日本の”戦後”とは何かといえば
それは、戦争に負けたことから始まった時代ということです
負けたことが全ての始まりでしたから
それまでの日本を批判することが、日本の戦後思想となりました
負けたのは、軍隊が弱かったのか、作戦がまずかったのか
おそらく、その、どちらでもあったでしょう
ところが、戦後の日本で優勢なのは、軍隊と作戦に対する批判ではなく
戦争をしたこと自体を批判することでした
これは、おかしなことです
戦争は日本一国ではできません
相手がいたから、できたのです
しかも、その相手は、日本を上回る軍事力と
日本を打ち負かす見事な作戦を持っていたのです
日本人が味わった、大東亜戦争における大きな不幸は
日本が劣勢になってからのものです
敗戦が近付き、終戦の工作を始めてからのものです
空襲も、原爆も、ソ連の参戦も、そうです
日本が優勢であれば、勝っていれば
味わわなくてよい不幸でした
日本は、日本を打倒すべく待ち構えていた
強大な敵と戦い、敗れたのです
戦争それ自体が悪という考え方は、思想としては正しくとも
大東亜戦争を反省する方法として間違っています
そういう考え方であれば
アメリカもソ連も、批判されてしかるべきであり
むしろ、戦後も戦争をし続けた彼らをこそ批判すべきなのです
それは、戦争に負けたことから始まった時代ということです
負けたことが全ての始まりでしたから
それまでの日本を批判することが、日本の戦後思想となりました
負けたのは、軍隊が弱かったのか、作戦がまずかったのか
おそらく、その、どちらでもあったでしょう
ところが、戦後の日本で優勢なのは、軍隊と作戦に対する批判ではなく
戦争をしたこと自体を批判することでした
これは、おかしなことです
戦争は日本一国ではできません
相手がいたから、できたのです
しかも、その相手は、日本を上回る軍事力と
日本を打ち負かす見事な作戦を持っていたのです
日本人が味わった、大東亜戦争における大きな不幸は
日本が劣勢になってからのものです
敗戦が近付き、終戦の工作を始めてからのものです
空襲も、原爆も、ソ連の参戦も、そうです
日本が優勢であれば、勝っていれば
味わわなくてよい不幸でした
日本は、日本を打倒すべく待ち構えていた
強大な敵と戦い、敗れたのです
戦争それ自体が悪という考え方は、思想としては正しくとも
大東亜戦争を反省する方法として間違っています
そういう考え方であれば
アメリカもソ連も、批判されてしかるべきであり
むしろ、戦後も戦争をし続けた彼らをこそ批判すべきなのです