湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

必ずしも無謀でなかった「朝鮮征伐」・・・歴史の考察

2017-03-17 17:37:52 | Weblog
「朝鮮征伐」は織田信長の「唐入り」を
豊臣秀吉が、完全に誤解したために起きた・・・というのが私の説です
その結果、家臣にも意味が分からない戦争になってしまったわけです
しかし、これが、ただの無謀な戦争であったかというと
そうでもないというのが、私の意見です

この戦争が失敗した要因は
キリシタンの小西行長が、この戦争は
その後に来る”反キリスト教戦争”すなわち・・・
スペインやイエズス会との戦争の前哨戦であることを察知し
自ら先陣を志願して、敵側に通じ、戦線を混乱させたからなのです
当然、加藤清正や福島正則は、小西に強い不信感を持ちました

「朝鮮征伐」は、作戦も良く、実際の戦闘も十分な成果を上げました
加藤清正は、朝鮮半島全域を制圧し、満州国境に至ったのです
現地の民衆は日本軍に協力的でした

”敵を捕らえてみたら、ほとんどが朝鮮人であった”

と、朝鮮側の記録にあるほどです

当時の朝鮮の王朝よりも
日本人の方が、現地の民衆を大事にしたからです
日本人が朝鮮を撤退する時は
日本軍に同行を希望する朝鮮人も多数いました
彼らの中には、陶工も含まれていて、日本に陶芸技術を伝えました
当時の朝鮮における陶工の地位や身分は、極めて低いものだったからです

「朝鮮征伐」は、戦略的には最高のタイミングでした

この少し前に
スペイン無敵艦隊は、アマルダの開戦で、イングランド艦隊に敗北しており
スペインは、アジアの戦争に介入する余裕はありませんでした
豊臣秀吉は、そうした国際情勢を全て考慮して
朝鮮征伐」を実行したのです

小西行長の妨害が無く
豊臣秀吉の寿命が、もう少し長ければ
弱体な明国は、秀吉に亡ぼされ
秀吉流の「唐入り」は実現していたことでしょう
実際に「朝鮮征伐」で疲弊した明国は
その後、満州族のヌルハチに亡ぼされています
秀吉が生きていれば、間違い無く、シナ大陸を征服したことでしょう




コメント (2)
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