無意識日記
宇多田光 word:i_
 



これは触れておくべきだな。推測が事実として確認された。

https://www.itochu.co.jp/ja/about/magazine/viewer.html?file=pdf/hoshinoshonin2024_no17_talk.pdf#zoom=page-fit

「星の商人」でのインタビューから、『Electricity』の歌詞について。

『手紙はニセモノでアインシュタインが書いたものじゃないらしいっていう話をネットで目にしたんですけど、それこそサイエンスフィクションかなと。』

そう、ヒカルは「アインシュタインの手紙」がニセモノらしいということを踏まえた上で敢えて歌詞に採用したのだということが確認された。ほぼそうだろうなと思ってたけど、実際そうであったと確認できたこととは雲泥の差があるので、こうやって言及して貰えて実に良かった。

そして、『それこそサイエンスフィクションかなと。』と言ってる! 凄い小気味よく言っちゃったねぇ。こういうのは、そう、そうやって押し切るのが大事よね。

だがそんな風にすっきり言ってしまうと、問題点をあやふやにしてしまうんじゃないかと私は危惧をする。

毎度言っている事だが、物事の真贋自体は重要じゃないんだ。人を騙す気・欺くつもりがそこにあるかないかが重要なんだ。真贋の定まらない何かについてそれが本物だと信じるのも信じないのも自由だが、それを“人に信じさせる為に”・“敢えて真贋がわからない事に触れない”などの言動を誰かがし始めるのが問題なのだ。そして、「アインシュタインの手紙」に関しては、ネットで検索するとその点について不誠実な態度の記事が散見される。故に複数の記事を比較参照しない人は「これはアインシュタインが書いたものだ」と信じ込んじゃう事態になりかねない。騙されるのよね。ちゃんと「出典不明」ってまず書かないとね。

いやね、アインシュタインが書いた証拠もないなら、書かなかった証拠(「すいませんそれ書いたの私です。アインシュタインじゃありません。」と執筆者が名乗り出ればいい。その人が鬼籍に入っていなければ、ですが。)もない、ならば、これをアインシュタインが書いたものとして想像してみよう、という時の感覚は確かにSF、サイエンス・フィクションだとは思うよ。ヒカルはそこについて言っている。わかる。よくわかる。だからこそ、かなり危うい橋を渡っているなと思わずにはいられない。歌詞に「ホントかどうかわからないけれど」とか入ってたらよかったなぁとか野暮ったいことを思っちまったぜ。だが、ともあれちゃんと今回ヒカルのスタンスが確認できてよかった。いい仕事しましたなインタビューアの柴那典さん…って、未だに「しば・とものり・さん」って音読がスムーズにいかない! 刹那の那を「とも」と読むのは、人名ではポピュラーだという事らしいけど慣れないわ〜。今後もバンバンヒカルにインタビューしてどうかこちらに慣れさせて下さいな。

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