湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

「朝鮮征伐」までの経緯・・・歴史の考察

2017-03-14 17:58:36 | Weblog
織田信長亡き後
織田政権後継者の地位を得た豊臣秀吉は

「九州征伐」

「バテレン禁止令」

「大阪城の築城」

「小田原征伐」

「徳川家康の関東移封」

・・・織田信長が残した課題を
一つ一つ、確実に、片付けていきました

これらは、面白いほど上手くいきました
秀吉は、あらためて
信長の先見の明と、見事な戦略思考に感嘆したはずです

それはまるで、織田信長社長が作っておいた
最上階の社長室直通エレバーターに
役員の一人に過ぎなかった秀吉が
社長に代わって、乗ってしまったようなものででした
当の豊臣秀吉自身が、一番、それを感じたことでしょう

そして、秀吉は、思ったはずです

「やはり、信長様は凄い!」

「信長様のやろうとしたことをすれば、間違い無い!」

秀吉は、決意しました・・・いよいよ、その時が来た

「唐入り」(シナ大陸進出)だ!

シナ大陸に侵攻するためには、朝鮮を通らなければなりません
そこで、シナに入る前に
豊臣秀吉は、朝鮮を臣従させることにしました

「なに?朝鮮が従わないだと?朝鮮征伐だ!」

ということに、なってしまったのです

これが、豊臣秀吉による「朝鮮征伐」の始まりです
日本人は、誰一人として、その意味が分からず
さらに、何も分からない朝鮮にとっては、とんでもない話でした
コメント (2)
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