無意識日記
宇多田光 word:i_
 



UU06の話。9年近く前の話だしもう時効だろう。って実は当時も同じ内容の事を何処かで書いてるんだけどgooblogでは初めてだろうな。

私の観た静岡初日はそりゃあもう酷かった。歌はヨレヨレ演奏はグダグダ。SAKURAドロップスなんて歌い出しのキーを間違えて演奏が入った途端どよめきが起こった。いやはや、観てられんかったよ。実際何曲分かロビーに居たしな。いたたまれなくて。

それが翌日の公演になったら見違えるようによくなるんだから本当にわからない。いきなりヒカルのパフォーマンスが仕上がった。演奏は相変わらずグダグダだったけど、皆ヒカルの歌聴きに来てたんだからそれは構わないだろう。

まぁ評判を総合するとさいたまスーパーアリーナ(ちょっと待て今予測変換で出た“スーパーケンタくん”て何だ? ちくわ大明神か何かか??)の2公演が随分酷かったらしいが1日目は私都合よく観てないのでわからんが、2日目は確かに声が出てなくて、それでも1日目よりはよかったというのがおおまかな感想なのだから余程酷かったのだろう。いや、私実際聴いた訳ではないから評価を実際に下す気はないのですがね。

まぁあの頃のヒカルは不安定だった、という事だ。単純に考えて、トップ・パフォーマンスが観れたのは全公演中5~6割といったところか。そこらへんは10公演行った猛者(ご当人は是非"バカ"とルビをふって欲しいそうな)に今度また訊いてみるとして。

In The Flesh 2010では随分安定して、声に不満があったらしいのは2公演位にとどまっていた印象。いや私は初日に観た訳だが、その仕上がりぶりは素晴らしかった。一切オーバーダブなしでライブアルバムを作れるレベルだった。そしてWILD LIFEは皆さんDVD/Blurayでご存知の通りだ。あれも一ヶ所も直さずに作品化されている―えぇっと、少なくとも、あったとしても私は一ヶ所も気づかなかった、と言ったらいいかな。凄い歌唱でしたよそりゃあ。えぇ。

なので、今後のヒカルのライブ・パフォーマンスはかなり安定していくだろうと思われる。もしかしたら衰えが来る時もあるかもしれないが、だとしても「ゆるやかに・満遍なく」になるだろうから、"公演毎のムラ"は殆ど無くなっていくのではないだろうか。


しかし…と静岡初日公演の様子を思い出してみる。調子が上がらない中で、ヒカルが鬼のように必死だった事を。あれを生で見られたのは本当に貴重な体験だった。まるで身体中の細胞という細胞が"学習"の名の許にヒカルの身体を作り替えていく様が手に取るようにわかるかのようだった。勿論妄想と錯覚の掛け算に過ぎないのだが、しかし、2日目の信じられないような"立ち直りよう"は、そのたった1日でのステージ上での"学習"の成果だとしか思えなかった。ヒカルは、ステージの上で一曲毎に、いやさ一アクション毎に成長していたのだ。


普通、一回のツアーで観に行くのは一公演だ。その回がヒカルが不調の公演だったらたまったものではない。貴重な休みを返せ、金返せ、となるだろう。しかし我々(無意識日記を読んでいるような人間たち)からしたらヒカルが不調の時に当たることこそ、特にこれからは貴重になる。ヒカルは、流石に23歳の時のスピード感はもう無くなるだろうけれども、それでもステージ上の悪戦苦闘からリアルタイムで何かを見つけ、獲得していく筈である。もしそれがうまくいっている公演であれば目撃できなかった、"ヒカルが今ここで成長している姿"というのを、不調公演で我々は目に焼き付ける事が出来るのだ。その価値については、9年前に体験した者として強く強調しておきたい。

でも、これからはそんな公演、本当に少なくなるだろうなぁ。二度と無いかもしれない。それはそれで喜ばしい事だから、いいのだけれど。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今日は何の日宇多田ヒカル、もとい、世間一般の今日は何の日では72年前の1943年3月2日、野球でのカタカナ用語が禁止されたそうな。ストライク、アウト、ホームランといった語が使えなくなった。一体そんな事して何になるんだという感じだが、戦争も押し迫っていよいよ末期だったのだろうな。社会が精神疾患を患った状態といおうか。精神疾患というのは生理学的病態ではなく社会的病態なので、この場合国際関係上の精神病、という事になるが。

流石に今更この国で外来語禁止は無いだろうが、類似の思考形態はあり得る。例えば駅構内では数カ国語による表示も珍しくなくなっているが、これが日本語とアルファベットに限られる、なんていう事態なら21世紀の今でも可能になるかもしれない。

インターネットも同様で、日本語と英語のサイトにしか接続出来ない、なんて事も有り得るだろう。72年前の話を小馬鹿に出来るほど日本人は賢くなっていない。自分もその一員だけどさ。

となると、Utada Hikaruのワールド・ツアーも、行ける国と行けない国が出てくる、というか、そもそもHikaru自身が行ける国にも制限が出てくるかもしれない。ここらへんは難しいところで、何がどうなるかなんてその時になってみないとわからないが、今言えるのはそうなる前にまわってしまった方がよいだろう、という事だ。

各地にファンを作ってしまえば、それが一時的に弾圧されたとしても必ず復活出来る日はくる。これは、どの国の話という事はない。地球上総てに当てはまる事だ。月や火星についてはまだ考えてません。

そもそも、表現の自由が規制された国で歌手が活動を続けられるかという点からして疑問である。Hikaruなら常に表現の自由を求めて移り住み続ける事も可能だろう。その時に、"来日"できるかどうかは、…わからんわな。

兎に角今は、そういった諸々が"馬鹿馬鹿しい杞憂の数々"として打ち棄てられるのを祈るばかりだ。ここからどうなるか、私にもよくわからない。或いは、もう既に目を背けたくなっているのかもしれないな。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )