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アントニオ・カルロス・ジョビン (53)「メディテイション」エウミール・デオダート、ブロッサム・ディアリー

 

 

 1970年代以降"ツァラストラは語り"きなど多くのヒット曲、ベスト・セラー・アルバムをリリースしたエウミール・デオダート(Eumir Deodato)(1943年~)の記念すべきデビュー・アルバム「Inutil Paisagem」(1964年)から"メディテイション(Meditacao)"です。「Inutil Paisagem」は彼が尊敬するアントニオ・カルロス・ジョビンの作品集で、ジョビンがアルバムの解説を書いています。

 

  

 

 永遠のカマトト・ヴォーカリスト、ブロッサム・ディアリー(Blossom Dearie)が、英国のFONTANAレコードに録音した3枚目のアルバム「Soon It"s Gonna Rain」(1967年)から"メディテイション"です。

 ブロッサム・ディアリーといえば少女のような可愛い声だけ取り上げる人もいますが、ジャズ・ミュージシャンとして一流で、ピアノとヴォーカルも上手くスウィング感もあります。1950年代にチャーリー・パーカーー(Charly Parker)、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)、エラ・フィッツジェラルド(Ella Fitzgerald)など超一流ジャズ・ミュージシャンのアルバムを録音していたノーマン・グランツ(Norman Granz)のVerveレーベルで、アルバムを何枚も録音していることからもそのことが分かります。

 

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アントニオ・カルロス・ジョビン (52)「メディテーション」アストラッド・ジルベルト、ジョニー・ソマーズ

 

 

 ジョニー・ソマーズ(Joanie Sommers)がローリンド・アルメイダ(Laurindo Almeida)と共演したアルバム「Softly the Brazilian Sounds」(1965年)から"メディテーション(Meditacao)"です。

 ジョニー・ソマーズはポップス歌手として"内気なジョニー" "ワン・ボーイ""すてきなメモリー"などのヒット曲もありますが、ファースト・アルバム「Positively the Most」(1960年)はアート・ペッパなどが参加したジャズ・ヴォールでした。もともとジャズも歌える実力派なので、「Softly the Brazilian Sounds」もローリンド・アルメイダの編曲とジョニー・ソマーズのややハスキーでソフトなヴォーカルが素晴らしい第一級のボサノヴァ・アルバムに仕上がっています。

 

 

 

 アストラッド・ジルベルト(Astrad Girbert)のファースト・アルバム「The AStrd Gilbert」(1965年)から"メディテーション(Meditacao)"です.。

 このアルバムはドリヴァル・カイミ"Dorival Caymmi)の"...and Roses and Roses"以外はジョビンの曲で「アントニオ・カルロス・ジョビン集」と言って良い内容です。アレンジがジャズ畑のマーティー・ペイチMarty Paich)で、ボサノヴァのつぼを押さえた美しいアレンジです。

 

 

 

 

 

 

 

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A・C・Jobim ㊿ 「メディテイション」 ジョアン・ジルベルト

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Calros Jobim)が1958~59年に作曲した”メディテイション(Meditacao、Meditation)"、作詞はジョビンの幼な友達で音楽家のニュートン・メンドーサ(Newton Mendoca)です。1960年代のボサノヴァ・ブームで、ブラジルだけでなく数多くの米国の歌手や演奏家がレコーディングしました。

 

 

 ジョアン・ジルベルト(Joao Girbert)の2枚目のアルバム「O Amor,Sorriso e a Flor (愛と微笑みと花)」(1960年)から"メディテーション(Meditacao)"です。アレンジ・プロデュースはファースト・ルバムと同じくアントニオ・カルロス・ジョビンです。

 

 

 

 ジョアン・ジルベルト、スタン・ゲッツ{Stan Getz)のアルバム「GETZ/GIRBERT #2(LIVE AT CARNEGIE HALL)から"メディテーション(Meditacao)"です。1964年10月にカーネギー・ホールで録音され、1966年にリリースされました。ベースはキーター・ベッツ(Keter Betts)、ドラムはタンバ・トリオ(Tamba Trio)の名手エリシオ・ミリート(Helsio Milito)です。ジョアン・ジルベルトの歌は1960年の録音よりもさらに力が抜け,囁くようなヴォーカルになっています。

 

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A・C・Jobim ㊿「想いあふれて(No More Blues)」スー・レイニー、カーメン・マクレイ

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Calros Jobim)作曲の”想いあふれて(Chega de Saudade)”は、”No More Blues"のタイトルで英語詞が付けられ、ジャズ・ミュージシャンに演奏されています。ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)、クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)、ジョー・ヘンダーソン(Joe Henderson)、チャーリーバード(Charlie Byrd)、ハリー・アレン(Harry Allen)、ダスコ・ゴイコヴッチ(Dusko Goykovich)など多くの人たちが演奏していますが、これはというお勧めの演奏がなく、ジャズ・ヴォーカルのスー・レイニー、日本公演でのカーメン・マクレイが最も良いのではと思います。

 

 

 スー・レイニー(Sue Raney)(1940生~)は14歳でジャック・カーソンのラジオ・ショーでプロとして歌い始め、キャピトル・レコードからネルソン・リドル(Nelson Riddle)のアレンジとオーケストラでデヴューアルバム「When Your Love Has GOne 」をリリース。17歳とは思えぬ見事なヴォーカルでスタンダード・ナンバーを歌っています。1960年代にはビリー・メイ(Billy May)、ラルフ・カーマイケル(Ralph Carmaichael)などのアレンジで8枚のアルバムを録音、オードリー・ヘップバーンの映画「暗くなるまで待って」(1968年)の主題歌をレコーディングしています。

 1983年にはジャズ・コーラス・グループ「LA Voices」に参加、アルバムはグラミー賞にノミネートされました、また1983年から1987年にはボブ・フローレンス(Bob Florence)トリオ、バンドで4枚のアルバムをDiscovery レコードからリリース、なかでは「Ridin High」(1984年)が一番好きです。

 UPしたのはアルバム「Ridin High」から”No More Blues”です。もともと上手い歌手なので、ジョビンのボサ・ナンバーでもスィング感いっぱいに歌いこなしています。

 

 

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 カーメン・マクレイ(Carmen Mcrae)の1987年の日本公演を録画したLDから「No more Blues」です。バックのピアノ・トリオのはあまり名前を聞かない人たちですがスィング感にあふれた名演奏です。カーメン・マクレイはアルバム「AT Great American Music Hall」(1977年)でもこの曲を歌っていますが、こちらのほうが良いと思います。このLD は2010年にDVDで再発されています。

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A.C,Jobim ㊾ 「想いあふれて」 ”Inedito" ”The Composers of Antonio Calros Jobim"

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンは”想いあふれて(Chega de Saudade)”を3回録音しています。自身のファーストアルバム「The Composers of Antonio Calros Jobin」(1963年)、「Inedito」(1987年に関係者のみに配布されたプライベート録音で、1994年に公式リリース)、「Em Minas ao Vio」(1981年ライブ録音され、2001年にリリース)です。

 UPしたのは「Inedito」からです。このアルバムははジョビン・ファミリーと呼ばれる家族と友達から構成されたバンドの演奏で、”想いあふれて(Chega de Saudade)”の録音のなかではベスト・テイクだと思います。

 

 

 

 「The Composers of Antonio Calros Jobin」から”想いあふれて(Chega de Saudade)”です。クラウス・オーガーマンのオーケストラに続いて、ジョビンのピアノ演奏が始まると、改めてこの曲は美しいメロディーだなと再認識してしまいます。

 

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ACジョビン ㊽「想いあふれて」オス・カリオカス、ナラ・レオン

 

 ブラジル最高のコーラス・グループと言われたオス・カリオカス(Os Cariocas)の”想いあふれて(Chega de Saudade)”です。

 1958年にはアントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)が、ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)のレコーディングをオデオンレコードで実現させようと努力していたので、ジョアン・ジルベルトはそれまで待つつもりでいまた。しかし友人の歌手ルイス・クラウヂオがコロンビアで録音するのをあまりにも勧めるので、5月にはコロンビアのスタジオへ行き、”ビンボン(Binbon)”をディレクターらの前で歌いましたが、冷たいあしらいを受け、レコーディングはできませんでした。

 ジョアンはスタジオから帰るときコロンビア社内の廊下で、まさに”想いあふれて”を録音するオス・カリオカスと出会いました。彼らはメンバーのルイス・ホベルト(ジョアンと安宿で同室だった)からこの曲を教えられ、絶対にレコーディングしようと決めていました。ジョアンに”まだあのバチーダ(ギターのリズム・きざみ)ができないんだよ”と言うと、”僕がやってあげるよ”と言って、一緒にスタジオに入り匿名で録音に参加しました。オス・カリオカスの”想いあふれて”は、1958年代後半にジョアン自身のレコードがリリースされた後でようやく発売されました。  「ボサノヴァの歴史 ルイカストロ著 」(音楽之友社)より

 

 

 

 ナラ・レオン(Nara Leao)のアルバム「dez anos depois」(1971年)から”想いあふれて”です。ナラ・レオンは1965年には当時のブラジル軍事独裁政権への反抗、プロテストから「アンチ・ボサノヴァ」発言をしましたが、パリに亡命後のこのアルバムは見事なボサノヴァ・アルバムに仕上がっています。

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A・C・ジョビン ㊼ "Eu Sei Que Vou Te Amar" マリア・クレウーザ、トッキーニョ、レニータ・ブルーノ

 

 マリア・クレウーザ(Maria Creuza)、トッキニーョ(Toquinho)、ヴィニシウス・デ・モラエスVinicius De Moraes)の3人が集まって創られたアルバム「La Fusa」(1972年)から"Eu Sei Que Vou Te Amar"(あなたを愛してしまう)、作詞はヴィニシウスです。マリア・クレウーザの瑞々しくも飾り気のないヴォーカルが素晴らしいです。

 

 

 

 

 ブラジルの女性歌手レニータ・ブルーノ(Lenita Bruno)のアルバム「Por Toda Minha Vida」(1959nenn )から、"Eu Sei Que Vou Te Amar"です。このアルバムの曲は、殆どアントニオ・カルロス・ジョビンと詩人ヴィニシウス・デ・モラエスの作品で占められています。

 シルビア・テリスの「アントニオ・カルロス・ジョビン集」(1959年)と並んで、もっとも初期の「ジョビン集」です。ただレニータ・ブルーノは発声がクラシックに近く、気品があって美しいのですが、ボサノヴァにはあまり向いていないのではと思ってしまいます。

 

 

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A・C・ジョビン ㊻ 「フェリシダーデ」 アントニオ・カルロス・ジョビン

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「The Wonderful World of Antonio Carlos Jobim」(1966年)から”フェリシダーデFelicidade)”です。ジョビンの”フェリシダーデ”のファースト・レコーディングです。

 

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「Tom Canta Vinicius」から”フェリシダーデ”です。1991年にブラジル銀行ホールで行われたヴィニシウス・デ・モラエスVinicius de Moraes)没後10周年のライブ録音で、2000年にリリースされました。参加アーティストはジョビン・ファミリー・バンド、Paula Mrelenbaum(Piano ,Vocal)、Paulo Jobim(Vocal)、Danilo Caymmi(Flute)、Jaques Morelenbaum(Cello)です。

 

 

 

 アントニオ・カルロス・ジョビンが1985年に関係者向けにプライベート録音し、1994年に正式にリリースされた「Inedito」から”フェリシダーデ”です。

 

 

 

 

 

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A・C・ジョビン ㊺ 「フェリシダーデ」ジョアン・ジルベルト、シルヴィア・テリス

 

 

 

 ジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)が歌う映画「黒いオルフェ」の挿入歌”フェリシダーデ(Felicidade)"です。ジョアン・ジルベルトは映画のオーディションに参加しましたが、アゴスチーニョ・ドス・サントスが選ばれました。「ボサノヴァの歴史」には、”もしジョアン・ジルベルトがオーディションに合格していたら、歴史上最も弱弱しいオルフェウスになっていただろう”と書かれていました。1959年の録音です。

 

 

 

 シルヴィア・テリス(Sylvia Telles)のアルバム「アントニオ・カルロス・ジョビン集」(1959年)から、”フェリシダーデ”です。

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A・C・ジョビン ㊹ 映画 「黒いオルフェ」より ”フェリシダーデ” アゴスティーニョ・ドス・サントス

 アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)とヴィニシウス・ヂ・モラエス(Vinicius de Moraes)の1956年の戯曲「オルフェウ・ダ・コンセイサォン(Orfeu Da Conceicao)」を映画化したいというフランスの映画プロデューサーの申し入れが1950年代後半にあり、1959年に「黒いオルフェ(Black Orfeus)」のタイトルでマルセル・カミュ(Marcel Camus)監督で映画化されました。ただ映画化の際に音楽は変えるという条件だったので、アントニオ・カルロス・ジョビンとルイス・ボンファ(Luiz Bonfa)が、新しく音楽を作曲しました。

 オリジナル・サウンドトラックはルイス・ボンファ作曲の「黒いオルフェ」のテーマ曲”カーニバルの朝(Manha de Carnaval) ”や、アントニオ・カルロス・ジョビンの”フェリシダーデ(Felicidade)”など名曲が収録されています。

 映画はカンヌ映画祭でパルムドールやアカデミー外国映画賞を受賞して世界中でヒットしました。私はこの映画を観ましたが、前半から中盤まではサンバやボサノヴァが流れ、カーニヴァルの踊りも躍動感があって素晴らしいのですが、後半になって全身黒タイツの死神がでてきてからは観念的になってしまいひたすら退屈でした。

 

 

 アゴスチーニョ・ドス・サントス(Agostinho dos Santos)(1932年生~1973年)はブラジルの歌手・作曲家で1953年の初レコーディングから、1958年にジョアン・ジルベルト(Joao Gilbert)で有名な”想いあふれて(Chega de Saudade)を吹き込むまで、20曲SPをリリースしています。その中にはビル・ヘイリー(Bill Harey)のロック・ンロールのカヴァーもあり、もともとは若い人向けの歌手でした。1959年に映画「黒いオルフェ」のオーディションに合格し、”フェリシダーデ”を歌い、一躍有名な歌手になりました。このオーディションにはジョアン・ジルベルトも参加していました。

 UPしたのは、1959年にレコーディングされた”フェリシダーデ”のギター・ヴァージョンです。アゴスチーニョ・ドス・サントスは”フェリシダーデ”を何回も録音していますが、このギター・ヴァージョンが一番良いと思います。

 

 

 

 アゴスチーニョ・ドス・サントスが1959年にレコーディングした、”フェリシダーデ”のボンゴ入りラテン・アレンジ・ヴァージョンです。

 アゴスチーニョ・ドス・サントスの”フェリシダーデ”は、この他にもアントニオ・カルロス・ジョビンのピアノ伴奏での録音、歴史的な1962年のカーネギー・ホールにおける「ボサノヴァ・コンサート」でのライブ録音があります。

 

 

 

 

 映画「黒いオルフェ」で使われた効果音入りの、”フェリシダーデ”です。

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