無意識日記
宇多田光 word:i_
 



遅く来た梅雨の激しい雨を朝から浴びながら、ヒカルの歌の中の「雨」について色々と思いを馳せる。(傘は差してるよ)

そもそもデビュー曲の『time will tell』からして『雨だって雲の上へ飛び出せばAlways blue sky』だったし、復帰後第一弾の片割れなんてタイトルからして『真夏の通り雨』だ。そして、最高傑作の一つ『気分じゃないの(Not In The Mood)』もまた雨の歌である。事欠かない。宇多田ヒカルと雨は切っても切れない関係にある。

しかし、『SCIENCE FICTION』にはそれらの歌、『time will tell』や『真夏の通り雨』、『気分じゃないの(Not In The Mood)』、それに『HEART STATION』や『虹色バス』のような雨の場面もある歌はことごとく収録されていない。前も触れた通り、どちらかというと重めの歌は避けられてる作風だからかな。

そんな中『SAKURAドロップス(2024 Mix)』の存在感が光る。『降り出した夏の雨』の運んでくる淡い抒情性。桜の散った初夏を歌った歌詞なだけにここでの雨はそこまで豪雨でもなさそう。一筋の涙に伴う少しばかり静かな雨を連想させる。そして発売当時のあの頃の感覚が、ドルビーアトモス寄りの立体感を際立たせた音像によって新たに生まれ変わってこちらに迫ってくる。

ただ、この歌は2002年のヒット曲なのよね。22年前。日本の気候が今とは違う。局地的集中豪雨について「ゲリラ豪雨」と形容されるのが広まったのは2008年頃かららしく、それまではどちゃっと降る雨は今より少なかった。確かに、昔の日本には初夏や梅雨の始めのあの静かでしっとりとした雨の景色がそこにあったのだ。

今は降るとなったらゲリラ豪雨に線状降水帯と亜熱帯のような激しさだ。奇しくも、と言っていいのかはわからないが『真夏の通り雨』のもつ雨の激しさはここ20年の日本の気候の変化に巧まずして即しているように思える。ロンドン居住期に作詞してる筈なんだけどね。

なので、『SAKURAドロップス』の静かな抒情性は、発売当時のまま今の若い世代に伝わっているのかなとちょっと余計な心配もしたくなっているのだが、ミックスの変化がブライトな方向だったのでリスナーの心の中の雨が少し激しくなるくらいの方がサウンドの描く景色には合っているかもしれないなと思い直した。同じメロディ、同じ歌詞でも、現実世界の変化と新しい技術による音作りのブラッシュアップで、その意味するところや意図するところが遷移することもアリなのかもしれないなと思うのでした。にしてもよく降るな今朝の雨は。

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