無意識日記
宇多田光 word:i_
 



Suddenly I think it is nice and adequate to write this diary in English but you know it's a ridiculous idea if you want someone who is a fanatic of and about The JAPANESE singer Utada Hikaru, to read this entry and the ones which will be written from now on...


急にこの日記を英語で書いてみたらいいんじゃないかと思ったのだが、でもそりゃあね、日本語歌手である宇多田ヒカルのファンに今後も読んでもらう為にはそんな事すんのはバカげてるってわかってるよ…


という訳で今まで通り日本語で書いていくけれど、聴く音楽の大半の歌詞が英語の私は別にそれはそれでと思っている、というかイタリアン・プログレとか北欧プログレとかも聴くのでイタリア語やスウェーデン語も耳にしていたりして歌詞が何語だろうが構わないのだけれど、何だろう、取り敢えず日本語以外では英語なら少しだけ読める(聴いたり話したりは無理…だったかな)ので、amass.jpより前にblabbermouthの元記事を読みに行く事も多い。


何が言いたいかというと、Hikaruが日本語圏以外で活動している期間も勿論ついていきますけれど、もしかしたらその間だけは英語で日記書いたりした方がいいのかな?という事も思ったりもしたので。

逆か。Hikaruの出力が英語の時こそ日本語で私が語らんといかんのかな。そういう事になるか。ありゃ、悩むなそこは。

まぁ、そん時になったらわかるか。そんなに英語でうまく書ける訳じゃないしね。さっきもridiculousのスペルを見失って辞書見たくらいでな(汗)。まぁ、多分ずっと日本語でいくでしょう。

ただ、皆さんもスペルの事は言っていられない。手書きでちゃんと漢字書ける?


2015年や2016年なら、「日本を捨てた」とか「日本から逃げた」と言われない。活動拠点を移すなら早い方がいい。皆がこの国から出ていきたくなる空気になってからでは、遅い。悪い印象がつく。私の体感や予想(そういや昔「日本のモラルのピークは2013~14年くらい」って書いた気がするが思い出すのが面倒臭い)通りに、見た目には東京五輪を境に、この国が醜く老いていくかどうか、本当のところはわからない。しかし、予想が外れるのは「醜く」の部分についてであって、老いていくのは予想ではなくただの事実だ。国の隆盛は、ある年齢の人間が定住地を何歳の時にどこにしていたかの動力学的ヴィジョンさえ書ければ大体近似出来る。それはもう覆らない。従って移民政策如何しか予想を覆せないだろう。

Hikaruは、だから、即ち、「流出する日本の才能」になる恐れがある。もしどこかの街にHikaruが移り住んでそこであんまり売れなくて吉良知彦ばりに毎月ライブハウスで歌ってくれるなら私はそこに移住する。生きていけるかは知らないが。まぁ、売れちゃうだろうけどね、天下のUniversal MusicとWorld Wide Deal を結んでいるのだから…

という訳で次回からも日本語で書きますね。ご安心を。

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この日記は今までのHikaruの業績を振り返って讃えるエントリーとこれからのHikaruを考えるエントリーの二種類で構成されてきているのだが、その都度どちらの話をするかは大体その日の気分や成り行きで決めている。たま~にシリーズものをやろうと思い立って、例えば先週一週間まるまる歌詞閲覧回数ランキングについて語ったり、過去にはEXODUSの歌詞について丸々3ヶ月間講義(?)したりという事もあったがそういうのは例外的で、大抵の内容が中途半端にやりかけで終わったり予告だけして一切手をつけなかったりといった感じで放置されている。

こういうのは、私の性格によるのだろう。予定を決めてその通りに行動したりというのは、何となく力が入らない。何故と言われても結構わからないのだが、取り敢えず今まではそうなんだろうと思ってやってきた。次どうなるかわからない方が筆が進むのである。

ヒカルの場合はどうなのだろう。「いきあたりばったり」という標語(?)に端的に表されているように、未来に保証はない方がと突き進む一方、締め切りとか打ち合わせとかが好きだという一面も見せる。予定を決めて自分を(時には無理矢理)そこに押し込む、というのも時には必要だと思っている節もある。

宇多田ヒカルというとどうしてもビッグ・プロジェクトで、動き出すとなると何ヶ月も前から入念に計画が練られていて、その為には何年も前から…と思いがちだが、今の状況はどこらへんになっているのだろうか。昨年来のスタッフ陣の発言からすると、今振り返れば、彼ら自身の期待や願望も込みで、復帰が近いニュアンスが含まれていたのだけれども、それすら我々の"気分"と大差ない雰囲気であって、実際のところは結局「わからない」という事なのだろう。

スタッフですらそういう、ファンに近い目線で居るというのは、恐らく契約形態が他の邦楽アーティストにないタイプのものだからだろう、という推測を昔からしている。例えばそれは、「1年に1枚のアルバムをリリースする」だとか「5年3枚」とか、年限と枚数を組み合わせた契約を、通常の邦楽アーティストたちが結んでいる一方、ヒカルの場合は「無期限10枚」のような、年限を区切らない形態になっているのではないか、その為、スタッフとしても次の制作がいつ始まるかは、最初の最初は把握しきれないのではないか、そういう風に解釈してきた訳だ。

無論ヒカルも自分の影響力は知っているし、また、恐らく、新しい音源か否かはさておき、宇多田ヒカル名義の作品は17年連続でオフィシャル・リリースがあるなど、「毎年リリース」という縛り自体はあるのかもしれず、その為にスタッフは毎年頑張らないといけないようになっていて、それもまた復帰への期待を高める原動力になっているのかなと、思ったりもしている。

いずれにせよ、もしかしたら、まだ現時点にあっても復帰に関しては今まで通り「全く白紙」である可能性も捨て切れず、従って「まだ慌てる時間じゃない」のかもしれない。そこをどれだけ気楽にやっていくか、果たして、今年のオフィシャル・リリースは新曲になるのか企画モノになるのか、まったり期待しながら待つ事にしよう。

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