
ドラ・トーザン 自由は絶対王政や教会権力によって制約されてきました。ルソーやモンテスキューら18世紀の啓蒙主義の時代を経て、近代市民の手で獲得したものです。フランス革命時の人権宣言(1789年)で「人は生まれながらにして自由、平等である」とし、11条で「自由に話し、書くことは人にとっても最も貴重な権利の一つ」とうたっています。それは戦後の世界人権宣言や日本国憲法にもつながった考えです。でも、日本は今、物が言いにくい雰囲気で、全然自由ではないと思います。
久原穏 それは感じます。フランスの歴史的な重みは理解できますし、ヴォルテールの言葉とされる「私はあなたの意見には反対だ。しかし、それをあなたが言う権利は死んでも守ろうといった考え方も分からないではない。それでも「シャルリ」のやり方や、それを支持するフランス人の異常な「執着」は日本人には受け入れにくいです。
トーザン あそこまで執拗に風刺画を掲載し、ムスリム(イスラム教徒)の崇拝する預言者ムハンマドをばかにして笑えるのかと私も考えます。でも「あれはダメ」「これも話せない」と我慢するとか、気を付けましょうと忖度したら終わり。何でも自由に話し、書くことができるのは本当に尊い権利です。なぜ自由が最も大事か。それは壊れやすいもの、守らなければ簡単に失いかねないものだからです。せっかく手にした自由も、ナポレオン3世の治世下では新聞や書物の発禁処分が横行しました。
(中略)シャルリエブドは下品だし、表現は挑発的、過激すぎると分かっている。左派の人でも買う人は少なく、普通の人は読みません。通常の発行部数は3万とか4万程度でしたが、テロ直後の号は500万部も売れた。大嫌いな人でもシャルリをかばった。それはフランス人にとって宝物である「表現の自由」を守るため、失ってはいけないから。
(中略)シャルリは広告を載せないし、もちろん国の支援もない。あらゆるものから独立し、自らの責任で自由にやっている。結局、自由を主張する以上、自ら責任を負っているのは立派です。
久原 表現の自由も無制限ではなく、人種差別やテロをあおるのは禁じられています。フランスでは数年前に、宗教の風刺は罪に問われないという判例が出ていますが、弱者であるムスリムの心のよりどころであるイスラム教を風刺すべきではないという声は、フランスの知識層からも聞かれます。
トーザン 宗教の悪口は裁判で問われません。イスラム教だけでなくカトリックもユダヤ教も風刺の対象にしますし、自由を制限する権力すべてを対象にします。権力には抵抗し、デモをする。人と意見が違うことを良しとする国です。自由など個人の幸せを優先するのがフランスで、これに対し日本は皆が幸せだったら個人も幸せになるという考え方だから、正反対の国民性だと思う。 —(一部抜粋、風刺紙シャルリエブドを襲ったテロ事件について東京新聞2015年2月28日)
久原穏 それは感じます。フランスの歴史的な重みは理解できますし、ヴォルテールの言葉とされる「私はあなたの意見には反対だ。しかし、それをあなたが言う権利は死んでも守ろうといった考え方も分からないではない。それでも「シャルリ」のやり方や、それを支持するフランス人の異常な「執着」は日本人には受け入れにくいです。
トーザン あそこまで執拗に風刺画を掲載し、ムスリム(イスラム教徒)の崇拝する預言者ムハンマドをばかにして笑えるのかと私も考えます。でも「あれはダメ」「これも話せない」と我慢するとか、気を付けましょうと忖度したら終わり。何でも自由に話し、書くことができるのは本当に尊い権利です。なぜ自由が最も大事か。それは壊れやすいもの、守らなければ簡単に失いかねないものだからです。せっかく手にした自由も、ナポレオン3世の治世下では新聞や書物の発禁処分が横行しました。
(中略)シャルリエブドは下品だし、表現は挑発的、過激すぎると分かっている。左派の人でも買う人は少なく、普通の人は読みません。通常の発行部数は3万とか4万程度でしたが、テロ直後の号は500万部も売れた。大嫌いな人でもシャルリをかばった。それはフランス人にとって宝物である「表現の自由」を守るため、失ってはいけないから。
(中略)シャルリは広告を載せないし、もちろん国の支援もない。あらゆるものから独立し、自らの責任で自由にやっている。結局、自由を主張する以上、自ら責任を負っているのは立派です。
久原 表現の自由も無制限ではなく、人種差別やテロをあおるのは禁じられています。フランスでは数年前に、宗教の風刺は罪に問われないという判例が出ていますが、弱者であるムスリムの心のよりどころであるイスラム教を風刺すべきではないという声は、フランスの知識層からも聞かれます。
トーザン 宗教の悪口は裁判で問われません。イスラム教だけでなくカトリックもユダヤ教も風刺の対象にしますし、自由を制限する権力すべてを対象にします。権力には抵抗し、デモをする。人と意見が違うことを良しとする国です。自由など個人の幸せを優先するのがフランスで、これに対し日本は皆が幸せだったら個人も幸せになるという考え方だから、正反対の国民性だと思う。 —(一部抜粋、風刺紙シャルリエブドを襲ったテロ事件について東京新聞2015年2月28日)

1) Le poinçonneur des lilas (1958 - Du chant à la une !...)
2) La chanson de Prévert (1961 - L'étonnant Serge Gainsbourg)
3) Intoxicated Man (1962 - Serge Gainsbourg N° 4)
4) Juliette Greco / La javanaise (1963 - Single)
5) France Gall / Laisse tomber les filles (1964 - Poupée de Son)

6) Qui est "In" qui est "Out" (1966 - Initials B.B.)
7) Françoise Hardy / Comment te dire adieu ? (1968 - Comment te dire adieu) 作詞のみ

8) Brigitte Bardot et Serge Gainsbourg / Bonnie and Clyde (1968 - Bonnie and Clyde)
9) Brigitte Bardot / Harley Davidson (1968 - Brigitte Bardot Show)

10) Jane Birkin et Serge Gainsbourg / Je t'aime... moi non plus (1969 - Jane Birkin et Serge Gainsbourg)
11) Jean-Claude Vannier / Cannabis (Instrumental) (1970 - Cannabis OST)

12) Melody (1971 - Histoire de Melody Nelson)

13) Je suis venu te dire que je m'en vais (1973 - Vu de l'extérieur)
14) Variations sur Marilou (1976 - L'Homme à tête de chou)

15) Aux armes et caetera (1979 - Aux armes et caetera)
セルジュ・ゲンズブールは1928年生まれ、91年に死去したフランス人の音楽家で、俳優・映画監督・作家としても知られる。本名リュシアン・ギンスブルグといいロシアから渡ってきたユダヤ人の家系でもある。
地下鉄駅で切符を切り続ける改札係のことを歌った「リラの門の切符売り」①で1958年にデビュー。旺盛な反骨心、露骨な性愛賛美を漂わせる多くの曲を手がけ、不倫相手の女優ブリジット・バルドーと歌った「ボニーとクライド」⑧や3番目の妻のジェーン・バーキンと歌ったあえぎ声だらけの「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」⑩は国際的なヒットとなった。女性歌手フランス・ギャルに提供した「夢見るシャンソン人形」や同じくフランソワーズ・アルディに提供した「さよならを教えて」⑦は日本でも名高い。
1971年にはジャン=クロード・ヴァニエにサウンド面を委ねた大胆なコンセプト・アルバム『メロディ・ネルソンの物語』(⑫を含む)を発表。名盤として現在まで大きな影響力を持つ。しかし73年に心臓発作を起こし健康面に不安を抱えるも、飲酒・喫煙にふける生活はあらたまることなく、作品では近親相姦をほのめかしたりジャケで女装したりと話題を呼ぶものの音楽面はやや空疎化し、スキャンダラスに自己模倣を繰り返す姿がそのままフランスの音楽が米英のロックなどに埋没してしまう象徴であった感も。1991年、彼が心臓発作で死去した際、当時のミッテラン大統領は「彼はわれわれの時代のボードレールであり、アポリネールだった。歌を芸術の位置に引き上げた」とその死を悼んだ。
この記事は2015年3月の《Serge Gainsbourg Playlist》を改題改稿しています。当時起ったテロ事件を受け「わたしはシャルリ」として表現の自由を守るデモを行ったフランス国民。シャルリエブドの「風刺」は、マイノリティであるムスリムの心を傷つけ、各国の右翼やイスラム原理主義者の間で悲惨な応酬を繰り返させることになりかねず、私は釈然としなかったのだが、2020年からのコロナ禍を経て、ドラ・トーザンの言う「正反対の国民性」がまさにG7中で日本がコロナでは一人勝ち、逆に経済では一人負けという結果に示されることになった。
いくらなんでももうマスクは要らないのではとなっても岸田首相をはじめ誰もそう言い出す者はいない。第5波以降はコロナよりもワクチンの被害が大きくなっている可能性があるが(数千万人が接種したので)政府もマスコミも調べないし、個人がワクチン被害を訴えると「反ワク黙れ」という圧がかかる。日本では独特な「世間」が監視・査定・選別の機能を担うので、常に世間の目を気にしながら目先の現実だけを追って群れていれば安心という国民性だ。
一方トーザンが誇りに思うフランスなどの「多くの血を流して勝ち取った人権と民主主義」は、先行してアフリカ・アジア・米大陸から殺戮・略奪することで経済的に豊かな中流階級が形成されていなければ成立しなかった、そもそも矛盾を含むもの。なので自由だの人権だの考えたこともない日本のバカ主婦の方が長生きでコロナにも強いという皮肉な結果。
ゲンズブールのやや低調となった後半の業績で特筆されるのが79年に(本来は血なまぐさい歌詞の革命歌である)フランス国歌を「祖国の子どもたちへ」と題してレゲエに改作したことであろう⑮。これは同国の右翼から怒りを買い、彼は脅迫を受け、フランス軍空挺部隊OBが会場に現れてコンサートを中止させるほどであった。「わたしはシャルリ」とは一味違う、ユダヤの歴史を背負ったゲンズブールの叡智をみる思いである。
