湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

孤独の決断と天運による桶狭間の勝利・・・歴史の考察

2017-03-01 16:37:01 | Weblog
清洲城では、織田信長は、ただ、開戦の報だけを待っていました
開戦の報と同時に、動き出せる準備をしていたのです

大高城に大量の兵糧が搬入されている情報にも動かず
軍議を開いても、ろくな議論をしなかった信長は
ただ、開戦の報と同時に動くことだけを考えていたのでした

開戦の報より早く城を出ても
籠城派は動かない可能性があります
戦闘が終わってから何かしようとすれば
前線の将兵を見殺しにしたことになり
織田軍団の求心力は急速に低下し、総崩れとなる危険性さえあります
開戦と同時に動くことがポイントだったのです

信長が5騎の小姓だけを連れて城を出れば
すぐに、後を追う者達が続きます
そうなれば、迷っていた者達も
我先に信長を追いかけるしかなくなり
籠城派の説得という、無駄な手間が省けます
さらに、城を出て、その後、どう戦うかという
作戦の全容を明らかにする危険を避けられたのです

信長の頭の中では
それまでに入った情報と
大高城に運び込まれた兵糧の量から
今川義元が近くまで来ているという予想ができていました

”今こそ、直接、今川義元を討てるチャンスだ!”

”結果は天運にまかせる”

織田信長は、そう考えたのです
そして天運は・・・信長に味方したのでした

丸根砦や大高城とは反対方向
今川義元の本陣に向けて、信長が軍団を進軍させようとした時
・・・まさに、その時!
雹を交える豪雨と、大木をなぎ倒す強風が吹き荒れたのです
桶狭間上空が、発達した積乱雲に覆われ
ダウンバーストや竜巻が発生したと考えられます

この豪雨と暴風により
織田軍団は、今川方に、まったく気付かれること無く
今川本陣を一気に攻撃できる位置まで、接近できました
そこで豪雨は止み、雲間からは日差しがさしてきたのです

そこに見えたのは、間違い無く、今川義元の本陣でした
善元の乗る漆塗りの輿が確認できました
今川軍団の将兵は、戦闘態勢になく
雨宿りの後の、休憩中でした

信長は、戦闘開始を号令します
ぬかるみに脚をとられる馬から下り
自ら槍をもって、戦闘に参加し、善元を追ったのです

予想外の敵襲に、今川勢は一斉に逃げだしました
今川勢は、大将を取り囲んで守るのですが
再三にわたる織田勢の攻撃により、囲みは解け
今川善元は、毛利良勝に組み伏せられ
指を食いちぎる抵抗を見せましたが、首を取られたのでした

コメント (2)
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