無意識日記
宇多田光 word:i_
 



電子書籍の売上高?か何かが紙の書籍のそれを上回ったらしく。やっとかよ、という気がしなくもないが、紙の書籍は市場が小さくなる事はあってもなくなる事はない訳で、うまくバランスをとりながらソフトランディングしていければ。

一方、音楽ソフトにそんなものはない。一応アナログレコードもカセットテープも生き残ってはいるが、長年の愛用者とレガシィとしての物珍しさのお陰であって、世代交代すればわからない。事実MDはとっくに消えている。利用者はまだまだ居るんだけどね、早々にセルMDは撤退してしまった。元々市場がなかっただけじゃんと言われればそれまでだけど。

再生機器が必ず必要な(プレイボタンみたいなものもあるけれど)音楽ソフトにとってソフトの形態は特に必要とされない。習慣やノスタルジーといった感情の感性に訴える事になる。

書籍に先立って、というと変だが先日定額配信収入だかがダウンロード販売のそれを上回ったという記事が出ていた。ここ5年位はダウンロードの方はほぼ横ばい、しかし定額配信の方は2015年以降順調に伸びている。すぐに抜くだろうとは思っていたが、このタイミングか。ちと早いな。

ヒカルが昨年参加したのがどれ位大きかったかはよく知らないが、次のアルバムが仮に発売日に定額配信に乗ったらダウンロード販売はどれ位下がるだろうか。一応オリコンやビルボードはそれまでに(?)チャートの方を整備しておいて欲しいものである。

昔から言っているように、定額配信は「パーソナライズドラジオ」である。もう少し言えば、ダウンロード型のポッドキャストのノリで新曲や新作を聴ける。次々とプレイリストを流していって気に入ればライブラリに取り込んだりする、といった使い方だ。今までラジオとCDで別れていた機能がシームレスになった、とでも言えばいいか。

となると。流す楽曲の制作の仕方に変化が訪れるのかも、しれない。これは、何というか、作り手側が消費者として定額配信の利用を通じて感じ取る事がベースになる訳だから、2015年を起点とすると…日本ではそろそろ反映され始めてもおかしくはない。

もっともそれは、定額配信が"主戦場"になったら、の話。まだまだダウンロード販売も定額配信もその合算もCD市場には遥かに及ばない。だからと言って皆CDを直接聴いている訳ではなく一度取り込んだら触れもしない、というのもまた現実だ。

いつどこでどう聴くか。その時にどう響くか。それを肌で感じ取りながらポップソングは作られていく事になるのだが、まぁライブで映える曲を作る方が今の時代では先決かな。取り敢えず少しずつ今の状況に慣れていく事と致しましょうか。

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