無意識日記
宇多田光 word:i_
 



今うだうだと"売り方"について私が考えているのは、特に建設的な理由がある訳ではなく、ただ単にテーマとして興味があるからだ。昨年の宇多うたの、「最初は“こんなん売れるの?”と懐疑的なところから始まったのに気が付いてみたらオリコン5位まで漕ぎ着けていた」hikki_staffの皆さんの見事な手腕を見せつけられては、不安になれというのは無理な相談である。時代としては厳しいかもしれないが、きっとその中で結果を残してくれるだろう。期待している。

だからそれについて横槍を入れたい訳ではない。考察を通して自分たちの立ち位置を確認したいだけである。

で、だが。考えれば考える程、宣伝の為のメディア(マス・メディア)と、音楽に直接触れる為のメディア(CDとかipodとか、兎に角再生演奏に必要な機械や装置や何やかや)を統合して捉えないといけないなぁ、という気になってくる。しかも、それがたぶん世代毎にバラバラなのだ。


私個人は70年代生まれで、世代的にはテレビっ子世代後期という感じだが、毎度書いているようにリスナーとしてはかなりラジオ重視、CD重視というタイプで、そこまで多数派ではない。まずこの世代(今30~40代)にアクセスするには、テレビドラマやアニメの主題歌が有効だ。キャッツアイやGet Wild、ラブストーリーは突然にやらSAY YESやらの世代だといえば伝わるか。そして、世代的にもお財布的にもCDを買う事に抵抗がない、が、その習慣が失われてしまっている世代でもある。ともあれ、この世代は全国ネットの地上波テレビや映画なんかで歌にアクセスしてきた世代である。

80年代生まれ、今20代~30代の人たちは、90年代、最も音楽ソフトが日本で売れた時代に十代だった人たちだ。毎週新曲をチェックし、カラオケに通い、新作CDを買い…Mr.Childrenやスピッツ、小室ファミリーからモーニング娘。のブレイクあたりまでだろうか。バンドブームやヴィジュアル系の生き残り、また、電波少年や浅ヤンで"バック・ストーリーを伴って歌に触れる"事で購買に寄与してきた。この世代がいちばん歌を中心にものを見て育ってきている。更に、フジロック以降のフェスティバル形式を牽引してきた世代でもある。CDも買いライブにも行く。宇多田ヒカルをいちばん支持してる層はここの生き残りだろう。しかし、70年代生まれ同様に最早CDを買う習慣を失いながら社会人になってしまったので、ビッグネームのコンサートには行くけど新譜は買わないなぁ、という感じになっている。なので、この世代を直撃するには、もう一度ストーリー性のあるアーティストをあてる必要があるだろう。これはなかなか
難しい。

90年代生まれ、今なら10~20代だろうか。物心ついた時からインターネットがある世代。最早CDを買う習慣は元々ない。辛うじて、10代の頃は着うたとか買ってたかなという世代。それも、ガラケーからスマホに買い替えたら失ってしまった。つまり、もうここらへんから音楽やアーティストに愛着がなくなってくる。夢中になるのは嵐や秋元康などのアイドルで、歌は彼らの活動の一部でしかなく、それにすら"本業の音楽家"たちは売上でかなわない。"ヒットチャート"という概念が失われ、音楽がおまけになった世代だ。ここに売り込むには、歌を"何かに紛れ込ませる"しかないだろう。

00年代はまだ10代になったかどうか。小学校に上がる頃にはスマホが普及していたのだから、もうここらへんになってくると音楽は動画サイトで観るだけのものだろう。ボカロ文化は大体無料で体験できるのだから。歌は買うものではなくなっている。既に、この世代にとって歌は産業や商売の対象という意識は薄く、何かの宣伝の為にくっついてくるものなんじゃあなかろうか。音楽を買った事があるか訊いてみたくなる世代だ。


自分より下の世代を書いたので、次回は上の世代だな。

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深夜アニメが擬似クラウド・ファンディングでローテーション出来ているといっても、それは結局全国ネットのテレビ放送の影響力を頼ってのものであり、それは即ち、深夜ではなくゴールデン・タイムのコンテンツが高い視聴率を得る事によってテレビの影響力を維持してくれているから、というのが前提にあるし、円盤の収益も、熱心なマニアを相手にしたものより一桁も二桁も売り上げるディズニーやジブリといった大衆受けする(した)コンテンツ抜きには語れない。

毎度"大衆"という言葉を無批判に使用しているが、これは相対的な概念であって固定化されたものではない。私のような、端から見て"熱心なファン"は宇多田ヒカルリスナーとしてはその"大衆"になり得ないが、例えばコンビニでカップラーメンを買う、なんていう自分にとって何のこだわりもない行動に関しては"無責任な大衆の一部"なのだと思う。深く考えず、CMや報道のイメージに左右されて気軽に消費したりしなかったりする、そういう人間であるかどうかは、ひとりひとり、その時の着眼点によって異なる。相対的というのはそういう事だ。

宇多田ヒカルは、その、"無責任な大衆"の方を相手にする事でその資産を築いてきた。だから我々は無視されるべき存在なのだというのが前回の論旨だった訳だ。

そして、先程取り上げたアニメのローテーションのようにわかりやすくはないが、音楽業界もまた"無責任な大衆"を相手にしたビッグ・アーティストたちによって支えられている。サザンやミスチルみたいなな。金額ベースだと、更にアイドルやらEXILEグループやらの影響力も大きい。彼らの収益によって、細々とした専門レーベルもリリースを続けられている面がある。

もっとも、それも実際は錯覚かもしれない。大規模レコード会社が潰れても、例えばCDを100円200円値上げすれば専門レーベルも独立採算でやっていけるのかもしれない。こういうのはやってみないとわからない。

だが取り敢えずは、大衆に波及出来る影響力をもった"ビッグ・アーティスト"が必要で、ヒカルはそのうちの一人に数えられていて、我々はそれを見守っている。ただそれだけだ。


その影響力を支えるのがレコード会社の宣伝力であり、全国規模の出版や放送メディアである。この構図を踏まえた上で、じゃあどうすればいいのか、海外に拠点を移すとかインディーズ・レーベルを立ち上げるとか以外のアイデアがないか、ちょっと考えてみたい今週なのです。

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