湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

信長の秘められた反キリスト・・・歴史の考察

2017-03-10 17:28:18 | Weblog
織田信長が、羽柴秀吉(豊臣秀吉)にだけに語った
世界戦略構想がありました

「唐入り」

です

唐(シナ)、天竺(インド)に進出し
その先には、スペイン王を臣従させるという計画です
これはイエズス会との対立も意味します
他言できない最高機密だったのです

織田信長は、イエズス会の庇護者であり
キリスト教に寛大な態度をとり続けていました
しかし、信長の本音は、反キリストであり、反イエズス会でした

織田信長のキリスト教への庇護は
貿易と国際情報の窓口であるイエズス会を
利用するためだけのものであり
本音では、イエズス会の貿易支配から脱したかったのです
特に、火薬の原料である硝石を
独自ルートで入手する道を探っていました

信長は、イエズス会やスペイン人に対し
秘めたる意思を見抜かれないように、細心の注意を払っていました
そのため、羽柴秀吉(豊臣秀吉)以外には
一切、このことは口外しませんでした

キリスト教やイエズス会の侵略行為や偽善は
慧眼の織田信長は、とうに、見抜いていました
いつか、彼らと戦う日が来ることを
当然ながら、予想していたのです
しかし、当時の日本と信長の置かれた状況を考えると
イエズス会やスペイン人を敵に回すわけにはいかなかったため
羽柴秀吉以外の者には、誰にもこのことを話せなかったのです

織田信長は、来たるべき「唐入り」と
その先にあるイエズス会との戦い、スペイン王との戦い等
対外作戦の適任者は、羽柴秀吉以外にいないと考えていました
機略縦横で人心掌握術に富む秀吉以外には
この仕事が出来る者は、信長には、思い浮かばなかったからです

羽柴秀吉は、亡き主君、織田信長の遺志を
何が何でも実現しようと考えていました
秀吉が、織田信長の三男、信孝のキリスト教への傾斜に
深刻な危惧を抱いた理由が、これだったのです

コメント (2)
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