湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

世界不思議発見の「本能寺の変」特集・・・歴史の考察

2016-07-10 14:20:59 | Weblog
昨夜、「世界不思議発見」というテレビ番組で
「本能寺の変」の特集をやっていました
明智憲三郎さんが出演されていました

彼の書いた

「本能寺の変431年目の真実」

は、私が最も重視した「本能寺の変」関係の本です

ただし、彼と私は,結論が違います

明智光秀の子孫である明智氏は
当然ながら、先祖の名誉回復の心情をお持ちでしょう
ただし、明智氏の研究は
そうした心情とは別に、合理的で興味深いものです
私は感服し、また、大いに触発されました
しかし、彼と私とは、最終結論が微妙に異なるのです

「本能寺の変」の前の
明智光秀と織田信長の手紙のやりとりや
同じく、朝廷と織田信長の手紙のやりとりなどは
その内容が、穏やかで友好的であることをもって
光秀と信長が友好関係にあったとか
朝廷と信長が友好関係にあったとの結論は出せません

今まさに、信長暗殺の陰謀が進んでいる時に
信長にそれを察知されてしまうような書状を出すわけもなく
また、信長の感情を刺激するような書状も出さないでしょう
表面的な友好と作り笑いの裏側で
密かに、陰謀が仕組まれていったのです

私の結論は、あくまで
リストラの不安に怯える織田家臣団と
信長の傲岸不遜な要求に窮した朝廷関係者が
タッグを組んで、信長暗殺を企てたのです
そして、嫌われ者の明智光秀をおだてて、利用したのです
主犯は吉田兼見、近衛前久、徳川家康、羽柴秀吉、細川藤孝です
背景には、イエズス会とキリスト教に対する反発もありました

吉田兼見、徳川家康、細川藤孝の三名は
明智光秀と羽柴秀吉の双方に通じていました
この三名は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が政権を取りますと
そろって重要な地位を獲得しました
吉田兼見と細川藤孝(幽齋)は
豊臣が亡び、徳川の政権になっても、尚、その地位を保ったのです
彼らは「本能寺の変」の秘密を共有する仲間だったからです



コメント (3)
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