人では外にでるなということなんだと思ってしまいます。
いたずらされるのを防ぐためかは知りませんがこんなことはよく経験します。車椅子用のトイレに施錠してあったり、とても使えないような場所に作ってあって、トイレが物置として使われていたり、点字ブロックの上に堂々と3ナンバーの乗用車が乗っていたり。
この町がもっともっと優しい町となるためには、もっともっと怒りをぶつけていかねば」

これを読んで、「やられたらやりかえせ」というのはこういうことかと思った。

『山谷-やられたらやりかえせ』というドキュメンタリー映画がある。
この映画は1985年に完成したもので、山谷や釜ヶ崎などの日雇い労働者の生活や闘争を描いている。
映画を作る過程で、監督が二人、暴力団に殺されている。

路上生活者を支援する会の方がこういうことを話された。
基本的人権、法の下での平等や労働権や居住権が保障されているはずなのに、それが保障されていなくて、路上で生活してたらみんなから軽蔑されたり、差別を受けたりする。
たとえば、駅の構内にホースで水をまいて寝れないようにしたり、公園のベンチで寝ていると近所の人が市役所に電話して、ベンチに手すりをつけて横になれないようにする。
路上生活者は石を投げられたり、暴行されたり、時には殺される人もいる。
ところが彼らはやりかえさない。
路上生活者も私たちと同じ一人の人間として生きている。
人間として生きる権利、人間らしく生きる権利がある。
軽蔑され、差別されることに対して、きちんと主張しないといけない。
しかし、彼らは自分で声をあげるということがなかなかできない。
だったら代わって声をあげて、野宿している人たちの人権を守ろうというので会ができた。

この話を聞いたとき、どうして「やられたらやりかえせ」なのかわからなかったが、『似島はドイツ』を読んで、そういうことかとわかったような次第です。

中村うさぎ『私という病』にもこんなエピソードが書かれている。
中村氏は社会人になって、通勤電車で毎朝毎朝、痴漢に遭った。
それもいつも同じヤツだった。
そいつは駅の改札口にたたずみ、ターゲットを物色していたのだ。
「ある朝ついに「断固戦おう」と決意した。そして、ありったけの勇気を振り絞って、車内でそいつに向かって大声で「やめてください!」と怒鳴ったのである。そいつはそそくさと逃げていった」
そして中村氏は「やっぱり、ちゃんと戦うべきなのだ」という想いを新たにしたのであった。

人権を守るためには黙っていてはだめなのである。
で、「やられたらやりかえせ」。
もちろん、どういうふうにやりかえすか、ということはあるけれども。

コメント (2)
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