湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

想像とは違った母の”戦後”

2015-08-15 14:19:35 | Weblog
今日は終戦記念日です
今年の夏は、ずっと、亡き母のことを考えています
母の、戦争中の苦しみのことを考えていたのです

私は、母とは、あまり戦争の話をしませんでした
母は、戦争のことは、考えるだけでも嫌だという人でした
原爆で一瞬に死ねる方がいいという人でした
そして、マッカーサーの占領政策が良かったという人でした

たぶん、私は、そのような母から
わざわざ、戦争の話を聞きたいとは思わなかったのでしょう

しかし、今、あらためて母の戦時中のことを考えると
母の気持ちがよく分かるのです
母は、戦争末期には、過酷な現実を生きていたからです

戦争末期には、地主であった母の実家は
母と、すぐ上の姉が、労働の担い手でした
重い病の弟や妹がいました

町長だった伯父は、特高警察に拘引され
その義弟であった父親は、町会議長であったため
いつでも、特高の手がのびる危険がありました
特高警察はスパイのごとく、国民生活を監視していました
母の実家では、毎日の生活が油断ならないものになっていたのです

母は、朝から晩まで田畑で肉体労働をし
いつ来るか分からぬ米軍機の機銃掃射から
幼いきょうだいや家畜を守らなければなりませんでした
子供達を虫けらのごとく撃ちまくる米軍が上陸したら
どんな地獄絵図が待ち受けていることか
17才の少女であった母は、敗色濃い戦況をみながら
絶望的な未来を想像し、日々を耐えていたのでした

現実の敗戦と米軍の占領政策は
母が想像していたものとは違いました
母にとって、戦後は
戦争中に比べれば、悪い時代ではなかったのです
母は、もっと凄惨な未来を想像していたはずでした

コメント
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