今頃になると、北海道の河川ではもう鮭の遡上は終わりを告げる。
鮭の遡上はあまり美しいものではない。海では銀色に輝いていた身体を、オスもメスも婚姻色(紅色)に染め、最期の力を振り絞り傷だらけになりながら人生最後の仕事、『産卵』のために川上に向かう。
その姿はまさに“生”そのものだ。綺麗とか美しいではなく、凄いとか厳しいという表現になる。
それは何のために“生きる”のかではなく、“生きる”壮絶に、“生(せい)”を突き詰めると“ただ生きる”ということに尽きる気がする。
鮭の遡上はあまり美しいものではない。海では銀色に輝いていた身体を、オスもメスも婚姻色(紅色)に染め、最期の力を振り絞り傷だらけになりながら人生最後の仕事、『産卵』のために川上に向かう。
その姿はまさに“生”そのものだ。綺麗とか美しいではなく、凄いとか厳しいという表現になる。
それは何のために“生きる”のかではなく、“生きる”壮絶に、“生(せい)”を突き詰めると“ただ生きる”ということに尽きる気がする。