無意識日記
宇多田光 word:i_
 



色々な議論をすっ飛ばして結論を書くと、ここらへんからヒカルの歌の「社会的役割」みたいなものが変わるんじゃないかな、と。

ヒカルの歌の歌詞はどちらかといえば「みんな一緒に元気に頑張ろう」とかよりは「あんたひとりだろうけど誰か居るだろ」みたいな歌だ。人称に合わせれば「私にはあなたが居たり居なかったり」、か。なので『あなた』は次のアルバムのタイトルにしていいくらいヒカルにとって普遍的な歌詞となる。前も触れたように、ブラッシュアップ&アップデイトされた『虹色バス』みたいなものか。数字でいえば「0,1,2」が網羅されているような感じか。

『あなた』は徹底的に「2」だと思わせておいてラスト前で「1」あわよくば「0」にまで落とす幻影を振り撒く。酷い言い方をすれば「趣味の悪い」歌だ(私はそこが好きだ)。そのまま「私には大切な人がいる」で押し切っておけばいいものを。

『虹色バス』は「多」から始まって「1」に落とし込んで「多」な「1」が「0」に向かう物語だ。基本的な体裁が御伽噺(何しろバスが虹色なのだからー私が小さい頃最愛読していた絵本が「なないろのじどうしゃ」で…って話は以前したから割愛して)なので、総てを確定的に書いても大丈夫。結局ファンタジーなのだから。

『あなた』は『戦争』の二文字でドキリとさせるからもうリアル。匂いもそう。なので、『虹色バス』では確定的に(輪郭をハッキリと)描いて構わなかった"幻影的不安"を『あなた』では技巧的に構成せねばならなかった。『虹色バス』が絵本なら『あなた』はエッセイだろう。あんまりこども向けではないよね。

さて、そんな"幻影的不安"を、シリアスに受け止めてくれるのは誰なのか、という点が今後ヒカルの歌を変えていくと思うのだ。

直接的ではない。『あなた』を聴いてそれが1歳か2歳かそこらのこどもへのメッセージと読み取るのは、一部の歌詞を隠してしまえば至難の業だ。つまり、全体の雰囲気から漂ってくるような要素ではない、少し読みとりづらい方法をヒントにしてヒカルは自分の歌が届く心をもつリスナーに狙いを定めるだろう。

それは、年齢と世代と時代が絡み合う中の微調整として起こる。その年齢なりの苦悩、その世代なりの苦悩、その時代なりの苦悩。どれも同じだったり違っていたり。その中でヒカルも歳をとり違う時代を生きる。82年度生まれだったり98年デビュー組だったりといった"世代"は変わらない。増え続ける歳下、減り続け歳上、時代を併走する同世代。それらを総て微調整しながら、ヒカルはまた歌詞に新しい時代のデバイスを組み込むだろう。Computer ScreenやPHS, BlackberryにMP3といった小道具を、歌の中に組み込むだろう。次にどの単語が歌詞になるのかを予想してみるのも、面白いかもね。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




他国は兎も角日本の場合、定額サブスクは極めていくと「有料SNS」に収束していくだろう、と予想される。

ゲームの世界は(こちらは日本に限らず)もう10年以上オンラインゲームがSNS化して久しい。アバター(と言って今の世代に通じるかは知らないが、バーチャルYouTuberみてりゃわかるだろ)を通して世界と、いや世間と繋がる感覚。社交場でもナンパ場でもいいけれど、人と繋がりたくてゲームをやる人はやまのように居る。

宇多田ヒカルという人はその現状を先取りして「人と話したくないからゲームやってんのに何でゲームの中で人と話さなきゃなんないんだ」とロールプレイングゲームに難癖をつけた人である。サブスクを通して益々音楽が「コミュニケーションツール」になっていくのをどう感じていくのだろう。

サブスクでは個人情報が筒抜けである。Googleアドやアマゾンのおすすめなどでこちらの趣味がバレバレになっているのは慣れっこなので私などは「便利になったな」位にしか感じられないかもしれないが、音楽という内面を掘り起こせるツールだと更にそこからもう一歩踏み込んでくる可能性がある。

それは、向こうから「あなたはこういう人なのですよ」と突きつけられる可能性である。自分が知らないうちに、自分自身という存在が、どこかの誰かが作った音楽の組み合わせで定義づけられる感覚。今のところは、確かに、「今あなたが買ったものを買った人は他にこんなものを買っていますよ」程度で済んでいるから、またそれを買ってみて「ああこれは私の趣味に合っているなぁ」と満足したりしなかったりで済んでいるのだが、音楽のように、時に人のアイデンティティと結びついているメディアの場合だと、自分の知らない深さの自分を先取って提示されるかもしれないのだ。

良し悪しではなく、そうなるかもねという話。帰結として、他者の音楽を通じて自らの内面を探るステップをすっ飛ばして徹頭徹尾「他者の音楽の組み合わせ」で自己の内面を定義づけられるその感覚。

それ自体は新しいものでもない。インターネットとは本来そういうものであって、この20年余りにあらゆる人々が自らの内面を関係性の中に溶かし込んできた。それが音楽の世界でも、サブスクによる徹底したパーソナルカスタマイズによってより推進されるだろう、と。

その中で「人と喋るの嫌い」と言ってmixiを退会しロールプレイングゲームを蹴飛ばしたヒカルが、サブスク時代にどういう新曲を書くのか、そもそも、どんなプレイリストに載せられて消費されるのか、興味深い。それ自体をヒカルがよしとするのかどうかから、検討したくなるがまぁそれは追々という事で一つ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )