湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

戦中の母の苦しみ

2015-08-11 19:06:37 | Weblog
空襲のことを考えながら
母のことを考えるようになりました
父と同じ昭和3年生まれの母は、十代の真ん中が戦争時代でした
もっとも感受性の強い時代を戦争の中で過ごしたのです

終戦が近付くに従い
状況は悪化するばかりでした
母には、最悪の未来しか思い浮かばなかったはずです
その絶望的な日々が、母の戦争の記憶であり,青春でした

父は、飛行機から狙い撃ちをされたことはあっても
機銃掃射を受けた経験は無いということです
当時の我が家の周辺は、純然たる農業地帯であり
米軍の攻撃目標になるようなものは無かったからでしょう

寒川は違いました
父の話では、寒川には相模工廠があり
零戦のエンジンなどを作っていたそうです
そこを米軍機に狙われたわけです
米軍機は、相模工廠攻撃の後
民家に機銃掃射をして帰ったのでしょう

いつ来るとも分からない空襲の恐怖
そんな中で、母は農作業をし、家畜の世話をし
妹たちの面倒もみていたわけです
危篤になった妹のために、蜜柑を求めて
二宮あたりの農家を訪ね歩き、やっと手に入れた話など
叔母から聞くまで、私は知りませんでした

さらに
母は、父親が町会議長、伯父が町長という家の娘でしたが
その伯父が、戦死者の町葬の時に
天皇陛下のご真影(写真)に
特にお辞儀をする必要は無い・・・と言ってしまったため
特高警察に拘引されてしまったのです
そんなことも、母の心痛をひどいものにしていたはずです



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戦争の悲惨

2015-08-10 19:39:43 | Weblog
母は、原爆の話になると

「どうせ死ぬなら、原爆で一瞬に死ねる方がいい」

と言っていました

これは、何度か聞いていますから
思いつきや出任せではなく、母の本音であったようです
私は、母の無気力に歯がゆい感じを受けました

今思うと、母の気持ちが少し分かるような気がします
母は、長期間の、間断無い、不安や恐怖にさらされていたのです
昭和20年8月15日に戦争が終わることなど、誰も知りません
状況は、日々、悪くなるばかりなのです
この恐怖が、いつ終わるかなど、まったく分からいまま
母は、日々の不安と恐怖を耐えていたのです
その苦しみは、それを経験した者にしか分からないでしょう

機銃掃射の恐怖について、知人の男性に聞いてみました
彼は九十九里の農家の子供でした
いつ上陸作戦があるかも分からず、機銃掃射を何度も経験しています
機銃の弾が道路に跳ねるのを憶えていました

彼の話は意外でした
私は、彼もまた、私の母のように
その時の恐怖を語ると思っていたのです

ところが違いました
機銃よりも食べ物の無かったことの方が、よっぽど辛かったそうです
農家であっても、食糧は供出させられてしまうので
ろくな食べ物が無かったそうです

空襲警報があり、敵機がやってきます
飛行機の機銃は、あちこちに撃つわけではなく
飛行機の進路に従って撃つわけです
したがって、飛行機の進路に入らなければ当たらないのです
慣れてしまえば、さほど怖くないらしいのです

戦争の恐怖、戦争の悲惨というものは
同じ経験をしても、一人一人違うのです
状況のちょっとした違いや、その人の受け止め方により
全然印象が変わってしまうのです
私は、新聞に出る体験談なども、わりとさめた眼で見ています
戦争の経験が一様に悲惨であることは間違いありませんが・・・








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長崎原爆忌に想う

2015-08-09 15:32:30 | Weblog
70年前の今日
長崎に原爆が落とされました

江戸時代以来、西洋文明の入り口であった長崎は
皮肉なことに、この時も、西洋文明を思い知らされました
幕末の志士達の拠点は、いまや平和運動の拠点となっています
記念式典には、75ヶ国の代表が参列したそうです

しかし、ここで気になることもあります
長崎市長が、現在国会で審議中の法案に意見を述べたようです
余計なことをしたものです

原爆の悲惨を、他の戦災被災者の問題と区別するなら
それは、核兵器そのものが人類にもたらす悲惨によるのであり
反核運動に関わるのは止む得ないにしても
一般的な法律にまで口を出すような立場には無いのです

戦争の空襲による被災者というなら
私の両親だって、例外ではありません

たまたま運良く、無傷でいられましたから
戦後、戦争の傷を引きずらずに生きられましたし
私という人間も、この世に誕生することが出来ました
しかし、彼らも、原爆被災者と同じく、空襲の被災者なのです

父は、庭に立っているところを,米軍機から狙い撃ちされました
父の立つ、すぐ目の前の地面に1発の弾丸が撃ち込まれたのです
空を見上げた父には、1機の米軍機が飛び去るのが見えました
アメリカ兵は、機銃掃射ではなく、コックピットから銃で狙い撃ちしたのです
庭に立つジャップの少年を、あたかもハンティングの獲物のように・・・

母も空襲の思い出を語ったことがありました
寒川町は平地のため防空壕が作れず
石垣イチゴ用のコンクリートの板を重ねて、防空壕の代わりにしました
そこに隠れていると、米軍艦載機の機銃掃射の弾があたり
その音が怖かったことを話してくれました

空襲の流れ弾に当たって、近所の少年が亡くなったことを
母は、泣きそうになりながら、話してくれました

十代の少女であった母は
男手の少ない中で、重要な働き手でもありました
母は、子牛の世話をしていました
空襲の恐怖で動かなくなってしまった子牛を
なんとか安全な場所に移そうと、母は必死に引っ張ったそうです

空襲の恐怖にもめげず、子牛を助けようとした母は
なかなか勇敢な少女であったようです

実際の母は、小柄な、とても優しい女性でした
私は、それなりに、いたずらな子供でしたが
母に叱られた記憶がほとんどありません

母は、あまり戦争の話をしませんでした
戦争の話になると

「戦争は嫌だ」

と、頭痛を耐えるよう顔をして黙り込むのでした

私は、戦争経験者が、戦争を嫌うのは当然であると思います
私の母が、そうだったからです
そして、私自身も平和主義者のつもりです

しかしながら
私は、世の中の平和活動家には、どうにも違和感があります
彼らは、外国の工作員であるとしか思えません
おそらく、冷戦中は、旧ソ連や中共から、活動資金を得ていたのでしょう

彼らは、アメリカやフランスの核開発には反対しても
旧ソ連や中国の核開発には反対しませんでした
日本の原子力発電所には反対しても、中国の核武装には反対しません

平和主義や戦争反対という大義名文を振り回し
実際は、外国のために働く売国奴の
なんと多いことでしょう!







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歯科も眼科も・・・糖尿病との闘い

2015-08-08 18:55:42 | Weblog
今日は歯科に行きました
歯科医師の説明を受けながらも
治療への決断がつかない私がいます

歯の傷みもまた、糖尿病が原因だからです
眼科も歯科も、根本原因は糖尿病ですから
この病気をどうにかしない限り
私の、肉体の不調との闘いは終わりません

どういう方向に治療するのがベストなのか
すでに、何度も方向転換しながら、模索中なのです
歯科医師とのコミュニケーションは、まずまずですから
彼と良く話し合って、治療を進めて行くことになります

私の心の中の不安を解消できる
私が、自信を持って受け入れられる
最善の、治療の方向を見つけたいと思います
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東京のいろいろ

2015-08-07 18:20:44 | Weblog
今日は暑い中を東京に出ました
住所は中央区東日本橋と台東区浅草橋です
ちょっとした仕事がありました
今後、ご縁を広げるつもりです

私は東京が好きです
ちょっとした用があれば、東京に行くのは苦になりません
そして、いつも、東京には発見があります
今日行った、東日本橋から浅草橋にかけては
中小企業の営業所なども多く、普段見ない東京があります

華やかな東京、働く人の東京
大企業の東京、中小企業の東京
東京には様々な顔があり、どれもが興味深いものです

東京は、日本の政治の中心であり
経済の中心であり、文化の中心でもあります
要するに、日本の中心です
混沌として、整然として、静かであり、活気もある
それが東京というところです



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猛暑

2015-08-06 17:59:59 | Weblog
暑い、実に暑いです
外を歩いていると、フラフラします
もう、家から外に出るのも怖いです
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カタルーニャ独立運動・・・ヨーロッパ共同体

2015-08-05 16:32:00 | Weblog
スコットランドの独立騒動は
その後、どうなったのでしょうか?
今度は、スペインのカタルーニャの独立運動です

カタルーニャ自治州は、独自の言語、文化を持ち
税の再配分で、国に納める税金が国からの補助金を上回るなど
住民に不満がくすぶっていたそうです

EU(ヨーロッパ共同体)というものが何なのか
その点を考えると
スコットランドやカタルーニャ独立運動の発生は
やむを得ぬことであると理解できます

ヨーロッパ共同体は、日本人が誤解しているような
国家間の連合体ではありません
あれは、ヨーロッパを一つの国にする運動です
ですから、通貨を統一し、憲法も統一するのです
現状は、その途上なのです

ヨーロッパが一つの国になれば
個々の国々は、地方自治体になります
ギリシャは、ヨーロッパという国のギリシャ自治区なのです

同じことが、すべてのEU諸国に言えます
スペインという自治区の中に、カタルーニャという自治区があるわけです
こうなると自治区の中に自治区があることになり
二重行政ということになります

日本でも、大阪府と大阪市の二重行政の問題で大騒ぎがありました
本質的には、これと同じこととも言えるわけです
広域行政と地域行政の問題なのです

しかし現実は、もっと深刻です
言語も文化も違うわけですから
歴史的には、敵対したこともあるはずです

そうなると
自治体レベルで一緒にやるのは
かなり、しんどいということにもなるわけです

スペインはイギリスとは違い
すでに独自通貨は廃止し、ユーロになっています
こうなると、カタルーニャ独立に対し、実際的な障害はありません
スペインの国内法だけの問題ということになります

カタルーニャが独立しても、問題は起きないのです
強いて言えば、スペインの、国としての対外債務や対外債権を
カタルーニャは、どのような配分で負担、獲得するのか?
・・・それだけのことです
債務の方が大きいなら、両方を同時に放棄するという手もありますが・・・



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5日連続の猛暑日

2015-08-04 16:59:39 | Weblog
都心で、猛暑日が5日連続となり、新記録だそうです
確かに暑い・・・歩いているだけで倒れそうです
私は、なるべき外出しないようにしています

自分では、軟弱になったと
ちょっと情けない気分になりますが
無理はしません

もう若くはないし、まだまだ、病気療養中です
こういう時に、無理をしたくなるのが私の悪い性格なので
自重することにしています

でも、暑い夏は好きです
涼しい夏など、なんだか肩すかしをくらったようで
気分が釈然としません

しかしながら、暑過ぎるというのも考えものです
暑さが、自分にとって肉体的な負担となるからではなく
生態系に影響がありそうだからです

以前、35年ぶりに会った中学生時代の同級生から
相模湾で釣れるサカナの種類が変わったという話を聞いたことがあります
彼は、中学生の時から、ずっと相模湾で釣りをしていました
地球温暖化を本気で心配していました

私は、海の中は分かりません
でも、地上では、ニイニイゼミがいなくなり
ヤマユリは消えました

子供の頃
当たり前だった、夏の風物詩を
今は、見ることが出来なくなりました

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浜松町にて

2015-08-03 18:24:02 | Weblog
今日は浜松町に行きました
知り合いの画商から絵を一枚買いました
それから、以前、別の画廊で買った絵の額装を頼みました
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使わなくなった言葉

2015-08-02 10:40:07 | Weblog
「しょうぐる」

と聞いても
意味の分かる人は少ないと思います
水などが激しく吹き出す様を言う言葉です
私の祖父などは、よく使っていましたが
今では、聞くことがありません

「ごっちょきる」

という言葉も、今は聞きません
知らない人は、意味が分からないでしょう
苦労するという意味です
以前は、よく聞きましたが
今は誰も使いません

「車がエンコして、ごっちょきる」

などと表現します
車がエンストして動かなくなり、大変苦労したという意味です
車がエンコするという表現も今では使いません
エンコというのは、子供が座ることを言いますが
車がエンストして、動かなくなることも言ったのです
やはり、今では、聞くことがありません

そういえば、車がエンストすること自体がなくなりました
エンジンが、キャブレター式から電子制御燃料噴射式に変わり
自動車のエンジンが止まってしまうということが無くなりました
そのうち「エンスト」という言葉も死語になるかもしれません

昔のキャブレター式のエンジンだと
オートマチック車でもエンストすることがありました
今では笑い話です

狭い地域に限定された言葉だったり
時代とともに、要らない言葉になってしまったり
私達の使う言葉は、時の流れとともに変化します
それは、やむを得ないことではあるのですが
消えていく言葉達に、時に、哀切の念を抱くことがあります


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