無意識日記
宇多田光 word:i_
 



なお、肝心な事を書き忘れていた、勿論「しょうがないなぁ」のCVは津田美波だ。百合男子抱かれたい女No.1。まぁそれはいいとして。

4年も前にちらちら言ってた事をもう今更引っ張りたくはないんだが、といいつつもう何回引用したかわからないんだけど、周囲に甘えずに生きていきたいと言って始めたのが人間活動だった。私の反応は終始「そう力まなくとも」みたいな感じだったし、どちらかというと周囲に対する甘え方を覚えた方が周りも喜ぶんじゃないの、みたいな論調を展開していたと思う。皆ヒカルには感謝しているのだから、頼られるのが誇らしかったり甘えられたりなんかしたら嬉しくて仕方ないんじゃないの、と思う。例えば、「タモリさん今度連れてってくださいよ~」といえば100%森田一義氏はデレデレになる。井上陽水に「あの~バックコーラス入れてくれませんか?」と言ったら二つ返事でOKだろう。断るとしたら「そんな畏れ多い」みたいな反対側の理由で、である。

俺だってヒカルに甘えられる、ヒカルに甘えさせられるとか羨ましくて仕方がないが、現実には何らかの一流の才能があったりだとか長年の親友だからとか、ないと無理だろうね。

一流の人間は「恩を売る」のがとても得意だ。他者の為に身を粉にしてはたらける。色んな人から感謝されて、恩を返して貰いながら生きられる人生。しかし超一流は、もう自ら「恩を買って」どんどん周りの人たちを巻き込んで前に進んでいくんじゃあないだろうか。実際は違うかもしれないが、長嶋茂雄なんかそういうキャラクターとして愛されてるような気がする。ジャイアンツファンじゃないんでまぁようわかってないんやけど。

ヒカルがどのタイプであるか、これからどのタイプになるか、はわからない。ただ、スタジオ・ワーク、ツアー生活、共に今まで「出来る所は出来る限り自分でやる」姿勢でやってきた。そして倒れるのが恒例行事になっていたのだが(ひどいなその言い方。我ながら。)、恐らく帰ってくる頃に待ち構えているその"姐さんポジション"をうまく使って、人を煽てたり調子に乗せたりする能力も発揮してくれたら面白い。最も、ヒカルの場合、さっき出したタモリや井上陽水なんかを例にとるまでもなく、男女問わず周囲の人間はデレデレな気がするけど、まぁそういう人たちにもチャンスを与えてやってくださいよと。


もうリリースされてから3ヶ月になるの!?とたった今(私が)驚いた宇多うたアルバムも、相変わらず(通して聴く機会は減っているけれど各曲々は)愛聴させてもらっているが、何かこれは潮目が変わるようなキッカケになりそうな感触も孕んでいる。

沖田さんなりのコンセプトだろうが、このアルバムではヒカルと各アーティストたちが対等だった。これを「トリビュート・アルバム」と呼んでしまうのには、確かに抵抗がある。下から上へ献上するというよりは、各音楽家がヒカルと架空の対話をしているような、言わば13の対談集のような趣もある。沖田さんは中編小説、という言葉を使っていたかな。なので、個々の楽曲はそれぞれの主張が並列しているような感触なのだが、これを13個並べてみると確実に中心にヒカルが来る。太陽とひとつの惑星は間にある重心を中心に互いに回転し合っているだけだが、それらを総て合わせると結局太陽を中心にして惑星たちがその周りを回っているような見た目になる。それに近い。いや、話が難しいぞ俺(汗)。

何が言いたいかといえば、ヒカルが姐さんをやるんなら、ヒカルらしくやればいい、という事だ。どちらかといえば「お前ら、黙って俺についてこい」というような頼もしキャラではないものの、一対一で次々と悉く人を魅了していく、そういう人柄なので、やたら時間はかかるものの、結局はヒカルは太陽のように皆の中心に位置する事になる、という結果論的な頼もしさでいいんじゃなかろうか。後は、今まで言ってきたように、魅了してきた人々に「活躍する場」のようなものを与える仕掛けを仕掛けられるかどうか、だ。今までの蓄積をそうやってカタチに出来れば、案外とんでもないエネルギーが生まれるような気がする。アーティスト仲間たちにも、レコード業界の人たちにも、我々ファンにも。それ位のポテンシャルは、あるよねきっと。

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「甘えてなんぼ」と23歳になってから歌った(いや録音時は22歳だろうけど)ヒカルは、当時自他共に認める(?)"甘え下手"だった。出来るだけ両親に迷惑をかけないようにと生きてきた成果(??)だが、甘えるのが下手ならばたぶん甘えさせるのも下手なんじゃないか。

今や宇多田ヒカルは"姐さん"ポジションに遷移しつつある。年齢的にもそうだし、絶滅寸前の"J-pop世代"最後の良心のようにも思われている。シーンで最も頼もしい性格であろう椎名林檎様にすら復帰を熱望される、いわば最後の砦。一言でいえば皆ヒカルに甘えたがっている。

恐らく、ヒカルはそういった状況に困惑するだろう。そう推測するのは、ヒカルが期待に応える自信が無いとかいうのでなくて、ただ単に人から甘えられるのに余り慣れていないから、だ。

物事を仕切るのはうまい。本人や三宅Pの証言によると、14歳の頃から現場の段取りを取り仕切っていたそうな。そりゃそのままプロデューサーになる筈である。そんなだから映像監督にもなれたし(映像監督というと映像の知識や技術の有無にばかり目が行きがちだが、寧ろ"監督能力"の方がクリティカルだろう)、WILD LIFEでは見事に座長を取り仕切ってみせた。そういう意味での頼もしさは既にある。

しかし、他人から甘えられる、他人に甘えさせる、となるとニュアンスが違ってくる。一言でいえば「もう、しょうがないなぁ」である。この一言を、ヒカルはたぶん言い慣れていない。

これから(いつになるかわからないが)光が子育てを始めたとして(既に産んで育てているというウルトラCもそれはそれでアリだ)。赤ん坊は母親なり誰かなりに甘えまくる存在である。10ヶ月でのこのこと顔を出してきて、それでいて自分1人では一切何も出来ない。草食動物なんていきなり立って歩き始めるんだぞ。そういう存在を相手にする事は、ペットを飼った事もなさそうな(ネコは誰が世話してたんだろ?)ヒカルにとっては新しい経験になる筈だ。

そしてその、「甘えたり甘えられたり」の関係に慣れ親しんだら、それこそ仕事上の意識にも変化が現れるかもしれない。「人に甘える事なく自分の力で」という考え方で成長していこうとしても、「人から甘えられる程の強さ」までは身に付けられない。どこまでいっても1人で強くなっていくだけであり、それなりの限界もある。

シンガーソングライターだから、そういう孤独な成り立ちでもいい気がするし、事実お母さん/藤圭子もそういう"ひとりで強さを"という生き方を選んだようにみえる。しかし、ヒカルの場合、「戻ってきて欲しい」という甘えに甘えた我々からの期待という、お母さんには(たぶんあまり)なかったファクターが絡んできている。だから、あとはヒカルの意識次第だろう。孤高の存在として孤島から作品を提供し続けるか、シーンのど真ん中にまた飛び込んでくるか。プロモーション戦略は、そこらへんで決まってきそうな予感もしている。

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