三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

自死と自殺

2016年07月25日 | 日記

安楽死・尊厳死を主題にした映画が増えているように思います。
『君がくれたグッドライフ』(筋萎縮性側索硬化症)、『或る終焉』(末期ガン)、『ハッピーエンドの選び方』(病名は不明)、『母の身終い』(脳腫瘍)、『アリスのままで』(認知症)などがそうで、以前にも『海を飛ぶ夢』(頸椎損傷)、『ミリオンダラー・ベイビー』(頸椎損傷)、『ジョニーは戦場へ行った』などの作品がありました。(未遂も含む)

これらの映画をすべて見たわけではないのですが、ネットで調べると、安楽死・尊厳死を肯定的に描いているようです。
安楽死・尊厳死とは何かを私たちが知っているかというと、はっきりしておらず、無駄な延命治療は患者を苦しませるだけだというイメージが先行しているように思います。

児玉真美『死の自己決定権のゆくえ』によると、安楽死・尊厳死には次の三種類があります。
・消極的安楽死 治療を差し控えたり中止することによって結果的に患者の死を早めたり招く行為
・積極的安楽死 致死薬を注射するなど積極的な行為を行うことによって患者を死に至らしめる行為
・医師による自殺幇助 自殺希望のある人が自分で飲んで死に至ることができるよう医師が致死薬を処方するなどの行為
先にあげた映画はいずれも本人の意思に基づく積極的安楽死、もしくは医師による自殺幇助です。

張賢徳「自殺の心理、遺族の心理」(『わたしも大事 あなたも大事』)に、「自死」と「自殺」という呼称の問題について語られています。

「自殺」という言葉が嫌だという遺族が多く、「自死」が使われるようになったが、自死という言葉には、自分が自ら意志的に選んだ死だというニュアンスが入ってしまう。
自殺には、理性的な自殺とそうではない自殺があり、理性的な自殺とは、精神的な変調がなくて、本人の理性的な判断で決断された自殺のこと。
エンペドクレスや藤村操がその例でしょうか。
自らの意志で死を選ぶのは極めて例外で、ほとんどの自殺はうつ病など精神的な変調が介在している自殺が圧倒的に多く、自殺の9割は精神科の診断がつく。
安楽死・尊厳死も理性的な自殺である。

「自死」という言葉が、自ら選ぶというニュアンスを広めてしまうのであれば、精神科医として看過できません。自殺や自死の実態を見誤らせてしまう。自殺対策基本法ができる前の、個人が決めたことだから、責任の取り方だからということで認めてしまうようなところに、また逆戻りしてしまうのではないかなと思います。
仮に自ら選んだ死だとして、それをどうするのかという問題もあります。死にたい、死にたい、という訴えに対して、ああそうですか、死になさい、という社会は、あまりにも冷たいのではないか。これは、尊厳死とか安楽死をどう考えるかという、社会の問題にもつながると思います。


児玉真美氏によると、3カ国とアメリカの3つの州には、一定の条件下で医師による積極的安楽死、または自殺幇助を認める法律があり、ウツ病など精神障害によって自殺を希望している懸念がある人にも致死薬を処方する医者もあるそうです。
「死にたい」という訴えに対して、「ああそうですか。ではお手伝いしましょう」という社会に現実はなっているわけです。

安楽死・尊厳死という形による死を自らが選ぶことを認めるなら、希死念慮の強い人にも安楽死・尊厳死を認めるべきだということになります。
安楽死・尊厳死の推進と自殺の防止とは矛盾しているように思います。
ガンなどにしても、本当は助かる可能性があるのに、安楽死・尊厳死を選ぶ人だっているかもしれないわけで、「ハッピーエンド」だと自画自賛するのはどうかと思います。
安楽死・尊厳死といった美しい名称ではなく、自らの意志で死を選ぶわけだから、自殺死とすべきではないでしょうか。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ディーデリク・エビンゲ『孤... | トップ | 帚木蓬生『安楽病棟』 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
生まれることは祝福なのか? (万年中年)
2018-01-14 10:47:55
 重篤な病気を抱えているという状況を描いているけど、この世に対して広く生き辛さを抱える人が多くなっていることが、映画が安楽死・尊厳死への関心を強めているということですかね。
 安楽死法を制定しているオランダでも、宗教への関心が薄れてるそうですね。神を信じていると答えた人が14%だとか。他の欧州諸国も似たり寄ったり。 http://www.portfolio.nl/bazaar/home/show/1289
 最近では変わってきたといわれるけど、カトリックなどでも、「神様から与えられた(一回ぽっきりの)命を自ら断つ」ということで自死・自殺は良くないということだし、死刑に対しても神様の与えたもうた命を、国家というのか他者が奪うということは許されないのだというのがざっくりした考えだと思うのですが。
 神も仏もいない。死後の世界もない。生まれ変わりもないということなら、この世がすべて。この世でうまくいかない、この世が苦痛、であるなら安楽死も自殺も許容範囲ではないでしょうかね。
 国家の上に立つ神のような原理を立てないなら国家はその成員の安全を守るとともに、外国からの攻撃・脅威に対して反撃する機能・権限を持ち、治安を乱す者に対しては制裁を加える。これがリアリズムかな。
 京大のカール・ベッカーさんなら、臨死体験がある→死後の世界がある。ゆえに自殺はしてはならない、のような論理を展開されます。お坊さんたちは、娑婆のことについてあれこれ言われる人がいますが、何を根拠に言われてるのかよくわからないことが多いです。死刑に対しては「われわれは不殺生の教えをもつものだから。。。」と言われる人がいますが、不殺生が徹底できないのが肉食に対して台湾素食で代替しようともしないし、実験動物に対して何のやましさも持たないということだろうし。。。
 https://www.youtube.com/watch?v=zdWolRTA4ZI 
死は祝福なのか (円)
2018-01-15 16:44:16
張さんの文章を、家族が自死した方は、あれはおかしいと言われてました。

何度か書きましたが、安楽死を認めることは、太田典礼的な考えに陥ってしまいかねないと思います。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/b7634a94e5bfede31ae3b512b3d11dc9
ですから、安楽死を肯定する映画や小説は問題が大ありだと考えています。

安楽死を選ぶ人は、死んだらこれっきりと思っているんですかね。
人間として生まれ変わると説く宗教の場合、自殺は人生のリセットということになりかねないんじゃないでしょうか。

これまた前に書いたことですが、私の死刑反対論への批判です。
「お坊さんでしたら"死刑回避"っていう"現世利益"にこだわらず、むしろ来世での救い、死を受け入れて浄土への往生を諭すのがお仕事なんじゃないのかしら?っと思うわけで。現世利益にこだわるのは学会さんだと思っていました。むしろ罪を悔いて刑に服し救済を願う。そのときに"南無阿弥陀仏"っと唱えることで、阿弥陀様が浄土に連れていってくださるのではって。そう諭すことが真宗の僧侶の仕事であって、死刑・・・厳罰化に反対するのが本来の仕事ではないと、感じたりとか。なんか、ちょっと・・・ずれてる気がして。」
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/bbd6891c36a8fa0e5e6dbece67ed6443
「死刑」を「安楽死」と言い換えてもいいですよね。
死後往生を説く人は、この方の意見にどう答えるのかと思ってます。
Rejoice When You Die ! (万年中年)
2018-01-15 18:02:37
 黒人のジャズ葬https://www.youtube.com/watch?v=InqnQ8vU3DU

 つぎの文章によると「行き」は荘重な感じの曲で、「帰り」はご陽気にということ。なるほどyou tubeでいろいろあるジャズ葬で割としんみりしてるのは「行き」なんですね。
 http://u0u0.net/I2jK

 で、日本人のジャズ葬。演奏者も二人だし、ニューオリンズのノリとは違いますが。。。
https://www.youtube.com/watch?v=StCzKbNPdh0

 >キリスト教では神の御前(みまえ)に行けるということで、死は喜び、祝福されるべきものとされているくらいです。しかし、アメリカには明るく見送る葬儀があるのです。
ニューオーリンズを中心とする黒人の葬儀です。辛く苦しい奴隷生活。
死を以(も)ってようやくその苦しみから逃れられ、真に神に祝福される天国へと旅立てるのです。
 http://sougi-sakura.com/blog/music/jazz/
献歌 (円)
2018-01-16 18:15:47
時々、お葬式の最後に献歌があります。
初めてのときは、「けんか」とは何なのかと思いました。
バイオリンとフルートの組み合わせが多いようです。
個人が好きだった曲が演奏されます。
義兄のお葬式では、エレクトーンで長渕剛の曲が流れ、お坊さんのお経よりもよっぽどありがたかったです。

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事