三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

肉体を捨てよ

2005年09月22日 | 問題のある考え

映画の『2001年・宇宙の旅』は、最後のほうがなんのこっちゃで、よくわからないが、原作のA・C・クラーク『2001年・宇宙の旅』を読むと、モノリスを作った宇宙人は精神だけの存在となって、永遠に生き続けるまでに進化した存在だということがわかる。
つまり、存在の最高形態は肉体を持たない精神存在だとされるのである。
続編の『2010年』『2063年』になると、まだ生きているはずのボーマン船長、そしてなんとコンピューターのHALまでも精神存在となっている。

これはクラークがスリランカに住んでいて、インドの思想に触れたからという気もする。
なぜなら、肉体の束縛を離れて精神だけの存在となることが、人間としてよりすぐれているというのが、天という世界の発想のもとだからである。
我々の住む色界は肉体と精神を持つ。
色界では肉体はないが、まだその残滓がある。
無色界では肉体を持たない、精神だけの世界である。
それが天の一番上の有頂天である。
おそらく、地獄では肉体を持つゆえに苦しみを受けるのだろう。
六道の考え方では、肉体がない存在のほうがより優れていることになる。

プラトン『パイドーン』には、哲学によって身を十分に浄めた人々は肉体なしに生きるとあるわけで、肉体を軽視する思想は洋の東西を問わないらしい。

ニューエイジはこうした肉体蔑視の思想の流れの一つ。
肉体は重みを持つために、本来自由であるはずの精神を閉じ込めてしまうからだそうで、天外伺朗氏の本にもそんなことが書れてある。

しかし、言うまでもなく我々は肉体を持って存在しているのだから、その肉体を軽視するということは、現実無視ということである。
だからこそ、仏教では精神だけの世界である四禅天ですら迷いの世界だとするんでしょうね。

コメント
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