20代の女性が「結婚する必要を感じない」と言うのを聞き、結婚するのは当然のことだと思っていた私はびっくりしてしまった。
妻に話したら驚いた顔をしたが、だけど何だかうらやましそうでもあった。
考えてみれば、私の姪(3人いる)も今のところ結婚する気はないらしい。
少なくとも、結婚しなければいけないとは思っていないようだ。
先日、ある過疎地のお寺さんが、「このあたりでも三世代同居という家はほとんどないんですよ」と言われ、これまたびっくりした。
息子夫婦は近くに家を建てて別に世帯を持つのが普通なんだそうだ。
田舎は同居が当たり前だと思っていた。
じいちゃん、ばあちゃんが手を合わせている、その背中を見て小さい子供が育つということが、田舎でもなくなっているわけだ。
「家の宗教」から「個の宗教」へ、と言える時代はもう終わりかけているんだなと感じた。
柳田国男は「できるものならば死んでも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを見守っていたいものだと思う」と書いている。
子孫がいつまでもそこに住み、これからも同じように生活をしていくだろうという安心感があるからこそ、死んでいけるということもあったと思う。
しかし、今は先祖の住む山の麓に子孫はもういなくなっている。
否定すべき権威としての家がなくなったらどうなるのだろうか。
こうした中で、何を依りどころとしていけばいいのか。
今までとは違う新しい物語が求められているのだと思う。