無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今から考えると、なりくんの歌唱力を過小評価していたのは、『Lonely One』でのヒカルの印象が強すぎたせいかもな。大黒摩季とやった時もMikaのライブゲストで歌った時も第一星で根こそぎかっさらっていったもんな…冷静になって、なりくんだけの歌を聴く事でそれなりに落ち着いた評価が出来るようになったという事か。

前も書いた通り、4月になりくんのアルバムが出る以上それまでのヒカルは新曲を出す発表をする事はあっても新作アルバムの重要な発表をする可能性は低い。同じレーベルからアーティストがデビューするのにヒカルが出てきたらRIAに人が足りなくなるだろう。5月のなりくんのデビューアルバムまでは大人しく、というと違うのだろうけれども(『誓い』という爆弾もう落としてるしな)、潜伏しているとみる。

いちばん劇的なのはその5月のなりくんデビューライブにゲストでやってきて今後の予定を発表する事か。しかし、それをしてしまうと主役のなりくんが霞んで本末転倒になるからな、何か新情報を出すとしてもプチサプライズ程度にしておくべきだ。

ここでRIAは考える。仮にヒカルがゲストで来れるとして、という仮定の上で考えると、なりくんのデビューライブが各スポーツ紙だとかワイドショーだとかにある程度取り上げられる為には、ヒカルがただ出てきて歌う以上の事が必要だ。囲み取材なんか受けないだろうし(きっとヒカルは大嫌いだろうな(笑))、やるならステージ上で記事にし得る一言を放って欲しい。そうすればバーターで(この言い方適切なのかなぁ?)なりくんも取り上げて貰える。プロモーションとしてはまずまずだ。でそこでやりすぎると翌日の話題がヒカルだらけになって肝心のなりくんの話題をして貰えない。これはまずい。ヒカル自身は放っておいても注目されるのだから何もしなくていいんだってば。

梶さんの事だから既になりくんデビュー前後のメディア戦略は決定事項だろう。翌週の売上なり何なりをみて最終確認、といったところか。4月の下旬にアルバムをリリースし、5月の初旬に御披露目。この日数。ゴールデンウイークという(人々が出かけていてメディア消費が動かない)不安材料はあるのだけど概ね流れは頭で思い描いているだろうね。ここにヒカルが絡んでくるかこないか。またもや腕の見せどころでしょうて。

何しろ、冒頭で触れたように歌い出したらその場を支配できる人である。なりくんが幾らいい歌を聞かせても「やっぱ宇多田ってすげーな」で終わられるなら失敗である。そう考えると…来ない方が、いいのかも? どうなるかは「梶のみぞ知る」。KBさんもご存知かな、わからんけど、そこらへんの押し引き具合で、ヒカルのアルバムリリースデートも見えてくるだろう。嗚呼、「次のアルバムでまたなりくんにバックコーラスを歌って貰ってます」って程度の話が出るのが御の字かもわからないね。楽しみにしていよう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




電子書籍の売上高?か何かが紙の書籍のそれを上回ったらしく。やっとかよ、という気がしなくもないが、紙の書籍は市場が小さくなる事はあってもなくなる事はない訳で、うまくバランスをとりながらソフトランディングしていければ。

一方、音楽ソフトにそんなものはない。一応アナログレコードもカセットテープも生き残ってはいるが、長年の愛用者とレガシィとしての物珍しさのお陰であって、世代交代すればわからない。事実MDはとっくに消えている。利用者はまだまだ居るんだけどね、早々にセルMDは撤退してしまった。元々市場がなかっただけじゃんと言われればそれまでだけど。

再生機器が必ず必要な(プレイボタンみたいなものもあるけれど)音楽ソフトにとってソフトの形態は特に必要とされない。習慣やノスタルジーといった感情の感性に訴える事になる。

書籍に先立って、というと変だが先日定額配信収入だかがダウンロード販売のそれを上回ったという記事が出ていた。ここ5年位はダウンロードの方はほぼ横ばい、しかし定額配信の方は2015年以降順調に伸びている。すぐに抜くだろうとは思っていたが、このタイミングか。ちと早いな。

ヒカルが昨年参加したのがどれ位大きかったかはよく知らないが、次のアルバムが仮に発売日に定額配信に乗ったらダウンロード販売はどれ位下がるだろうか。一応オリコンやビルボードはそれまでに(?)チャートの方を整備しておいて欲しいものである。

昔から言っているように、定額配信は「パーソナライズドラジオ」である。もう少し言えば、ダウンロード型のポッドキャストのノリで新曲や新作を聴ける。次々とプレイリストを流していって気に入ればライブラリに取り込んだりする、といった使い方だ。今までラジオとCDで別れていた機能がシームレスになった、とでも言えばいいか。

となると。流す楽曲の制作の仕方に変化が訪れるのかも、しれない。これは、何というか、作り手側が消費者として定額配信の利用を通じて感じ取る事がベースになる訳だから、2015年を起点とすると…日本ではそろそろ反映され始めてもおかしくはない。

もっともそれは、定額配信が"主戦場"になったら、の話。まだまだダウンロード販売も定額配信もその合算もCD市場には遥かに及ばない。だからと言って皆CDを直接聴いている訳ではなく一度取り込んだら触れもしない、というのもまた現実だ。

いつどこでどう聴くか。その時にどう響くか。それを肌で感じ取りながらポップソングは作られていく事になるのだが、まぁライブで映える曲を作る方が今の時代では先決かな。取り敢えず少しずつ今の状況に慣れていく事と致しましょうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )