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日本幻景 #11 - 大正の図像

2014-11-16 18:51:49 | Bibliomania
『汝が碧き眼を開け』(セノオ楽譜56番)7版(昭和2年、初版は大正6年)

竹久夢二(たけひさゆめじ、1884-1934)
岡山県生まれ。早稲田実業学校在学中から雑誌にコマ絵を発表、明治42(1909)年のコマ絵集『夢二画集 春の巻』で脚光を浴びる。明治末から『月刊夢二カード』『月刊夢二ヱハガキ』をつるや画房より出版する。以降、挿絵、装幀、楽譜表紙などに独自の美人画や図案を展開し、生活の細部に関わる広範なデザインを試みている。関東大震災前、恩地孝四郎とともに「どんたく図案社」を計画するが震災で断念している




巌谷小波 『子寶(こだから)』 明治42年

杉浦非水(すぎうらひすい、1876-1965)
愛媛県生まれ。川端玉章に師事したのち東京美術学校日本画科に入学。一方で黒田清輝の天真画塾にも通い、明治末に黒田がパリから持ち帰ったアール・ヌーヴォーに刺激されデザイン画を描くようになる。明治41(1908)年、三越百貨店の嘱託となりデザインに才能を発揮する。大正前期にはウィーン・ゼツェッション(分離派)様式、大正末にはアール・デコ様式とスタイルを変えながら、デザイン界を牽引し続けた日本の商業デザインの先駆者




吉井勇 『毒うつき』 大正7年

橋口五葉(はしぐちごよう、1881-1921)
鹿児島県生まれ。はじめ橋本雅邦に師事したが、洋画に転じ東京美術学校洋画科に入学する。明治38(1905)年、夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』から始まる漱石本の装幀に関わる。三越呉服店の懸賞ポスターにおいて浮世絵風美人画で一等に当選した頃から、江戸文化に親炙(しんしゃ)し歌麿や広重など浮世絵研究をする。版元渡辺庄三郎による浮世絵復興をめざす新版画から「浴場の女」など幾多の名作を生む




尾山篤二郎編 『大正一萬歌集』 15版(大正14年、エジプト文様による異装版、初版は大正3年)

広川松五郎(ひろかわまつごろう、1889-1952)
新潟県生まれ。東京美術学校図案科に学び、在学中に与謝野鉄幹・晶子の新詩社に入る。高村豊周とは早くから親交があり装飾美術家協会を結成する。さらに高村、佐々木象堂らと革新的なモダニズムの工芸家集団「无型(むけい)」を結成し、金工、染色など多彩な作品を発表する。宮沢賢治の『春と修羅』をはじめ装幀も多く、花王石鹸の包装デザインなども手がける




「水魔」 昭和7年頃、版画

橘小夢(たちばなさゆめ、1892-1970)
秋田県生まれ。本名は加藤煕(ひろし)。心臓弁膜症だったため終生病弱と闘う。父は『秋田魁新報』創設の漢学者。洋画を黒田清輝、日本画を川端玉章に学ぶほか、早くから和歌も詠む。『淑女画報』『女学世界』などに描き始め、「小夢画会」や「憂奇世絵展覧会」などで作品を発表する。装幀、挿絵、版画集の発行などのほかに屏風や日本画も多数制作し、晩年には松竹歌劇、舞踏詩にも関心を持つ。古典文学や伝説に想を得た妖麗耽美な官能性のある画風を貫いた




ドミートリー・フルマーノフ著 『ソヴェート作家叢書 赤色親衛隊』 昭和6年

柳瀬正夢(やなせまさむ、1900-1945)
愛媛県生まれ。日本水彩画研究所に学ぶ。読売新聞社で漫画やカットを描き、大正10(1921)年、『種蒔く人』同人となる。大正12年、村山知義と「マヴォ」、翌年には三科造形美術協会の創立に参加。後に『無産者新聞』専属画家となり、日本プロレタリア文芸連盟の創立に参加。プロレタリア芸術運動を推進する。大正15年に日本漫画家連盟を創立




中河與一 『鏡に這入る女』 昭和8~9年頃

ラウル・デュフィ(Raoul Dufy、1877-1953)
フランス、ル・アーヴル生まれ。エコール・デ・ボザールのボナのアトリエに学ぶ。1905年頃マティスの影響でフォーヴィスムに転じ、以後、明るい色彩と軽快なリズムによる独自の画風を確立。音楽的な感覚に満ちた作品を多く残す。↑画像のタイトル・ロゴは、そんなデュフィがデザインの世界にも広く携わった一つとして「日本語の文字組み」に取り組んだ、珍しい例。いかにも外国人が日本語をなぞった金釘流のお習字になっておらず、当時流行の書体や文字組みの特徴を活かし、独自のタイポグラフィを成立させている





萩原恭次郎 『詩集 死刑宣告』 再版(大正15年、初版は大正14年)

岡田龍夫(おかだたつお、1904-没年不詳)
福岡県生まれか。大正11(1922)年、三科インディペンデント展に出品。その後「マヴォ」同人となる。大正14年には雑誌『マヴォ』の編集などを担当するとともに、エルンスト・トラー詩集『燕の書』、萩原恭次郎『死刑宣告』のリノカットを手がける。以降はマヴォの活動を継続するが、1930年代には満洲に渡り、のちに京城でフリー記者になったともいわれる。 –(以上の図版と略歴は、山田俊幸監修 『大正イマジュリィの世界』 ピエ・ブックス、2010年刊より)



大正イマジュリィの世界―デザインとイラストレーションのモダーンズ
山田 俊幸,谷口 朋子,瀬尾 典昭,竹内 貴久雄,辺見 海
ピエブックス

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