無意識日記
宇多田光 word:i_
 



アプローチの仕方は、両極端の2つを考える。どの世代に対しても同じ商品を提供するか、きめ細かくそれぞれのメディアに対応するか、どちらかだ。

昨年、アナ雪の売り場を見に行ったら、一種類の製品しかなかった。DVDとBlurayの同梱盤だった。なるほど、DVDを買うかBlurayを買うか迷う位だったら、両方入ってるこれをどうぞという事か。間違って購入して見れないと苦情が来る事もない。200万枚ともなると、そういうスケール感になる。私は実際にアナ雪が何種類リリースされたか知らないが、それとは別に、この、購入時のわかりやすさはいいなと思った。自分は結構迷う方だからだ。配信で済ませるかCDを買うか、DVDにするかBlurayにするか。音質や画質をとるか、1000円以上の価格差をとるか。結局、その時買うコンテンツ次第で選択するのだが、いちいち迷うのが煩わしいなとも思う。色んな買い方が出来るというのは、煩わしさも出てくるのである。

沖田さんはハイレゾ音源と圧縮音源の差を、「コンサートを観る時にS席で観るかA席で観るかの差だ」と語っていた。わかりやすい。しかし、買う時に迷ったり悩んだりするのも事実である。価値観が定まっているのなら選択にコストはかからないが、そうでないケースも考えた方がいいかもしれない。

ヒカルが次に作品をリリースする時に"一本化"が現実的であるかというと、やはり難しいだろう。CDと配信は大体が音質と利便性と価格のトレードオフの中で選択される。素朴に推測すれば、どちらかに一本化してしまうより選択肢があった方がトータルでは売れるだろう。 

となると、もうひとつの極端、あらゆるメディアでのリリースという事になる。それこそ、配信も音質と価格を比例させてハイレゾから圧縮まで取り揃えたらいい。CDもSHMやらBluray Audioやら、何種類も出せばいい。マニアは全種類買ってしまうだろう。何とも怖い話だ。そんなことされたら聴き較べが捗ってしまうがな。

しかし、悪くはない気がする。複数枚商法ってどうにも印象が宜しくないけれど、中身が違うんだったら構わないんじゃないか。CD、SHM-CD、プラチナSHM、Bluray Audio、DVD-Audioなどなど何種類もリリースして、それらが総てジャケット違いだったりすればこれはかなり。それは阿漕と言われそうだが、ジャケット変えとかないと買い間違いを誘発するからそれは必要だと思うぞ。悪くない手法な気がする。カセットテープでも出しちゃえ。まだ工場稼働してるからね。アナログは勿論でしょそりゃ。何か妄想するだけで楽しくなってきた。



逆に"一本化"で現実味のある方法はないか。考えてみたのだが、全曲PVつきでニューアルバムをリリースするのはどうか。つまり、オーディオトラックのみのCDと、PVが全曲分入ったDVDを同梱し、更にプラグエアとかダウンロードコードとかも同封し、購入者は配信購入もそのまま可能、というシステム。まさに全部入り。DVD付きにしたのは、配信では音質よりも画質への要求が高いからだ。ならそこはいっそBlurayに…となりそうだが、それならCD+DVD+Blurayにしてしまうか…流石に値段が上がってしまうな…。


本当は、プレイボタンの進化形みたいなのが"一本化"には一番なんだが。あれだ、買ったらイヤフォンを繋ぐだけですぐ聴けるヤツな。浜崎あゆみとかがリリースしたこともある、ノベルティ向けの缶バッヂ型プレイヤー(アルバムが一枚プリインストールされてて3000円)だ。

まぁ、今ならみんなスマートフォンを持ってるからプラグエアの方がいいかもしれない。スマートフォンのイヤフォンジャックに差したらアルバムがダウンロードされるヤツな。まぁ、どっちでもいいよ。

CDでないと聴けない層、少なくともCD以上の音質で聴きたい人にも、となると…うーん、やっぱり一本化は難しいか。どっちも無茶だが、どちらかといえば「あらゆるメディアでリリースする」極端の方がまだ現実味がある気がするなぁ。まぁ妄想は楽しいですよ、えぇ。

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60年代生まれといえば今40~50代か。80年代に20代だった世代だが、この年代は案外レコードを買っていない。どこまで正確に比較出来るかはわからないが、80年代は松任谷由実の"復活"まで長らくミリオンセラーアルバムが出なかった。CDの登場以降、音楽の購買が盛んになるのだ。

50年代生まれとなると50代~60代。ザ・ビートルズやグループ・サウンズの洗礼を受けた時代だが、ここもそこまでレコードが売れた訳ではない。しかし、当時の物価を考えるとレコードの値段は相当なもので、かなりの高級品だったと思われる。寧ろこの世代はかなり積極的にレコードを買っていたといえるかもしれない。

40年代生まれとなると60~70歳。戦後生まれとなるだろうか。ヒカルの両親より更に上となると沖縄が外国だった時代を知っている世代だ。ここから上に関しては私もようわからん。


こうしてみてみると、今の90~00年代生まれは60年代生まれと相似な事に気付く。と、いうのは、ここらへんから「生まれた頃からテレビが存在する世代」になり、「生まれた頃からインターネットが存在する世代」と気質が似てくるからだ。つまり、ボタンひとつで無料で娯楽が手に入る事が当たり前になっていた時期である。こうなると、確かにお金を出してコンテンツを買うという習慣は身に付き難い。

違いもある。テレビが「娯楽の王様」として君臨していた頃は、チャンネル数の少なさもあって流行歌のヒット曲が一局集中する傾向があった。「泳げ!タイヤキくん」(表記忘れた)のヒットは70年代後半だが、まさに、この曲のように「それだけが突出して売れる」という現象があった。その為、よく、「昔は老若男女誰でも知ってる流行歌があった」という懐古は真実だけれども、一方で、レコードはそんなに買わないというのが当時の状況だったのだ。皆テレビやラジオで満足(?)していたのだ。歌番組も多かったし。

今はテレビの代わりにインターネットだから、大ヒット曲はない一方、激しく好みが分散されている。誰もが知ってる大ヒット曲はなくなった(でも去年のアナ雪は凄かったねぇ)一方、クラスタ毎にブームが移り変わる状態になった。コミュニティーとクラスタ単位で話題が推移し、歌や音楽もその中でハイパーリンクのひとつとして相対化された。ツイートやらコメントやら画像や動画と音楽は今や同じ土俵で選別の対象である。コミュニティーのハブとしていちばん有能なのはゲームであって、それらを中心にコンテンツが広がっている。テレビ世代よりずっと複雑である。



…とざざっと概観をみてきたが、何が言いたかったかというと、各世代毎に歌や音楽に対してのリーチの仕方、即ちマスメディアの在り方と使い方が異なり、それに伴って端末(再生メディア)の扱いも異なっているという事だ。そして、今のインターネットがインフラになった時代は、テレビが登場して旧来の娯楽消費の在り方を過去のものとした状況との相似と相違をそれぞれに持ち、従って、歴史から学ぶならば、またここから新しいコンテンツ供給の在り方やら発展やら勃興やらが見込まれなくもない、と解釈され得る訳である。


こういう概観の許に、さてではどんなアプローチがあるかというのが本題。次回また。

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