日本画家鏑木清方の自伝『こしかたの記』は昭和36年の出版。
鏑木清方が明治11年生まれということがあるのか、『こしかたの記』は、ルビがあるにしても、読めない漢字が頻出します。
遉が(さすが)、孰ら(どちら)、寔に(まことに)、延て(ひいて)、因みに(ちなみに)、況して(まして)、恰ど(ちょうど)、因む(ちなむ)、覓むる(もとむる)、闌(たけなわ)、儕輩(せいはい)、熱閙(ねっとう)など。
文展が文部省美術展覧会の略ということも知りませんでした。
そもそも「鏑木」が「かぶらき」と読むこともわかってなかったのですから。
基本的な教養がちがうわけです。
『こしかたの記』を読むと、鏑木清方はしょっちゅう引っ越しをしています。
いつ、何度引っ越しをしたのかはわかりませんが、夏目漱石も熊本時代の4年間で6回引っ越しているし、谷崎潤一郎も引っ越し魔だそうです。
三國一朗『徳川夢聲の世界』の年譜によると、徳川夢声(明治27年生まれ)は父親とともに東京に明治30年に引っ越して、明治34年、明治36年、明治38年、明治39年、明治39年と転居。
大正11年に父親から独立して家を持ち、大正13年に4回の転居し、昭和2年5月にも引っ越し、12月に家を建てて、終生そこで暮らす。
なぜこんなに引っ越すかというと、借家だったからということもあると思います。
明治以前の東京では借家が当たり前だったそうです。
古今亭志ん生もよく引っ越してますが、これは家賃を払わなかったから。
『徳川夢聲の世界』によると、大正7年、女学校卒で簿記の心得のある女性が銀行の事務員に就職したときの初任給は15~20円。
となると、1円が今の1万円でしょうか。
ところが、卵が1個6銭、牛乳が1円で1升6合ほど買え、白鷹や大関は1合30銭。
今と比べると、卵も酒もかなり高い。
大正13・4年度の「日本映画年鑑」に、無声が弁士をしていた武蔵野館では次のように記録されています。
1日の興行回数 金土日が3回、月火水木が2回。
同一映画の興行日数 1週
説明者(弁士)数 6名
入場料 普通興行 最高2円 最低60銭、特別興行 最高2円50銭 最低80銭
1週間しか上映しない、つまり週替わりだったということでしょうか。
映画の料金からすると、1円が今の1500円ぐらいか。
そのころ市内均一のタクシー料金が1円(円タク)。
ネットで調べると、大学を卒業した人の初任給は、大正4年が35円、大正14年が50円ですから、1円が5千円~1万円。
http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm#E02
大正7年と14年とでは物価が違うとはいえ、銀行の女性事務員の初任給が驚くほど安いのか、それとも卵や酒や映画料金がすごく高いのか。
小説の中で物の値段が書いてあっても、それが現在のいくらなのか分からないので、興をそぐことがあります。
徳川夢声は大正10年、日活が月給160円を提示するが、松竹に移籍して400円をもらうことになり、大正14年には450円。
石原慎太郎は28歳のとき(昭和35年)、原稿1枚1万5千円。(『わが人生の時の人々』)
野坂昭如『文壇』によると、昭和36年ごろ、コラムを書いて1枚2000円、月に30万円の収入だったが、マクガバン旋風の年(昭和47年)は1枚3000円になった。
『エロ事師たち』がアメリカで映画化され、原作料が3万ドル。
日本銀行によると、昭和40年の1万円は、企業物価指数だと現在の2倍、消費者物価指数4.1倍。
https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/history/j12.htm/
2倍も違うと、実際の感覚としてどうなのか、わからなくなります。
なぜトランプは大統領選で勝ったのか、金成隆一『ルポ トランプ王国』の続きです。
2 トランプへの期待
金成隆一氏は「大統領選では、候補者が多数派を形成する方法は大きく2つ考えられる。理想の社会像を語り、支持を集める方法、もう1つは、共通の「敵」を作り上げ、敵意や憎悪を結集させる方法だ」と書いています。
トランプは自己資金で選挙をし、利益団体の世話や企業の献金を受けていないから、既得権益層にこびることがなく、特定の業界団体の言いなりにはならない、と訴えた。
それに対し、ゴールドマン・サックスでの講演1回で22万5千ドルを受け取ったヒラリー・クリントンは、エスタブリッシュメントの代表というイメージが定着した。
どうしてミドルクラスから転落しそうなのかという「不満」と、生きていけるのかという「不安」に、トランプは「自由貿易」と「不法移民」という標的を示した。
工場のメキシコ移転・不法移民の雇用→仕事がない
テキサス州ボーモント市では、人々はメキシコとの「壁」を支持している。
元教師「街でスペイン語が当たり前になっていることが不気味。ここはアメリカなのよ」
全人口に占める白人の割合は、1965年は84%、2015年は約62%に減少し、2045年には約50%になると予想されている。
ペンシルベニア州エドナ(80歳)「街に知らない人が増えた。いろんな人種が増えた。ポーランド人とかスロベニア人とか、新しい人が増えた」
金成「私から見れば、皆さんは白人で区別がまるでつきませんが」
エドナ「イギリスやドイツの出身者と彼らは違う。異なる文化や宗教の人が増えると、やはり暮らしにくくなる。」
日本でも、「わからない言語で話している」ことが不気味だという感じが、不安や不満になっている人は多いのではないかと思います。
60年代以降の急速な社会の変化に違和感を覚えている人は多い。
理髪店主(77歳)「他国がアメリカに、あれをやれ、これをやれ、と言ってくることにウンザリしている。本来は逆だ。アメリカは他国にこれをやれと指図する立場にある。アメリカはそれに値する国だ。あなた方日本人は、長年アメリカを仰ぎ見てきたのに、今やアメリカは水準以下に落ち、なめられている。トランプは、アメリカを元々の位置に戻す、と言っているんだ」
しかし、トランプや支持者の主張には事実誤認や誇張が多い。
① 自由貿易
世界経済が失速する中で、アメリカの景気は回復傾向にあり、一人勝ちと言われてきたのが実態。
2016年はアメリカの製造業生産高が史上最高を記録し、雇用者数も6年連続で伸び、2009年に10%だった失業率は、2016年には4.6%まで下がっている。
自由貿易協定(FTA)も、2009年から15年の輸出の伸びは、協定を結んだ国との間で52%と、輸出促進の効果があった。
アメリカ国内の製造業は海外産の部品に依存している。
海外からの商品に高関税を課せば物価が上がり、トランプの支持者も困る。
② 不法移民
不法滞在の移民は、消費税はもちろん、約半数は所得税も払っている。
不法移民によって払われた地方税と州税の年間合計は116億ドル。
給付金を受け取ることは期待できないのに保険料を払っており、その支払額は年間150億ドルになる。
彼ら推定310万人の支払いがなければ、社会保障システムは慢性的な予算不足になる。
3 社会の変化
フロマン米通商代表部代表は、雇用減少や賃金の伸びの停滞は、グローバル化よりもオートメーション(自動化・機械化)の産物だ、と主張している。
いくら工場を誘致しても、多くの作業はロボットがこなすので、地元民を雇うとはかぎらない。
アメリカでは、製造業の仕事に就くのに必要な知識・技能は昔より格段と難しくなっていて、高校卒業レベルでは難しい。
ウィスコンシン州の工場経営者「新しい技術者を募集しているが、集まらない。応募者は来るが、水準に達しないんだ。(略)
うちの仕事は難易度が高い。この敷地に低賃銀の仕事はない。(略)メキシコなど海外に出たのは製造業の簡単な部分で、高度な技術を要する仕事は今も国内に残っている」
将来に向けての最大の懸念は、熟練機械工を育成できるかという問題だ。
「かつての製造業のような給料払いのいい仕事がなくなった」と嘆く労働者。
「必要な技能を持ち合わせた労働者が見つからない」と嘆く工場経営者。
高校を卒業すればミドルクラスになれたという時代は戻ってこない。
4 トランプ政権への危惧
このように金成隆一氏はトランプを批判します。
シリアやアフガニスタンへの空爆はその表れかもしれません。
岸見一郎氏は「他者はみな敵であると見る人は、他者との関係に入っていこうとはしない。他者を敵と見ると決めれば、そのことを確信させる証拠はたちまち見つかる」と書いていますが、トランプにぴったり当てはまるように思います。
金成隆一氏はトランプ人気について、このように書いています。
森友学園や加計学園の問題があり、大臣の失言が繰り返されても、安倍内閣の支持率が高いままです。
テロや北朝鮮のミサイルで不安感を煽るあたりも、トランプ人気と通じるものがあるように思います。
安倍晋三首相はこの5月3日にも、憲法改正の意志をあらわにし、それも2020年という時間を設定しての覚悟を示した。近代日本の首相の中で、これほど改正それ自体を強調し、どこをどのように変えるかの論点を明確にしない首相も珍しい。まず「改正ありき」では、論戦そのものが逆立ちしているように思えるほどだ。(略)(2017年5月13日)
毎日新聞のこの記事を読み、安倍首相の憲法観はこういうことなのかと納得しました。
というのが、『日本会議の研究』で菅野完氏はこのように書いているからです。
安倍政権は、集団的自衛権などを憲法解釈の変更によって認めている。
憲法が骨抜きになって否定されるのは、日本国憲法と、「憲法を政府が守らなければならない」という立憲主義の根幹もである。
日本会議は、改憲ではなく反憲法、現行憲法を徹底的に否定することが狙い。
「日本国憲法を憲法の改憲規定にもとづいて改憲する」という手法さえ否定する。
日本国憲法の規定にもとづいて改憲すれば、日本国憲法を憲法として認めてしまうことになる。
だからこそ、「改憲」ではなく「反憲」を唱えた。
安倍首相も日本会議のように、日本国憲法をよりよいものに変えようというのではなく、無化しようと考えているのではないかと、私は思ったわけです。
憲法学者の9割が憲法違反だと言っている安保法案を無理矢理成立させたのも、憲法無化の一つのあらわれです。
5月3日、内田樹氏もツイッターでこういうつぶやきをしています。
そして内田樹氏が、安倍首相は「権力者をしばる憲法などというのは時代錯誤だ」と言ってると書いているので、ネットで調べると、2014年2月3日の衆議院予算委員会です。
畑浩治氏(生活の党)の「憲法というのはどういう性格のものだとお考えでしょうか」という質問に、安倍首相はこのように答えています。
平川宗信『真宗と社会問題』に
とありますから、「憲法というのは、日本という国の形」ということは間違えではないです。
しかし、平川宗信氏は先の文章に続けてこのように述べています。
「憲法は国家権力を縛るものだという考えは古い」と言って立憲主義を否定する安倍首相は、どういう「国の形」を考えているのか。
憲法のどこを、どのように変えるのかを明確に言わないわけですから、安倍首相の考える「国の形」はわかりませんし、ひょっとしたら安倍首相は持っていないのかもしれません。
立憲主義を否定するわけですから、国家権力を縛る憲法がない国、すなわち独裁国家だということになりますが。
全体主義を大貫恵美子氏は次のように定義しています。
共謀罪も国民支配の手段として考えているのでしょう。
安倍首相の支持率は50%前後です。
しかし、国会の審議で、安倍首相自身が野党議員の発言にヤジを飛ばし、5月8日には、衆院予算委員会で、2020年までに憲法を改正したいとする安倍首相の発言について、長妻昭氏の質問には答えず、「読売新聞を熟読してほしい」と言う。
そのくせ、森友学園問題や加計学園問題のように自分の都合の悪いことを質問されると、気分を害したのか、感情をむき出しにして長々と反論するけど、論点をずらして質問には答えない。
たとえば↓の記事。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/326.html
あるいは首相のヤジ。
「いいかげんなことばっかし言うんじゃないよ」(安倍晋三首相)
「閣僚席から不規則発言はやめてください」(委員長)
「答弁させてくださいよ」(安倍晋三首相)
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170605-00000041-jnn-pol
首相が国会の審議でヤジを飛ばす国は「美しい国」とは言えないでしょう。
2014年4月、森友学園が運営する幼稚園に安倍昭恵さんが訪問した際の映像をFNNが伝えています。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00351247.html
これは驚きでした。
園児たちは声をそろえて「日本国、日本国民のために活躍されている安倍晋三内閣総理大臣を、一生懸命支えていらっしゃる昭恵夫人、本当にありがとうございました。ぼくたち・わたしたちも頑張りますので、昭恵夫人も頑張ってください」と、一生懸命大きな声で言う。
個人礼讃を子供に教え込むどこかの国のようだと思いました。
「おぞましい」です。
そして、籠池理事長が園児に「中国から、今、何。言って」と質問すると、園児は「中国から鉄砲とかくるけど、ぜったい日本とかを守ろう」と答えます。
もっとも、これはあらかじめ、こう答えるのだと教えられているようです。
最後、保育士が「安倍晋三記念小学校をよろしくお願いします」と言うと、園児たちは声をそろえて「よろしくお願いします」と言って頭を下げます。
これじゃ、関係ないとか、知らないとか言えません。
なお、安倍昭恵さんの名誉校長就任は、安倍昭恵さんの承諾を得てから紹介してると、籠池理事長は語っています。
口利きがあったと、籠池理事長は話しています。
正直な方です。
http://ameblo.jp/namaehakingyo/entry-12252347651.html
「教育勅語」や「五箇条の御誓文」の朗唱、伊勢神宮への参拝・宿泊…。大阪市淀川区に超ユニークな教育を園児に施している幼稚園がある。塚本幼稚園幼児教育学園。安倍晋三首相夫人が同園を訪れたとき、園児らのかわいらしくもりりしい姿を見て、感涙にむせんだという。さて、その塚本幼稚園の籠池泰典園長が、小学校運営に乗り出している。現代教育のゆがみをも映し出すその理由とは-。(以下略)。
産経新聞(2015年1月8日)の記事です。
http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080001-n1.html
産経新聞ですから当然のことですが、絶賛しています。
安倍昭恵さんは、土地売却問題で騒がれている今も、森友学園を擁護しているのでしょうか。
こちらは毎日新聞(2017年2月24日)の記事です。
森友学園に感謝状「取り消しも検討」
(略)
籠池氏との関係については「面識はあるが、ここ10年は会っていない」と説明した。
https://mainichi.jp/articles/20170223/k00/00e/010/264000c
籠池森友学園理事長は政治家とのつき合いが昔からあるわけです。
(追記)
森友学園問題をネットで調べると、いろいろ出てきます。
安倍首相は「妻は講演料も受け取っていない」と答弁していますが、安倍昭恵さんは謝礼をいただいています。
https://hbol.jp/131054
疑惑の森友学園、理事長が安倍首相に反論 「名誉校長就任は事前承諾だった」
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni9?utm_term=.cyqlv4vK1#.ttKbEAE5e
報道ステーションのインタビューで、中国人の子供がいじめられて退園したことを問われた籠池理事長は、「我々の教育方針とは合わないわけでしょ。それなのにどうして入ってきたの。ちょっとおかしいんじゃないかなって。変な人ですよ。おぞましい」と話しています。
安倍昭恵さんは籠池理事長のこういう発言をどう思っているのでしょうか。
「おぞましい」は今年の流行語大賞にしてもらいたいです。
http://yuruneto.com/kagoike-ozomasii/
森友学園の小学校認可については松井大阪府知事も無関係ではないと、上西百合子議員がツイートしています。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=123807
稲田防衛相も籠池理事長とは親しいようで、本当に10年間も会っていないのでしょうか。
https://dot.asahi.com/wa/2017022800056.html?page=2
稲田防衛相の、「戦闘」ではなく「武力衝突」だという言い換えは、「全滅」を「玉砕」と言い換える大本営発表と同じです。
反日の中国や韓国の人がいたら、その人たちをぼろかすにけなして、さらに反日になるように仕向けるのではなく、親日派になるように努めるのが愛国者であり、教育者ではないかと思います。
リチャード ・リンクレイター『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』は、大学の野球部の寮での馬鹿騒ぎを描いた映画。
みんな極端なほど負けず嫌いで、卓球で負けると怒り出し、ラケットを投げつける。
自分がいかにすぐれているかを得々と語る。
自分の非を認めず、相手を攻撃し続ける。
映画だから笑ってみてるけど、そういう人が周りにいたら、あまりつき合いたくない。
プロ野球を目指す選手たちだからなのか、それともアメリカ人はそういう人が多いのか。
知人の話だと、日米の違いは言葉も影響するらしいです。
英語は主語の次に述語が続くが、日本語は、述語が一番最後になる。
日本語では、人の顔色を見ながら最後の述語で全く反対のことが言えてしまう。
たとえば、「今日私は花火に行きたい/行きたくない」という文章。
周りの人がどうも行きたくなさそうだったら、自分は本当は行きたいのに、「行きたくない」って言えてしまえる。
でも、英語の場合は、「私は」の後にすぐ意思表示しないといけないので、人の顔色なんて見る余裕はない。
英語と日本語の構造から来る国民性の違いということで、知人の説明になるほどと納得しました。
では、何を自己主張するか。
自己正当化と自己優越性だと思います。
自分がいかにすぐれているか、『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』では子供のように自慢してますが、その点ではトランプ大統領も伝統的なアメリカ人といえそうです。
高い自己評価 否定には反論
「数日で過去にないほどのことをやり遂げた」。トランプ大統領は26日、共和党の会合で就任7日間で着手した政策を紹介し、拍手に対し満足そうにうなずいた。こうした自画自賛も「トランプ・スタイル」の特徴だ。その高い自己評価が傷つけられたと感じると、攻撃性が強まる傾向が浮かぶ。最近顕著なのが、20日の就任式の参加者数と、昨年11月の大統領選での得票数で示す「こだわり」だ。
米メディアは過去最多の180万人を集めたとされる8年前のオバマ前大統領の就任式の写真と比較して、今回の参加者数は大幅に少なかったと報じた。トランプ氏は21日、「150万人ぐらいに見えた」と人気を強調。スパイサー報道官に「報道は間違い」と強弁させた。トランプ氏は25日のABCテレビのインタビューでも「テレビなどを含めた合計は史上最大だ」と「1番」を主張し続けた。
得票数では、民主党のクリントン候補に約280万票の差をつけられた。選挙からは2カ月以上が経過したが、今月23日の議会指導部との非公開の会合で改めて「300万から500万票」の違法な投票があったと根拠なしに主張。ABCにも「違法な投票をした人たちは全員、ヒラリー(クリントン氏)に投票した」などと話した。25日には「不正投票について大がかりな調査を依頼する」とツイート。近く大統領権限で調査を命じる見通しだ。
トランプ氏が10代に通った「ニューヨーク軍事アカデミー」の恩師は「何でも1番になりたいと思う生徒だった」と振り返る。ニューヨーク市立大学のサンフォード・シュラム教授(政治学)は、「幼稚で、人々が自分を偉大だと思ってくれないとうそをつき、攻撃する。気質的に大統領に向いていない」と指摘している。(毎日新聞1月28日)
別の知人と話をしてて、日本人はすぐに「すいません」と言うが、アメリカ人は謝ることをまずしないから疲れると言ってました。
その知人が知っている日本在住のイギリス人は、電話をするとまず「sorry」と言うそうで、そのためか日本になじんでいるいるそうです。
たしかに「すいません」と「どうも」で会話は成立するというのは楽です。
カジノを含む統合型リゾート(IR)整備を促す議員立法の「カジノ法案」が2日午後、衆院内閣委員会で自民、維新の会などの賛成多数で可決した。民進党が抗議する中で、採決が強行された。自民党などは6日の衆院本会議で法案を通過させ、参院に送付し、今国会での成立を目指す。(エコノミックニュース12月3日)
知人との会話。
「カジノを合法化して、その収益で依存症の治療に当てるというのは矛盾だ」
「カジノを認めるんだったら、覚醒剤や大麻の売買や使用も認め、そのもうけで薬物依存症者の治療をしたらいい」
「金さえ儲かったらいいのか」
公金を着服、横領したというニュースは珍しくありません。
理由のほとんどが、ギャンブルにはまってとか、ギャンブルで借金を作り、とかです。
賛成した国会議員、カジノを誘致しようという自治体の知事、市長、職員には帚木蓬生『ギャンブル依存国家・日本』を読ませるべきです。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/a334b95d32ceeb19213d3ca5d59a1de9
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/f391919374e4c0d84b09779868c39dde
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/bf1b3ec119ea1c645550f5528b4cf62d
カジノ法案に賛成する議員は、憲法改正、原発再稼働にも賛成しているように思います。
目先のことしか考えない依存症タイプのようです。
(追記)
「大阪府の松井一郎知事(日本維新の会代表)はカジノ法案の衆院通過を受けて「IRは観光立国・日本を目指すために必要なツール。大きな一歩だ」と歓迎。参院でも迅速な成立を求め、「外国人観光客が1000万人増え、1兆円の消費拡大が見込め、雇用、所得も増える」とメリットを強調した。依存症増加などへの懸念には「IRを見たことも聞いたこともない人の発想だ」と切り捨てた。」(毎日新聞12月7日)
松井知事はギャンブルの弊害について見たことも聞いたこともないようです。
「報道ステーション」での街頭インタビューでも、ある人は「中国から大勢やって来て金を落としてくれる」と、取らぬ狸のなんとかを言ってました。
外国人観光客がどれくらい来るのかを試算したのでしょうか。
カジノが儲けるためには誰かが損をしないといけないわけで、人の不幸を期待するというのも浅ましい話です。
安楽死・尊厳死を主題にした映画が増えているように思います。
『君がくれたグッドライフ』(筋萎縮性側索硬化症)、『或る終焉』(末期ガン)、『ハッピーエンドの選び方』(病名は不明)、『母の身終い』(脳腫瘍)、『アリスのままで』(認知症)などがそうで、以前にも『海を飛ぶ夢』(頸椎損傷)、『ミリオンダラー・ベイビー』(頸椎損傷)、『ジョニーは戦場へ行った』などの作品がありました。(未遂も含む)
これらの映画をすべて見たわけではないのですが、ネットで調べると、安楽死・尊厳死を肯定的に描いているようです。
安楽死・尊厳死とは何かを私たちが知っているかというと、はっきりしておらず、無駄な延命治療は患者を苦しませるだけだというイメージが先行しているように思います。
児玉真美『死の自己決定権のゆくえ』によると、安楽死・尊厳死には次の三種類があります。
・消極的安楽死 治療を差し控えたり中止することによって結果的に患者の死を早めたり招く行為
・積極的安楽死 致死薬を注射するなど積極的な行為を行うことによって患者を死に至らしめる行為
・医師による自殺幇助 自殺希望のある人が自分で飲んで死に至ることができるよう医師が致死薬を処方するなどの行為
先にあげた映画はいずれも本人の意思に基づく積極的安楽死、もしくは医師による自殺幇助です。
張賢徳「自殺の心理、遺族の心理」(『わたしも大事 あなたも大事』)に、「自死」と「自殺」という呼称の問題について語られています。
「自殺」という言葉が嫌だという遺族が多く、「自死」が使われるようになったが、自死という言葉には、自分が自ら意志的に選んだ死だというニュアンスが入ってしまう。
自殺には、理性的な自殺とそうではない自殺があり、理性的な自殺とは、精神的な変調がなくて、本人の理性的な判断で決断された自殺のこと。
エンペドクレスや藤村操がその例でしょうか。
自らの意志で死を選ぶのは極めて例外で、ほとんどの自殺はうつ病など精神的な変調が介在している自殺が圧倒的に多く、自殺の9割は精神科の診断がつく。
安楽死・尊厳死も理性的な自殺である。
仮に自ら選んだ死だとして、それをどうするのかという問題もあります。死にたい、死にたい、という訴えに対して、ああそうですか、死になさい、という社会は、あまりにも冷たいのではないか。これは、尊厳死とか安楽死をどう考えるかという、社会の問題にもつながると思います。
児玉真美氏によると、3カ国とアメリカの3つの州には、一定の条件下で医師による積極的安楽死、または自殺幇助を認める法律があり、ウツ病など精神障害によって自殺を希望している懸念がある人にも致死薬を処方する医者もあるそうです。
「死にたい」という訴えに対して、「ああそうですか。ではお手伝いしましょう」という社会に現実はなっているわけです。
安楽死・尊厳死という形による死を自らが選ぶことを認めるなら、希死念慮の強い人にも安楽死・尊厳死を認めるべきだということになります。
安楽死・尊厳死の推進と自殺の防止とは矛盾しているように思います。
ガンなどにしても、本当は助かる可能性があるのに、安楽死・尊厳死を選ぶ人だっているかもしれないわけで、「ハッピーエンド」だと自画自賛するのはどうかと思います。
安楽死・尊厳死といった美しい名称ではなく、自らの意志で死を選ぶわけだから、自殺死とすべきではないでしょうか。
先日、雨の中を自民党の国会議員さんが我が家を訪れて「○○をよろしくお願いします」と言って、自民党の政策パンフレットを置いていかれました。
パンフレットに「政治は国民のもの」とあります。
国民主権ということでしょう。
ところが、自民党の国会議員のなかには国民主権を否定している人がいます。
「創生「日本」東京研修会 第3回」(平成24年5月10日)での長勢甚遠元法務大臣の発言です。(14分58秒ぐらいから)
なぜ反対かと言うと、一番最初にどう言っているかというと、自民党はですね、国民主権、基本的人権、平和主義、これは堅持するって言ってるんですよ。みなさん、この三つはマッカーサーが日本に押しつけた戦後レジームそのものじゃないですか。この三つを無くさなければですね、ほんとの自主憲法にはならないんですよ。ですから私は自民党員ですけども、この草案にはですね、反対なんですよ。(拍手で聞き取れず)
我々自身、戦後レジームの一員になっているんですよ。たとえば人権がどうだとか言われたりすると、平和がどうだとか言われたりすると、おじけつくじゃないですか。我々が小学校からずっと教えこまれてきたからです。これを建て直すのはなかなか大変な作業です。みんなで力を合わせて頑張りましょう。
西田昌司参議院議員は、「週刊西田一問一答」の「ネット騒動になった天賦人権論について」(平成24年12月25日)でこんな意見を述べています。(1分48秒ぐらいから)
しかし、なぜそういうことを言っているかというとですよ、そもそも私は戦後の憲法ができたときの経緯も、書いてある価値観も含めてですね、まったくおかしいところがたくさんあると。だからこれは否定する立場なんですよね。
それと、まったく違う憲法を出してきた人がいて、その中で議論する中で出てきたんですが、「国民主権というのは当たり前じゃないですか」ということを田原総一郎さんが言ったんですよね。
しかし、そこの当たり前だと思っていることを、なぜ国民主権というのがあるのかということを、もっと考えなきゃならないと、こういうことですよ。つまり、日本人が日本の国で主権者だと。つまり、韓国人じゃなくて日本人が主権者。アメリカ人じゃなくて日本人が主権者。これ、当たり前のようだけど、変じゃないですか。
つまり、人間だから同じなんだから、日本人だろうが、韓国人だろうが、アメリカ人だろうが、もっと言えばですよ、北朝鮮の人であろうがですよ、同じ人間として、日本でも外国人も日本人と同じだけの権利が当然保障されてもいいんじゃないかと。
ところが、日本人しか主権、つまり国政の、要するに法律を決めたり、国会議員を選んだりですね、そういう権限ですよね、それはないんですよ。じゃ、なんでということを考えてくださいよ。
そうすると、人権がですよ、天から賦与されていると、人権は生まれながらにしてですね、人の権利は、人権というのは、侵しがたい、絶対的なものだという論法からするとですよ、主権が日本人にあるというのが説明できないですよ。日本人だからあるわけですからね。だから、それは人権と言いながら、人の権利じゃないんです。国民の権利なんですよ。
では、国民の権利とは何かと言うと、国民というのが他の人と違うのは何かと。日本人が国籍を持っている意味は何なのかというとですね、たしかに国籍法で日本国籍を持っているということになるんですが、一番の原則は、どこまでいっても日本人の子供というのが日本国籍を持つことの一番の意味なんです。
じゃ、なんで日本人の子供が主権があるのかと言うと、この日本人の、我々の子供ということは、つまり我々の先代の日本人、そのまた先代の日本人をはじめですね、我々の先人がこの国を作って、築いて、守ってですね、こんにちまで伝えてきた。その努力とね、義務を果たしてきた正統な後継者、相続人なんですよと。だから、親の権利が、義務が、我々にも相続されて、権利として主権がある。義務としてさまざまなものがまたあると、こういうことですよ。だから、相続権なんです。日本人としての相続権を我々は主権と呼んでいるわけなんですね。
そう考えると、それぞれの国、地域によって当然、北朝鮮なら北朝鮮、アメリカならアメリカの相続人としての権利があるわけです。それがそれぞれの国の国民の主権なんです。
だから、人民の、天から与えられたということじゃなくて、人民主権というね、そういう考え方じゃなくて、その国、その国の歴史に基づいた権利というのがですね、その国の主権者の一番の理由でしょうと、こういうことなんですよ。
だから、国民主権と。国民主権でいいんですけど、要するに、その意味は何かと考えてみると、私が偉いんじゃないんですよ。国民が偉いんじゃなくて、我々の先人の相続人としての権利だと。もう少し、一歩ね、謙虚な姿勢で我々の権利行使を考えなきゃならない。
当然ながら、権利行使の裏には義務があるわけですよね。この国を守っていくという、またこの国の伝統を伝えていくという義務がある。その義務とセットになっている権利なんですよね。そのことがわかっていない人が多すぎるんですよね。だから、国民主権と言った瞬間、日本人はね、国民が一番上なんだと思っちゃうんですよ。
国民が一番上じゃないんだと。国民の上に先人がいるんですよ。先人の権利を我々が継承していると。そういう意味で、国民主権というのはおかしいんですと、そういう言い方をしているわけですよね。
反訳がありますが、話そのままを文字かしたものではありません。
西田昌司氏は国民主権と基本的人権をごっちゃにしているようだし、国民主権=相続権という考えです。
はたしてその意見は正しいかどうか、「主権」の意味をネットで調べました。
2 国家が他国からの干渉を受けずに独自の意思決定を行う権利。国家主権。
3 国家の政治を最終的に決定する権利。「国民―」
「主権在民」
国民主権を認めないということは、天皇に主権があるということになりますが、長勢甚遠氏や西田昌司氏はそのことには触れていません。
長谷部恭男氏は、近代以降の立憲主義は、さまざまな価値観・世界観を抱く人々の公平な共存をはかることを目的とすると説明しています。
多元的価値観・世界観を認めない創生「日本」の会員たちは、立憲主義の理念を否定しているわけです。
なぜ基本的人権を否定するかというと、マッカーサーの押しつけということよりも、自分たちの価値観に反する国民を認めたくないからだと思います。
自分たちが考える日本の伝統(=皇国史観)を守ること、そして私を捨て公に尽くすこと(=滅私奉公)が日本人としての正しい生き方だと考えているのでしょう。
そういう人たちが新しく作ろうとする「自主憲法」がどんなものか、推して知るべしです。
なお、自民党の政策パンフレットは憲法のことはまったく触れていません。
今月に入って、思いがけず入院するという事態になってしまいました。まさかと思いましたが、おかげさまで、一週間ほどで退院できてほっとしました。いつまでも若いつもりでいましたが、やはり、身も心も疲れていたのでしょうか。不徳の致すところと恥じ入るばかりです。
短い入院生活ではありましたが、入院中、様々な現実を目の当たりにして、深く考えさせられた毎日でした。
入院は、学生時代に一度経験したことがありますが、驚いたのは、当時に比べて医療の技術が飛躍的に進歩していたことです。当時はCTとかMRIなどといった医療機器はなく、医師の経験と勘が頼りだったように思います(実際当時誤診され、二度手術した経験があります)。
しかし、今は瞬時に人間を輪切りにしたり、血液や尿の検査結果が瞬時に出たり、パソコン上で瞬時に診察ができ、治療計画が出されるようになりました。的確な診断は、ある意味安心でもあり、恐怖でもありました。
病院は今、高齢者の方が多く、ほぼ満床の状態でした。私は、短期入院ということで高齢者の方が多い病棟になりました。
そこには、認知症の方や癌の患者さんが多く、朝になると「痛いよう、痛いよう」と一日中叫んでいるお婆さんがいたり、大声で「おーい」と怒鳴るお爺さんがいたり、夜中に車いすで徘徊するお爺さんと遭遇したり、身体が動かず、何回もトイレを失敗したお爺さんが、看護師さんに「すみません」と謝っている声を耳にしたりしました。
病気になったことは、仕方のないことですが、一週間ほどで退院できる見込みのある自分が申し訳ないような気がしました。
しかも、そんなお年寄りの方々に、医師や看護師をはじめとする職員の方たちは、当たり前のように一生懸命声をかけ、世話をされているのをカーテン越しに見聞きしました。そこには、一切の私情と妥協はなく、「いのち」に携わる仕事の重みを痛感しました。
病院という所は、まさに人の生老病死を引き受ける場所だと思いました。
古に、釋尊がこの生老病死を目の当たりにして、王子の身分を捨て、生死を離れる道を求めて出家したといいます。私はとても釋尊には及びもしない具縛の凡夫、屠沽の下類の身ですが、この時期に入院したことは、今後の自分の人生にとって決して無駄な時間ではなかったと思いました。
退院した翌日は、奇しくも東日本大震災から5年目を迎えた3月11日でした。「いのち」とか「生きる」ということへの問いかけが、どこかで傍観者となっている自分に投げつけられた思いがします。
今朝の朝日新聞で、鷲田清一先生が八木重吉さんの詩を紹介していました。
くものある日は くもは かなしい
くものない日は そらは さびしい
「くも」という言葉を「ひと」にかえて読んだら、言葉をなくしました。