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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

小熊英二『日本という国』(1)

2015年10月30日 | 戦争

小熊英二『日本という国』は、明治維新以降、日本がどういう方向に進もうとしているのか、明治維新、敗戦、そして冷戦の終結が大きな転換となっていることがわかりやすく説明されています。

福沢諭吉『学問のすゝめ』は、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉で有名だが、人間は平等だというけれど実際はそうじゃない、勉強する人は成功して金持ちになり、勉強しないと貧しい下人になる、だから勉強しなさい、と説かれている。

それまでは、武士の息子は武士、商人の息子は商人、農民の息子は農民、女の子は同じ身分の人と結婚するというふうに、親がどういう身分かで、子供の将来も決まっていた。

一般国民を無教育の状態にして、少数の支配者だけが知恵を持ち、国を治める東洋の方法は、平和で国内が安定しているときはよいかもしれない。
しかし、外国からどんどん人や物資が入ってくる時代には通用しない。
一般国民にも教育をほどこし、立身出世の欲望を刺激して、競争に負けないよう働くようになれば、経済は成長し、国も強くなる。

しかし、欲望の拡大に精神の発達が追いつかないので、欲望を刺激するだけなら不平を持つ者が出てくる。

不平不満のはけ口は国の外に求めざるを得ない。
そこで欧米諸国はアジアを植民地にするようになった。

東洋と西洋のやり方のどちらがいいか、福沢諭吉の答えは、日本が西洋になること。

西洋は東洋を植民地化しているから、日本が東洋のままなら西洋の植民地にされる、だったら東洋を侵略する側になろう。

西洋の文明を吸収し、学問をして競争に勝ち抜き、国際的には侵略する側にまわるためには、国民全員に強制的に教育を受けさせないといけない。

しかし、教育がゆきわたって知恵がつけば、貧しい状態に不満を持つ人間が増える。
そこで、政府は国に対する忠誠心を持つよう、修身を義務教育に盛り込み、忠孝を教え込んだ。

日本の近代化は、国民全体に西洋文明の教育をゆきわたらせながら、同時に政府や天皇への忠誠心を養う方向に進んだ。


西洋に追いつき追い越せということが敗戦までの日本のあり方で、敗戦後はアメリカの家来になることを選んだ。

1953年、池田勇人は「日本はアメリカの妾である」と発言している。

アメリカ占領軍の方針は日本の非武装化と民主化だった。

日本を非武装化し、民主化しようとして、戦力の放棄をうたう憲法を提示した。

ところが、アメリカとソ連の対立が激しくなり、1950年前後から対日政策が転換する。

日本を経済的に再建させ、再軍備させてアメリカの手下となって動く日本軍を作り、西側陣営の一員として協力させる方針に転じた。
サンフランシスコ講和条約と同時に日米安全保障条約を結び、アメリカ占領軍は在日米軍と名前を変えただけで、今までどおり米軍基地といっしょに残ることになった。
日本は占領軍がいるまま独立国となったのである。

アメリカは講和条約に、調印した国は日本への賠償請求権を放棄するという、日本に有利な条件を講和条約に盛り込んだ。(賠償請求権を放棄しなかった国もある)

こうして戦後の日本は、アメリカの忠実な同盟国、もっとはっきりいってしまえば〈家来〉になることを選ぶことによって、経済成長に成功したわけだ。



1950年代から60年代はじめにかけて、アメリカは反発の強い日本本土の米軍基地をほぼ4分の1に縮小し、自由になる沖縄に基地を移したので、沖縄の米軍基地は約2倍に増加した。

1968年から1974年にかけて、本土の米軍基地はさらに約3分の1に縮小したが、沖縄が日本の統治下にもどっても、沖縄の米軍基地はほんのわずかしか減らなかった。

いわば日本政府は、沖縄を「人身御供」として差し出すことで、アメリカとの関係をよくしているともいえる。

自爆テロと特攻

2015年08月30日 | 戦争

自爆テロと特攻は似たようなものだと思ってましたが、ネットで調べると、特攻は戦闘行為で、民間人を対象としていないという点が違うそうです。
大貫恵美子『ねじ曲げられた桜』によると、特攻隊員たちは作戦遂行中に戦死したのであり、彼ら自身も、一般の日本人も、隊員たちの行為を自殺とは考えなかったとあります。

私は費用対効果が違うのではないかと思います。
特攻は最初のうちは多大な戦果をあげましたが、アメリカ軍はすぐさま対策を考えたため、特攻は無駄死になってしまいました。
費用対効果からいうと、大損です。
ところが自爆テロのほうは、無差別に殺害することで効果的に不安や恐怖を与えます。

自爆テロは天国に生まれることを信じ、特攻は靖国神社に英霊として祀られるわけですから、自爆テロと特攻の共通点は宗教的ということだと私は思っていたのですが、大貫恵美子氏は、キリスト教をモデルとして、父なる神としての天皇というイメージが作られたと説明します。

日本の宗教的・政治的背景は、キリスト教のモデルのそれとはかけ離れたものだった。
1 日本の民間神道には全能の神は存在しない。
2 キリストが人間のために自分の生命・身体を犠牲にしたのに対し、天皇が日本人のために同様のことをするとは全く考えられない。
3 近代日本の宗教は来世より現世に焦点をおき、死後の報いを強調していないのである。
4 天皇は行政的境界を超越した王国を統治する存在ではなかった。
ところが、天皇=国のために死ぬことによって神とされた。

国家は、日本の民間の宗教性において死後肉体が存在しないことを利用し、死を義務化し、その代わり「この世のものでない美しさ」を備えた桜の花として魂が生まれ変わることを保証した。国家は日本人の本質は大和魂にあると繰り返し強調し、これがあるからこそ日本人は他国民とは異なり、潔く自分を犠牲にできるのであると主張した。


ヨーロッパ中世初期を通じて、異教徒を殺すことが美徳となり、これにより即座に天国に入ることを保証された。
12世紀までに、キリスト教殉教者は国家的色合いを帯びるようになった。
『ローランの歌』には「我々は王のために死ななければならない。キリスト教への信仰を守るため」とある。
13世紀までには、世俗的国家の戦争犠牲者まで殉教のイメージで語られた。
ドイツではキリスト教信仰の内面化および敬虔化が18世紀から19世紀にかけて復興し、多くのドイツ人はキリスト教の王国のために戦っていると思い、また彼らの使命が神聖であるという感覚を得た。
ドイツやイタリアなどにおける国への犠牲奨励用の戦争プロパガンダは、キリスト教的イメージを利用したものであるが、これは祖国がもはやキリスト教王国を意味しない、という矛盾にもかかわらず動員された。
第一次世界大戦で、オーストリア軍と戦って戦死したイタリア人兵士は、オーストリア戦没兵と同様、キリストによって受け取られ天国に入ったことになった。
ドイツやポーランドの絵葉書は、キリストや天使が戦没兵士に触れているところを描いている。

どの政治国家のために死んだかに関係なく、兵士はキリスト教の王国のために戦死し、したがって主キリストによって引き取られる。

ヨーロッパ諸国の国歌の多くは、兵士が国のために戦死することを讃美し、キリスト教の王国、すなわち天国によみがえることを保証している。

国のために死ぬことを美化しているわけですが、特攻隊や回天の隊員にしても国=天皇のために死んだとするなら、同じことだと思いました。
彼らの死を美化しないほうがいいと思います。


大貫恵美子『ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義』

2015年08月12日 | 戦争

大貫恵美子『ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義』のテーマの一つは軍事国家の側面、即ち天皇と桜の花の使われ方についてです。

「天皇に対する犠牲として若い兵士が桜のように散る」
「散る桜の花は命を犠牲にした兵士を表象する」
「靖国神社に咲く桜は戦死した兵士の生まれ変わり」

対外戦争での危機が迫ってきたとき、軍は咲いた桜の花を兵士と同一視する一方で、散る桜を隠喩として使い、戦死を美化する方法を考えだした。
桜は大和魂を表象するとされるが、大和魂とは「天皇のために死ぬ、または桜の花のように散ることができる権利」である。

変化させられた文化的制度を「古来からの伝統」であり、その制度を「当然」のものとして受け入れるように仕組むことを、伝統の再製という。
その一例が、大日本国憲法第一条で、万世一系を強調し、古来から永続する制度として提示したことである。

政府は、どうして国民を警戒させることなく、天皇や桜の花について従来の場合とは根本的に違った概念を誘導し、こういった変革を「自然のこと」であるかのごとく国民に受け入れさせることができたのか。
ということで、大貫恵美子氏は武士道などいろんな観点から論じているわけですが、二点ほどご紹介します。

兵士は桜の花のように散る、という意味で「散華」という仏教用語を使った。
仏を賞賛する意味で華をまき散らすという、仏教本来の意味からまったく懸け離れたものに変え、戦死を「桜の花のように散る」ことであると美化するために利用した。
大本営発表で使われ、兵士も自分たちの死を散華と言い始めた。
潜水魚雷「回天」の語源は「天に還る」で、隊員の無残な死を、仏教的表現で美化したものである。

あるいは、「忠臣蔵」は反幕府の姿勢を示すものであったが、明治以降には天皇に対する「忠臣」のストーリーに変えられてしまった。
「忠臣蔵」に対する政府の検閲は、明治に5回、大正に3回、昭和初期に5回ある。
こうして「忠臣蔵」は反体制感情を強調したものから、天皇への忠誠を強調したものへと重大かつ根本的変容をとげた。

「国のために死ぬ」という愛国心と、上から押しつけられるナショナリズムの中での「天皇と国のために死ぬ」とを区別しておかなければならないと、大貫恵美子氏は言います。
日本人の兵士が天皇のために死んだのか、それとも国のために死んだのか。

しつこく武藤貴也国会議員の「彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思う」という発言を引用しますが、これは「伝統の再製」だと思います。
日本人はお国のために死ぬことを躊躇しないという美しい伝統が、戦後教育のために破壊されたと主張しているわけですが、これは伝統の再製だと思います。

大貫恵美子氏は喜んで特攻に志願したわけではないことを書いています。

大西瀧治郎らが特攻作戦を創設したとき、陸海軍兵学校出身の職業軍人の中から志願した者は一人もいなかった。

職業軍人たちが自らは出撃を志願せず、代わりに学徒兵や海軍予科練生を死地に送り出しているということを学生たちは知っていた。美座(学徒兵の名前)によれば、宇佐航空基地にいた学徒兵のひとりは、ある晩、酒の勢いで上官に向かって、海軍兵学校の出身者は何故出撃しないのか、「来る日も来る日も出て征くのは予備学(生)と予科練ばかりだ」と叫んだそうである。


海軍の特攻隊員の戦死者2514名のうち、
下士官(予科練等)1732名
士官 782名
(学徒兵 648名 海軍兵学校出身者 119名)

隊員たちの「志願」がすむと、誰がどの順で任務に赴くかを部隊を指揮する士官たちは決定した。

部隊を指揮する士官に嫌われるというのも、選ばれる要因だった。
家柄や他の要素により、選外とされる者もいた。
有力な政治家・軍人・経済人の息子や皇族は、たとえ志願しても選ばれることは決してなかった。
武藤貴也氏が有力な政治家になれば、武藤貴也氏の息子(がいるとして)は戦場に行くことはないでしょう。

特攻を送り出した「極端な利己的考え」の将官といえば、富永恭次陸軍中将、菅原道大陸軍中将ですが、中島正中佐もその一人。
ある特攻作戦で桟橋に特攻を命令された隊長は、「いくらなんでも桟橋にぶつかるのはいやだ。目標を輸送船に変えてくれ」と頼むと、中島正飛行長は、「文句を言うんじゃない。特攻の目的は戦果にあるんじゃない。死ぬことにあるんだ」と怒鳴りつけています。
中島正氏は戦後、航空自衛隊に入隊、1996年に亡くなっています。
こういう軍人がいるのは戦前教育のせいでしょうか。


三上智恵『戦場ぬ止み』

2015年08月04日 | 戦争

三上智恵『戦場ぬ止み』を見ました。
辺野古の基地建設に反対する人たちを追ったドキュメンタリーです。
ちなみに、産経新聞のサイトにはこの映画に関する記事はないようです。

見ていて、まず三里塚での政府のやり口を思い出しました。
小川紳介監督作品や、林清継『三里塚』、宇沢弘文『「成田」とは何か』とかを見ると、国はまず札束で顔をひっぱたき、言うことを聞かなければ暴力を使う。
今、
辺野古で政府がやっていることは同じです。
『戦場ぬ止み』は、敗勢後の沖縄に対するアメリカのアメとムチがどのようなものだったという証言も記録しています。

石原伸晃氏の「最後は金目でしょ」発言がありますが、政治家は人間というものは金でいくらでも言いなりになるんだと信じてるんでしょう。
だから、金はいらないと言うどころか、金にもならないことをしている人たちが理解できない。

そして、海上保安庁や沖縄県警の人たち、ALSOKの警備員は、ホンネのところ、どう思っているのかを聞きたくなりました。
仕事だから仕方ないと思っているのか、反対運動する奴らは非国民だと思っているのか。
海猿にあこがれて海上保安庁に勤務したのに、こんなことをさせられるとは愚痴っている人もいる気がします。
刑務官と死刑みたいなもんですね。
反対派の人が「戦争に行くのはあなたたちだよ」と訴えていましたが、そうですよね。

武藤貴也氏のツイッターでの、

SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。

という発言が問題になっていますが、勇気があると思います。
36歳という若さの、利己的ではない武藤貴也氏は、率先して戦争に行こうと考えているんでしょうから。
国会議員を辞めて、自衛隊に入隊するのももうすぐでしょう。


それにしても、ここまでしてアメリカに尽くそうという安倍首相たちの気持ちが理解できません。
安倍首相は米連邦議会の上下両院合同会議で、日米同盟強化のため、集団的自衛権の行使を一部可能にすることなどを柱とする新しい安全保障法制の関連法案を夏までに成立させる決意を示しました。
閣議決定も国会提案もしていないのに、です。
安倍首相は「戦後レジームからの脱却」と言っています。
しかし、戦後の日本は一貫してアメリカ追従だったわけです。
脱却したいのなら、日米安保を堅持するとか、日本のお金で辺野古にアメリカ軍基地を作るとかいった、アメリカ軍の下請けをしてアメリカの顔色をうかがうようなことをやめたらいいと思うのですが。


『戦場ぬ止み』を見て、正直、感じたのは、結局は三里塚のようになるだろうなということです。
基地が作られてしまう。
無力感をおぼえました。
何もしていない私が無力感を感じるのはおかしな話ですが。


でも、国内線は羽田空港、国際線は成田空港ということだったはずですが、それが崩れている今、別の方策があったはずだと思います。
辺野古にしても、おそらく何十年か経ったら、どうしてそこまで無理して作らなければいけなかったのかと、安倍首相も思うようになるかもしれません。
そこまで長生きをしたらですけどね。


新国立競技場と戦争に使うお金

2015年07月29日 | 戦争

新国立競技場の建設費が2500億円もかかることの批判の声が高まり、計画が白紙に戻されました。
私はオリンピックの開催自体に反対で、安倍首相が「汚染水の影響は完全にブロックされている」とか「コントロールできており、東京には何の影響も与えない。問題ない」という嘘をついてまで東京に招致すべきではなかったと考えています。

ネットを見ますと、この2500億円という金額、公共工事としてはそれほど大した金額ではないそうです
新東名高速道路の静岡県御殿場~三ヶ日JCTまでの区間の工費は、2520億円では18キロ。
北陸新幹線の長野~金沢間、2520億円で作れるのは32.3キロ分だそうです。
森喜朗組織委員長の「国がたった2500億円も出せなかったのかね」という発言はもっともです。

松本宣崇(環瀬戸内海会議事務局長)「瀬戸内にも戦争に使う土砂は一粒もない!!」に、辺野古埋め立て用土砂の予定量は約2100万、そのうち岩ズリ(採石)の使用量が1644とあります。
岩ズリとは「廃土」とも呼ばれ、採石するために剝いだ土砂や石のことで、通常は採石が終われば山に埋め戻していた二束三文の土砂だという、「沖縄タイムス」(2015年4月23日」の記事がコピーされています。
鹿児島、熊本、長崎、福岡、山口、香川の採石場から1600万以上が購入され、2100万の土砂採取費用は1300億円とされている。
「沖縄タイムス」の記事はこの二束三文の土砂に群がる動きを取り上げたものです。
新国立競技場建設費が無駄遣いだと騒ぐなら、こちらも問題にしてほしいです。

そもそも戦争の準備には金がかかります。
小西誠・きさらぎやよい『ネコでもわかる? 有事法制』(2002年刊)には、海上自衛隊の輸送・補給艦艇はすべて含めても8隻1万6000トン。
航空自衛隊でもC-1輸送機(定員60人)27機とC-130輸送機(定員92人)16機、輸送ヘリ60機。
これらすべてを合わせても、自衛隊が使う有事の軍需物資の数十分の一も輸送できないとあります。
これは2002年の話で、現在はどうなのかというと、海上自衛隊のHPを見ますと、8900トンの輸送艦が3隻、1万3500トンの補給艦が2隻、8100トンの補給艦が3隻、その他があります。
10年ちょっとでずいぶん増えたものです。
どれくらいのお金がかかったのでしょうか。

こんな記事が毎日新聞に載っていました。

貧困家庭の子への学習支援
◇優れた事業も国補助必須
生活保護受給者の子どもが大人になった時に自身も受給者になる“貧困の連鎖”を断とうと、埼玉県は生活保護家庭の中高生の学習を無料で支援する教室を開いている。2010年度以降1000人以上の中学生が教室を卒業し、13年度以降500人近い高校生が参加してきた。教室は高校進学率を向上させ、高校中退率を抑えるなど実績を上げているが、今年度から国の全額補助が半減し、支援体制の縮小を迫られている。貧困家庭の子どもを救うためにも全額補助に戻すべきだ。
 ◇「不適応」の裏に家庭の経済力
 同県は、生活保護受給者の自立や貧困の連鎖防止のための国の補助金を利用し、10年度からまず中学生を対象に教室を始め、一人一人に支援員がつき、家庭訪問や基礎的な学習の支援に乗り出した。13年度からは、対象を高校生にまで拡大した。14年度は中高合わせ24(独自に同種事業を行うさいたま市を除く)の教室が開かれ、総事業費は4億3000万円余りだった。(略)(毎日新聞7月9日)

日本の将来を担う子供たちのためなのに、たった4億円が出せないのかと思いました。
森喜朗氏にとって4億円なんてはした金でしょうから、なんとかしてもらいたいものです。

「長周新聞」にこうあります。

10代、20代の若者にとって将来を考えたとき、非正規雇用ばかりで将来展望が開けない社会になってきた。(略)
アメリカでは貧乏人の子弟を軍がリクルートしていくが、自衛隊も似たようなもので給料をたくさんやるから戦争に行けとなる。第二次大戦でも農家の次男、三男が軍隊に多く駆り出されたが、失業と貧困、戦争はセットだ。国内を貧乏にした結果、海外に覇権を求めて侵略していく。

今は農家の次男、三男を戦争に駆り出すのは難しいですから、生活保護世帯などの貧困家庭が狙い目で、だからこそ予算を削ったのかと邪推しました。

大貫恵美子『ねじ曲げられた桜 美意識と軍国主義』にこんなことが書いてあります。
梅澤一亖海軍少尉は母親に対し、特攻に志願することが親孝行の途なのだと説明した。

その説明が暗に意味しているのは、特攻隊員に支払われる恩給が、家族を経済的に支えるであろうということである。(略)政府が、職務の危険度に応じて報酬を高くし、特攻戦死には二階級特進を与えることによって、若者たちを招き寄せようとしたためである。

梅澤の弟は、最後の出撃の数日前に帰宅した兄が、彼のような若者を殺す海軍を罵るのを聞いている。
二階級特進という政策は遺族への補償金の増額を意味した。
こうした補償金の増額は、両親への孝行を天皇への忠義へと置き換えるのに重要な役割を果たした。

天皇のために命を捧げることが、そのまま両親への経済援助を可能にしたためである。

札束の力で死地に赴かそうとする政府のやり方は今も昔も変わらないようです。


小西誠・きさらぎやよい『ネコでもわかる? 有事法制』

2015年07月24日 | 戦争

某氏に『ネコでもわかる? 有事法制』という本があると教えてもらいました。
2002年の出版です。
有事法制とは何か、全く記憶になく、調べると、2003年に武力攻撃事態対処関連3法が、2004年に有事関連7法が成立しています。
ですから、『ネコでもわかる? 有事法制』が出版された時は、まだ案だったわけです。

1999年に成立した周辺事態法により、日本はアメリカ軍の全面的な後方支援を定めた。
武力攻撃と武力攻撃事態の定義
武力攻撃とは、我が国に対する外部からの武力攻撃をいう。
武力攻撃事態とは
①武力攻撃が発生した事態
②武力攻撃の発生のおそれがある事態
③武力攻撃の発生が予測される事態

「予測される事態」とはどういう事態なのか、2002年5月、衆院有事法特別委員会の議論。
岡田克也議員「武力攻撃が予測される事態とは」
中谷元防衛庁長官「防衛出動が予測される事態と同じ」
岡田克也議員「防衛出動が予測される事態とは」
中谷元防衛庁長官「武力攻撃の発生が予測される事態で、防衛出動を決断する前の段階だ」
言葉を換えて同じことを繰り返しているだけの中谷元防衛庁長官は現在の防衛大臣です。

武力攻撃事態と周辺事態との関係について、2002年4月、中谷元防衛庁長官は「周辺事態は我が国にとって武力攻撃の事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態だ。当然、周辺事態のケースはこの一つではないかと思う」と答弁している。
小西誠氏は「朝鮮半島有事、台湾海峡有事という事態に対して、従来、日本は米軍の後方支援に徹していたのだが、これからは、これは「武力攻撃が予測される時代」、すなわち「武力攻撃事態」として認定するということだ」と書いています。
武力攻撃事態での自衛隊の戦闘作戦行動は、アメリカ軍との共同作戦として並列して規定されており、「武力攻撃事態の対抗措置」は、自衛隊とアメリカ軍の共同作戦以外の想定は考えられていない。

後方支援のことを自衛隊では兵站といっている。
周辺事態法では、アメリカ軍への兵站を自衛隊が主に担うことになっている。
後方支援は前線と変わりない。
陸上自衛隊の戦略・戦術の基本書といわれる『野外令第2部解説』(陸上幕僚監部編集)という教範(教科書)には、「今や戦場に前後なく、すべてが第一線と考えるべきであり……兵站も単なる支援任務の遂行を第一義とした自衛戦闘の域にとどまっていては苛烈な現代戦の様相に適合することは困難」とある。

「長周新聞」2015年7月号に、こんな安倍批判発言が書かれてます。

「後方支援」についても大インチキで、戦争に前も後もない。食料だけでなく弾薬なども補給しようとしている。(略)まずは兵站を狙うのが常識で、第二次世界大戦でもアメリカはそれをやった。日本軍が上陸した南方戦線でも食料や弾薬が届かず、現地調達が命令されていた。(略)米軍の潜水艦が待ち構えていて、みな魚雷を撃って輸送船を沈めていった。

昔から戦場に前も後もないわけですから、後方支援が安全とは言えません。

有事法制では、戦死者の処置について法律を制定しており、戦死を現実のものとして予測しています。
有事法制関連三法案の中に、防衛出動を命じられた自衛隊員が死亡した場合、「墓地、埋葬等に関する法律」の適用除外とするという項目がある。
『野外令第2部』には、自衛隊が作戦行動時に部隊で独自に火葬場を作り、仮埋葬することが書かれている。
戦闘中に戦死者が出た場合、墓地での埋葬や火葬場での火葬などやっている暇はないし、自治体の許可を取る暇もない。

有事法制には「捕虜の取扱い」の規定もあり、捕虜を獲得するような戦争を予定しており、そのための「捕虜収集所」を開設しようとしている。

有事法制で準備する段階に至ったことは、日本が「戦争国家」へ移りつつあることを国際的に宣言するものにほかならない。

となると、靖国神社国家護持も安倍首相たちは憲法改正と合わせて日程に入れているのではないでしょうか。

有事法制下では、国民の自由も権利も全面的に否定されます。
自衛隊法では医療、土木建築工事、輸送に従事する者に業務従事を命ずるとされているが、これらの業種以外にも政令によって従事命令を受ける対象を広げることができ、これは強制である。

政府見解では、「思想・良心・信仰の自由」について、「内心の自由という場面にとどまる限り絶対的な保障である」が、「外部的行為がなされた場合には、それらの行為もそれ自体としては自由であるものの、公共の福祉による制約を受けることはあり得る」とする。
「沖縄の新聞をつぶせ」発言から思ったのですが、ベトナム戦争当時、アメリカでは反戦運動が盛んでしたが、有事法制、安保法制では政治批判などの言論の自由は認められなくなるのか心配になります。

有事法制とは戦時立法であり、これは戦前の国家総動員法と根本的には同じものと考えるべき。


有事法制に反対、もしくは慎重審議を求める自治体議会での決議は、2002年7月初めまでに463自治体だったそうです。
それなのに私は有事法制をすっかり忘れていました。
安保法制にも慣れてしまい、戦死者を英霊として祀ることに抵抗感をなくしていくのでしょうか。


高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』(2)

2015年02月17日 | 戦争

ソマリランドは国連や外国の力を借りず、自分たちだけで内戦を終結させ、平和を維持しています。
どのようにして内戦を終結したのか、高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』の説明を私なりに要約します。

バーレ政権の時代、マイノリティの氏族は政府軍につき、マジョリティであるイサック氏族のゲリラと闘い、首都ハルゲイサ市民の弾圧と虐殺に協力した。
バーレ政権が崩壊し、イサック氏族が政府側だったマイノリティの氏族に復讐すると予想されたが、イサック氏族の長老たちはそれを選択しなかった。
独立宣言後、イサック氏族の間で主導権争いが始まり、内戦になる。
1993年、事態を憂えた氏族の長老たちが集まり、数か月にわたって会合を続け、戦闘が中止した。
が、またもやイサック氏族の二つの分家が合意を不服とし、武装解除を拒否して再度内戦が始まった。
1995年に、また氏族の長老が会合を開き、和平と武装解除が行われた。

ソマリ人の伝統的な掟=契約を「ヘール」という。
たとえば「殺してはいけない者の掟」があり、女性、子供、老人、賓客、傷病者、宗教的指導者、共同体の指導者、和平の使節、捕虜に危害を与えることを禁止している。
ヘールに従ってヘサーブ(精算)が行われる。
一人殺された場合(事故死も)、男ならラクダ百頭、女ならラクダ50頭、殺した側の氏族が被害者側の氏族に支払う。(今は現金で払うことが多い)
この賠償金は氏族の構成員が人数割りで出す。
内戦では何千人も殺されているので、ディヤ(賠償金)の支払いはなかった。
1回目の和平交渉のときは、娘20人ずつを交換するという方法をとった。
2回目のときは娘の交換も行われなかった。
各氏族がとりあえず停戦を行い、国作りの方法をあらためて検討し合うことで合意した。

内戦の終結、武装解除、複数政党制への移行が可能になったのは、2代目大統領エガルの力が大きい。
民兵は武器を渡して政府軍に編入され、カネを得た。
もっとも、重火器は政府に差し出されたが、自動小銃の相当数は一般家庭に保存されている。

高野秀行氏はソマリランドを国際社会が認める必要性を訴えます。
自分たちの力で平和を勝ち取り、維持している国を認めることが、紛争よりも平和のほうがいいことを伝えることになるからです。
ソマリランドの安全度は、国土の一部でテロや戦闘があるタイ
やミャンマーよりずっと高いそうです。

アフリカの発展途上国で、産業がろくにない国がやっていけるのは、外国や国連、NGOからの援助によってである。
無政府状態の首都モガディショでは国連やNGOなどから援助物資が送られてくる。
援助物資の横流しがなくても、トラックのチャーター代、ガソリン代、荷物の積み卸しの人件費、食糧保管場所の場所代、保管の警備費、食糧分配場所の場所代、ブローカーへの費用などのお金が地元に落ちる。
和平会議や慰問のために外国の首脳が訪問すれば、警備のために百人単位の兵士が動員され、その警備代は外国か国際機関が出すことになる。

トラブルを起こせば起こすだけ、カネが外から送られてくる。誰も真剣にトラブルを止めようと思うはずがない。

内戦や紛争がなかなか終わらないのはどうしてかと思ってましたが、こうしたことも原因の一つなんですね。

「<シリア>避難高校生が「ジハードに」…数千人が行方不明も」という記事がありました。
トルコ南部のシリア人避難所の高校で、男子高校生の9割近い280人が「ジハードに行く」と、個別にシリアに戻ってイスラム国などの武装組織に入り、死亡もしくは行方不明になっており、トルコ全体では数千人規模のシリア人高校生が行方不明になっている可能性があるそうです。

子どもたちは日ごろから「なぜ欧米は多数の市民を殺すアサド政権を攻撃せず、アサド政権より市民に信頼のあるISを攻撃するのか」などと、怒りを口にしている。ISはその残虐性で知られるが、彼らが信じるシャリア(イスラム法)を守り、敵対しない市民には危害を加えないため、理想化する若者も少なくない。(略)
避難所で高校教諭を務めていた男性(43)は「若者世代はシリアで11年に始まった反体制派運動に対するアサド政権の弾圧や市民殺害に強い怒りを抱いている。米軍主導の有志国連合による空爆がアサド政権ではなくISにのみ向けられ、失望したり反発したりしている」と話す。(毎日新聞2月5日)


ソマリアがそうだったように、ISを国連や欧米が武力で制圧し、欧米の言いなりになる適当な人を大統領につかせ、民主主義を強制しても、反発され、混乱が増すだけでしょう。

戦争を起こしたり、治安が乱れている場所にせっせとカネを落とす行為は、暴力と無秩序を促進する方向にしか進まない。

高野秀行さんはこのように書いていますが、ほんとその通りです。

ソマリランドでは氏族間の紛争に当事者とは違う氏族が仲介の労を取っています。
その土地に合った紛争解決法があるわけで、アメリカと一緒に戦争することが日本の役割ではなく、第三者として調停することこそが積極的平和主義だと私は思います。


高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』(1)

2015年02月13日 | 戦争

無政府状態が続くソマリアの北部がソマリランドとして独立宣言し、長老たちの話し合いによって内戦を終結させたが、ソマリランドを国家として認めている国はないというのをどこかで読んだことがあり、ソマリランドという国を知りました。
高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』の新聞書評を読み、図書館で予約したのですが、手にするまで一年以上もかかるほどの人気です。
2009年と2011年にソマリランドへ行った見聞記が『謎の独立国家ソマリランド』です。

ソマリランドの歴史を。
1960年 イギリス領ソマリア(現在のソマリランド)とイタリア領ソマリア(南部)が合併して独立
1982年 ソマリランドで反政府ゲリラ活動が始まる
1988年 旧ソマリア政府軍によって首都ハルゲイサは廃墟と化した
1991年 バーレ政権が崩壊し、ソマリランドは独立を宣言
1991年~93年、1994年~96年と二度内戦になったが、氏族の長老たちの話し合いで内戦は終結、武装勢力は武器を返上し、民兵は正規軍兵士や警察官に編入された。
それから十数年、ソマリランドは平和を維持している。

この町が何よりもすごいのは、銃を持った人間を全く見かけないことだ。民間人はもちろんのこと、治安維持のための兵士や警官の姿もない。いるのは交通整理のお巡りさんだけだ。アジア、アフリカの国でここまで無防備な国は見たことがない。

日々の生活では独自の正貨を使っており、公務員の給料はソマリランド・シリングで支払われる。
言論の自由は広く浸透しており、新聞は政府や与党の批判を載せている。

ソマリアの北部が独自に内戦を終結させることができたのはなぜか、高野秀行氏は三点をあげています。
・南部ではイタリアが氏族の仕組みを破壊したが、北部はイギリスの間接統治だったために、氏族の伝統が維持された。
イギリスは間接統治だから、長老や氏族の力をそのまま残し、長老たちを通して支配したので、長老や氏族の権威は強くなった。
それに対し、イタリアは氏族の仕組みを壊し、イタリア人の移民を送り、社会をかなり変えてしまった。
・北部は以前から氏族間でしょっちゅう戦争を行っていたので、停戦になれていた。
ガイドのワイヤップは「南部のやつらは戦争をしない。だから戦争のやめ方もわからない」と説明しています。
・南部は産業が豊かで首都もあるが、北部は貧しくて奪い合う利権が少なかった。
ソマリランドには産業は何もなく、主な収入源は欧米諸国に住む家族や親族の仕送り。

ソマリ人が戦闘を行うのは氏族の単位です。
同じ言語と同じ文化を共有する人々を民族と呼び、民族の中に氏族が存在することがある。
氏族とは「同じ先祖を共有する(あるいはそのように信じている)血縁集団」のこと。
血縁結社といっても、血ではなく契約だから、どこでも好きな氏族に入れるそうです。
ソマリ民族では5つの大きな氏族があるとされ、氏族の中に分家があり、さらに分分家、分分分家、分分分分家、分分分分分家……と細かく分かれていく。

どこの誰かが嘘をついたらわかるとワイヤップは言います。
「わかるんだよ。自己紹介で氏族を全部訊くから。同じ氏族なら絶対に共通の知り合いがいるし、他の氏族でも誰かしら友だちや知り合いや妻の親戚やら妹の夫の親戚とかいるんだ。そこで嘘をつけば絶対にばれる。だから、俺たちはいつも相手が誰か知っている。だから嘘は絶対につけない」
日本の田舎で、どこそこの○○の分家の次男の嫁の実家がどうのこうのという話になるようなもんでしょうか。

ソマリランドをネットで調べてたら、ソマリランドへの添乗員付きの旅行がありました。
2009年に高野秀行氏がソマリランドに行こうとして苦労したのに、今はツアーで簡単に行けるわけです。
『謎の独立国家ソマリランド』の力なのか、すごいもんだと驚きました。


司馬遼太郎と海外派兵

2014年09月07日 | 戦争

ずっと以前に書いた日記がハードディスクの片隅にあることを見つけました。
少しずつ投稿することにします。


司馬遼太郎は不思議な人物だと思う。
朝日新聞と産経新聞のどちらも司馬遼太郎をすごくほめているのだから。
妻に言わせれば、当たり障りのないことを言っているからだが、『司馬遼太郎対話選集』を読むと、産経新聞が嫌いそうなことをはっきりと言ってる。
少しご紹介。

ぼくは5・15や2・26事件はひじょうにきらいです。

私にはなぜあんなに元号に固執するかわからない。元号は敗戦とともに消滅してしかるべきものだったのに。

経済大国になったのだから軍備を拡大せよ、という声が内外で高まっていますね。これはいたずらにソ連を刺激しているだけなんだ。

海外派兵とか徴兵とかいうことになると、日本に反乱が起こって、それをやる政権はつぶれます。

海外派兵は行われたが、反乱は起きないし、政権もつぶれていない。
集団的自衛権の行使について司馬遼太郎はどのような感想をもらすだろうか知りたいものです。


屋良朝博『砂上の同盟』

2014年08月10日 | 戦争

ケビン・メア『決断できない日本』に「アメリカは日本を手放さない」とある。
米軍の全兵力は141万人で、海外駐留は23万人。
アジア太平洋地域の駐留は約9万6千人で、日本には約4万1千人、そのうち沖縄には2万5千人。
なぜ日本、特に沖縄に米軍が多いのか。

地政学的に言うと、日本列島は太平洋への膨張の出口を求めている中国に蓋をする防波堤となってユーラシア大陸に対峙している形になっている。

沖縄は台湾海峡や東南アジアに近く、朝鮮半島もにらめる場所にある。
ケビン・メアによると、東アジアには在韓米軍も駐留しているが、重装備の部隊であり、在沖縄海兵隊ほどの機動性は有していない。
海兵隊をハワイやグアムに置けばいいという議論もあるが、いかんせん遠すぎる。

なるほど、そうなのかと思ったが、屋良朝博『砂上の同盟』を読むと話が違ってくる。

沖縄には良好な軍港がなく、軍艦の補修・維持できる場所がない。

海兵隊はその名の通り、「海の兵隊」であり、海軍の艦船に乗って戦地へ投入される。船は沖縄にはなく、長崎県佐世保を母港としている。仮に北朝鮮が暴走したとき、船は佐世保から沖縄へ南下して隊員と物資を拾い、再度北上する。

機動性を有しているわけではないらしい。

沖縄は戦略的に最良の場所なのか。

2002年、米国防総省のシンクタンク「アジア太平洋安全保障研究所」での安保問題セミナーで、沖縄駐留の海兵隊司令官は屋良朝博氏の質問に答えて、「沖縄でなくても構いません」と答えている。
地理的にいい場所なら攻撃も受けやすいわけで、米軍にとって沖縄は攻撃を受けやすい脆弱性を抱える。

米軍はフィリピンの基地を手放すことはあり得ないと考えられていた。
しかし、フィリピンは米比基地使用協定を破棄したので、1994年に米軍は撤退した。
フィリピンと日本の違いは何かというと、フィリピンはアメリカから賃貸料を取って基地を提供していた。
それに対し、日本は駐留経費を払ってアメリカ軍にいてもらっている。

在日米軍駐留経費負担(思いやり予算)は2014年では1848億円だが、これ以外にも基地周辺対策費などがあり、2012年、日本の支援は5728億円。
米軍を駐留させる経費負担は、日本がイタリアの12倍払っている。
NATO全体の2倍。

日本に駐留していれば、家族用の庭付き住宅、映画館、ショッピングモールのほか、水道、光熱費も日本の負担。
ある人が岩国基地を見学し、あまりの豪華さに「日本がアメリカに負けるはずだ」と言っていたが、そのお金は日本が出しているんですね。
他にも米軍再編関係経費というのもあって、沖縄の海兵隊グアム移転も、移転費用130億ドルのうち日本が6割を肩代わりする。
たくさん金を出して、口は出さない。

基地を減らしたいならきれいな海を埋め立ててでも、軍飛行場を造れ、部隊移転の金を出せ、さもなければ基地は動かないぞ、という。何とも脅しのような論理だ。

沖縄にこだわるのは戦略的発想ではなく、お金が一番の理由ということのようです。

沖縄の地理的優位性を唯一の根拠とした「戦略神話」を作り上げることで現状を維持しているというのが、日米安保・基地問題の実相だろう。


『砂上の同盟』にこんなエピソードが紹介されている。
防衛官僚が太平洋海兵隊司令官付のアメリカ人政策アドバイザーと意見交換した。
政策アドバイザーが「なぜ、制服組の自衛官が同席しないのですか。彼らの仕事に直結することですよ」と質問したら、防衛官僚は「自衛官は秘密を守れません。だから込み入った話には同席させたくない」と即答した。
航空幕僚長だった某氏も秘密を守れない人なのかと思いました。