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10 Best Joe Meek Songs

2021-01-04 19:22:52 | 音楽
米英1位のインスト曲Telstar(トルネイドース名義)などで知られるイギリス人の音楽プロデューサー/作曲家ジョー・ミーク(Robert George "Joe" Meek, 1929–1967)。テレビやステレオ装置や電子楽器、米ソの宇宙開発競争なども反映したとおぼしきオーバーダビング・サンプリング・リバーブなど実験的な録音技術をいち早く取り入れ、アーティスト的な独自の才能を発揮するプロデューサーの先駆者となる。

ミークは子どもの頃から電子部品や回路、パフォーマンス・アートに興味を持ち、イギリス空軍とミッドランド電力委員会で働いたのちエンジニアとして音楽業界に身を投じた。1960年には銀行幹部の助力を得て自らのトライアンフ・レコードを設立、マイケル・コックスのAngela Jonesが英7位となったのが最初のヒット。彼は音楽には熱意を注いだが商売に疎く、トライアンフを畳んでロンドン304ホロウェイ・ロードにあるアパートの自宅兼スタジオを拠点として制作にのめり込む。同スタジオからの最初の成功がジョン・レイトンのJohnny Remember Meであった。



John Leyton / Johnny Remember Me (1961 - Remembering John Leyton: The Anthology)
ミュージシャン志望でミークの元に集っていたジェフ・ゴダードが作曲、俳優志望のジョン・レイトンが歌って英1位。日本でも後に殺人犯に転落した克美しげるがカバーしヒット。また大瀧詠一は作曲編曲に加え歌詞まで松本隆に真似させて「さらばシベリア鉄道」をでっちあげた。ドラマ的な映像を喚起させるようなミークの制作が冴え、レイトンのマネージャーが後にクリームやビージーズを大成功に導くことになるロバート・スティグウッドであったことも手伝いさまざまな形で世界に伝播。



The Outlaws / Husky Team (1961 - Joe Meek: Portrait of a Genius: the RGM Legacy)
The Tornados / Telstar (1962 - Joe Meek: Portrait of a Genius: the RGM Legacy)
Geoff Goddard / Sky Men (1963 - Joe Meek: Portrait of a Genius: the RGM Legacy)
1962年、米AT&Tが通信用人工衛星テルスターを打ち上げる。そのころ自宅にいたミークは突然電撃を受けたかのようにメロディーを思いつき、忘れないよう手元にあった灰皿に書き殴り、直後に自宅スタジオのテープレコーダーで自らハミングして録音したという。完成版は当時のインスト曲には珍しいオルガンが主旋律を奏でるだけでなく、人工的でスペーシーな音を出すクラビオリンという楽器も使われ、後にスペース・ロックと呼ばれるジャンルの嚆矢となったのである。

Telstarはこの年の8月にまずイギリスで発売されチャート1位、やや遅れてアメリカでもリリースされ12月終りから3週連続1位となる。ビートルズ以前にイギリス人アーティストの曲が米1位となることは稀でTelstarは史上2曲目であった。



The Moontrekkers / Night of the Vampire (1961 - Joe Meek: The Alchemist of Pop - Home Made Hits & Rarities 1959-1966)
Pamela Blue / My Friend Bobby (1963 - Joe Meek: The Alchemist of Pop - Home Made Hits & Rarities 1959-1966)



Screaming Lord Sutch / She's Fallen in Love with a Monster Man (1964 - Screaming Lord Sutch & the Savages)



The Honeycombs / Not Sleeping Too Well Lately (1965 - Have I The Right? The Complete 60s Albums & Singles)
萩尾望都「女の子を主人公にするとおてんばな振る舞いや汚い言葉にいちいち言い訳がいるが、少年を主人公にするとそんなものがいらない。少年とはなんと自由なのかということに気がついてしまった」。



Joe Meek and the Blue Men / Love Dance of the Saroos (1991 - I Hear a New World) Originally recorded in 1960
Joe Meek and the Blue Men / Valey of the Saroos (1960 - I Hear a New World)
「最初はまったくこの世のものと思えない音楽でレコードを作ろうと思っていたが、エンターテインメントとしての価値がほとんどないことに気づき、地に足を付けてリスナーがいずれ好きになってくれるであろう曲を書いた」。録音当時の1960年には4曲入りプロモEPが配られただけでお蔵入り、アルバムとしてのリリースは1991年まで待たねばならなかった。

ミークは音楽の専門教育を受けておらず、譜面が読めないので作曲は鼻歌などで行った。音響も浴室やトイレ、階段など自宅を使って創意工夫、階下には家主が住んでおり騒音がトラブルの種になった。59年に死去した米国のロックスター、バディ・ホリーに心酔しており、夢の中で彼とコミュニケーションをとっているという考えに取りつかれる。双極性障害と統合失調症の両方を患っていたとされ、市販の薬物を乱用したこともその傾向に拍車をかけた。またそれが違法であった当時のイギリスで同性愛者であったことも彼の悩み・うつを深める。

ミークはいつもサングラスをかけてスタジオ外を歩き、クレイ兄弟などの地元のギャングが尾行してきたり同性愛について脅迫してきたりすることを恐れた。1967年2月、ミークはホロウェイロードの自宅兼スタジオで、ショットガンで家主の女性バイオレット・シェントンを殺した後同じ銃で自殺した。この銃は元トルネイドースのベーシスト、ハインツ・バートがツアー中にそれで鳥を撃ったことを聞き怒りにまかせて彼から取り上げたものであり、家主女性とは騒音トラブルに加え、この女性から盗聴されているという彼の被害妄想も犯行につながったとみられる。


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