湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

戦争の悲惨

2015-08-10 19:39:43 | Weblog
母は、原爆の話になると

「どうせ死ぬなら、原爆で一瞬に死ねる方がいい」

と言っていました

これは、何度か聞いていますから
思いつきや出任せではなく、母の本音であったようです
私は、母の無気力に歯がゆい感じを受けました

今思うと、母の気持ちが少し分かるような気がします
母は、長期間の、間断無い、不安や恐怖にさらされていたのです
昭和20年8月15日に戦争が終わることなど、誰も知りません
状況は、日々、悪くなるばかりなのです
この恐怖が、いつ終わるかなど、まったく分からいまま
母は、日々の不安と恐怖を耐えていたのです
その苦しみは、それを経験した者にしか分からないでしょう

機銃掃射の恐怖について、知人の男性に聞いてみました
彼は九十九里の農家の子供でした
いつ上陸作戦があるかも分からず、機銃掃射を何度も経験しています
機銃の弾が道路に跳ねるのを憶えていました

彼の話は意外でした
私は、彼もまた、私の母のように
その時の恐怖を語ると思っていたのです

ところが違いました
機銃よりも食べ物の無かったことの方が、よっぽど辛かったそうです
農家であっても、食糧は供出させられてしまうので
ろくな食べ物が無かったそうです

空襲警報があり、敵機がやってきます
飛行機の機銃は、あちこちに撃つわけではなく
飛行機の進路に従って撃つわけです
したがって、飛行機の進路に入らなければ当たらないのです
慣れてしまえば、さほど怖くないらしいのです

戦争の恐怖、戦争の悲惨というものは
同じ経験をしても、一人一人違うのです
状況のちょっとした違いや、その人の受け止め方により
全然印象が変わってしまうのです
私は、新聞に出る体験談なども、わりとさめた眼で見ています
戦争の経験が一様に悲惨であることは間違いありませんが・・・








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