湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

謎や不審点は未解明ですが・・・歴史の考察

2016-07-06 18:10:07 | Weblog
「本能寺の変」の謎は幾つかあります

”明智光秀の動機”

”信長の遺体の行方”

怪しい逸話もいくつかあります

「羽柴秀吉の中国大返し」

「徳川家康の神君伊賀越え」

私は、これらについて
一つ一つ解明を試みてきました
皆さんが納得のいく答えである自信はありませんが
自分としては、それなりに合理的な解釈であると考えています

そして、一番不可解な点は

”誰も明智光秀に協力しなかったこと”

”羽柴秀吉以外、だれも明智光秀を討とうとしなかったこと”

の二点です

敵も味方もいない
明智光秀は”途方に暮れた”状態になります
そのことを考えていると
私自身に”途方に暮れた”気分が乗り移った感じになりました

これが一番悩ましい問題でした
私の解答は

”羽柴秀吉の事前の根回し”

でした
その後の豊臣政権の成立の過程を見ると
そう考えるしかないからです

そして、結論として

織田家臣団(羽柴、徳川、細川・・・)と
京都世論(朝廷と寺社)は、信長との未来に不安を持っており
そこで、嫌われ者の明智光秀を、おだてて利用し
最終的には羽柴秀吉が政権を握る・・・

そんなストーリーを描いたのです

「本能寺の変」とは
このストーリーを明智光秀のクーデターという形で実行したものです
首謀者は、吉田兼見、細川藤孝、羽柴秀吉、徳川家康・・・です
これに近衛前久ら朝廷関係者、そして筒井順慶
さらに、高山右近ら摂津衆も関わった
きわめて大規模な陰謀だったのです
コメント (3)
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