無意識日記
宇多田光 word:i_
 



WILD LIFEでのメッセージ、『自分自身を大切に』。出来ているかな? 出来てないなぁ。戻ってきてくれても、合わせる顔が無い。

桜の季節だ。ヒカルは、と言っても、桜が散る歌と流れる歌しか歌っていない。まぁそれはそれでよいか。昨日桜流しについて検索していたら希美まゆが桜流しを絶賛していた。三年前にも、一年前にも。どうってことないが、妙に嬉しかった。え、それ誰って? 未成年者は検索しないように。

桜流しが震災を幾らか意識して書かれたのは間違いないだろう。11年3月以降、日本人の意識は幾らか変わった。あれから4年経ったけれど、傷跡はまだ残っている。廃炉作業などはまだまだこれからがといった所だろうか。先は長い。それでも、いや、だからこそ桜流しの響きは重い。こちらの地方ではとても良い夜桜が眺められるが、桜はいつか散って流れてゆく。抗う事は無い。

EVAQがもし無かったら、或いはもっと延期されていたら。いや、もし一年早かったら。様々なifが頭に浮かぶが、現実はこうなった。2012年11月。タイミングとしては、どうだったのだろうか。

ヒカルがLIVEで歌う日も、来るだろう。どんな思いを託せばいいのか。歌が続編でなくても、映画が続きである限り、Beautiful Worldと、次の曲との繋がりを無視する訳にはいかない。

ここまで、2つの曲は同じテーマを扱っている。

『Beautiful boy 自分の美しさ まだ知らないの』
『あなたはとてもきれいだった』

『言いたい事なんかない ただもう一度会いたい』
『もう二度と会えないなんて信じられない まだ何も伝えてない』

あなたは美しく、会いたくても会えず、もう何も伝えられない。

次のEVAの歌は、上記のそれぞれに一行足せる歌詞を含んでいる筈だ。美しいあなた、会えないあなた。次は、どうなる。


ただ、庵野監督の事だから本当に"続き"を描いてくるかが疑問だ。Qからして突如14年後だし、極端な話シンジやアスカが出てくるかさえあやふやだ。予告編なんて詐欺だというのはもう皆わかっているだろう。白紙。それ位の気持ちで待ち受けなければならない。

歌の求心力は、寧ろ、エヴァンゲリオンを踏みとどまらせるだろうか。Qのエンディングが『私たちの続きの足音』に見えたのは偶然なのか故意なのか。『君の側で眠らせて』は明らかに引用だろう。監督は想像以上に歌を聴いている。次の歌をヒカルがどのタイミングで完成させてくるかで、EVAも変わる可能性がある。身内贔屓ではない。いや別にヒカルは身内ちゃうけども、主題歌なんて本来添え物である筈が、作品内のコンセプトにまで影響を与えるならばやはり稀有ではあるだろう。

となると、EVAの過去を掬った(『あなたが守った街の』)桜流しが次の映画の内容を示唆するとすればどこだろう。『健やかな産声』か。きっとそうだな。やってくれるよ、庵野監督ならばね。2015年はEVAにとって、特別な年なんだしな。まさかこの年まで続けてるだなんて、思ってなかったんだろうなぁ…。

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Single Collection Vol.1の発売から11年。時代の一区切りを印象づける作品だった。"ベスト・アルバム"扱いとはいえ、年間1位を獲得した最後の1枚としての輝きは色褪せない。というか、宇多田ヒカル史上最大のロングセラー作品である。昨年分だったか、新古書店での売上データで図抜けた成績を残していたとの情報もあった。宇多田ヒカルなら取り敢えずこれ、というのは言うに及ばず、「J-popで何か1枚というなら取り敢えずこれ」の域にまで達したアルバムだ。iTunes Storeでも"延々ダラダラ"ランクインし続けている。史上に残る化け物アルバムである。

本人はそういうキャラクターではなかったが、その余りのクォリティーに"一時代を築いてしまった"事は疑いが無く、一方で、ほぼ全く同じ事を成し遂げた母親がその知名度の呪いが如何に厄介なのかを表現し続けた事もあってかなくてかいずれにせよ母親同様その負の面に苦悩し続けた最初の5年をこのアルバムで一旦総括した感がある。

今から振り返ってみると、Vol.2との作品の質の違いは思った以上に大きい。新曲5曲に本人肝いりの装丁など気合いの入りまくったVol.2と、ただ一筆"思春期"とだけ記して殆どタッチしていないVol.1では最早正反対の性質すらある。Utada The Best発売の際同作に「誠意のない作品」という言葉をヒカルは投げかけていたが、それを言うならVol.1だってシングル曲を発売順に並べただけの安直な作品だ、と言う事だって出来る。COLORSは"アルバム"初収録曲ではあったが。

それを考えてしまうと極端に濡れ手に粟なのかとなってしまいそうだが勿論違う。一曲々々を精魂込めて作ってきたから、というただそれだけの事だ。その中で、楽曲をピックアップできる対象期間が他のどのアルバムよりも長かった、だからVol.1は充実した作品になった。それを言うならVol.2は更に充実した作品だが、やはり"思い出とリンクする"という点でVol.1に劣る。いや、そこのところをVol.1がせき止めてしまったと言った方がいいか。

Pop Musicはそこである。如何にヒカルがこの5年でアイデアを書きためていようと、それによって出来上がってくる楽曲のクォリティーが凄まじいものであっても、数多くのリスナーが"その歌のある時代"を長く長く共有できる時間を提供できなければ、Vol.1のような"現象"は起こらない。一度起こせたなら十分過ぎるのだが、長く生きていればまた何度目かの"黄金期"を迎えてしまわないとも限らない。後はもうヒカルのスタンス次第だ。望んだからといって手に入る訳でもなく、望んでもいないのに手に入れてしまう事もある。人生ままならないけれど、それはもう、Vol.1の表紙に書いてある通りなのだった。「点」に本人による訳が載ってるよ。

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