無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ネルソン・マンデラ氏が亡くなった。95歳。このニュースを聴いて最初に思ったのは、「そういえば、ヒカルがノーベル平和賞を貰えたら、喜ぶかな…」という事だった。

あんまり"賞"なるものに執着がないであろう事は容易に想像がつく。本人もそう仄めかす発言を随分過去にしている。今や一周まわって、賞を貰ったら素直に喜べるようになっている、んだろうきっと。

しかし、ノーベル平和賞は別格な気がする。ある意味、彼女が「いちばんしたい事」なんじゃないだろうか。平和に貢献する、というのは。

この日記では、徹底してHikaruの事を音楽家として扱っているが、彼女の人生、別に誰に決め付けられる訳でもない。何をしようが好きに生きればいい。が、能力を別にして何を成し遂げたいかといえば、世界平和というか…「いい世界にする」事なんだろうな、とぼくはくまをリリースした当時のメッセージを思い出しながら思う。こどもたちのくまに対する反応をみて、「いい世界にしてあげたいって思っちゃうよね。」と言ったのが、妙に印象的だった…2006年12月18日のメッセージか。もう7年も前になるか。

この実感。いい世界にする、ってどういう事だろうと考えて、「取り敢えずいい世界にはいい歌が不可欠なんじゃね?」と冬至の私…いや確かにその季節だけども…当時の私は反応を返した。やっぱり徹底して音楽家扱い。

いい世界って、何なんだろね。わかんないや。

でも、Hikaruの居る世界は確実にいい世界だ。それは言える。


人間活動を経て、自分が何をしたいのか、何が出来るのか、いろんな角度から検討できた筈だ。そんな中で、本当に自分がこれからする事は何なのか、どれ位見えてきただろう。あとどれ位かかるかわからないが、中間報告でもあると有り難い。

ノーベル平和賞ってもう随分歴史が長いから、どこの誰が受賞してきたかは私は全然知らないのだが、過去に音楽家が授与された例はあるのかな。なければそういう前例を作ればいいし、あるのなら心強い。何が言いたいかというと、いちばんよくできることをやっておけば、最終的に、自分のやりたかった事も成し遂げられるかもしれないよ、って事。まだ若いんだからね。取り敢えず、今月の熊淡納品頑張って♪

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前回のエントリーを要約すると、「ヒカルの新曲は毎回進撃の巨人第1話みたいなもので、全部出オチ。」という感じになるか。完成度が高い、というと違うかもしれないが、ほぼ総ての楽曲を煮詰めきってから発表する為、なんていうのかな、こちらは「成長を見守る楽しみ」みたいなもんがない。いやこれも不思議な感触で、振り返ってみたら歌唱であったり編曲であったり、着実に成長の"跡"はみられるのだが、それは常に「後から振り返った時」にしか現れない。出来たてで大人…なんだろう、そんな感じ。

こどもの成長を見守るというのは、そういうことではない。あれが出来ない、これも拙い、という中で失敗を繰り返しながらあれが出来るようになった、これが上手になった、という風なプロセスを経るものだ。15歳16歳にして会社のいちばんの稼ぎ頭になってた人には、そういう時間がなかった…

…という風に書くと、お馴染み「人間活動の意義」みたいな話になりそうなのだが、いや、それはまぁそれで有りなんだけど、何か違う。育てる楽しみ、育つのを見守る楽しみ、がない一方、では我々が彼女を親や先生のように敬って、大いなる信頼を寄せている…というのとも違う。前回触れたように、彼女に寄せる感情は常に期待より不安と心配の方が大きい。

結果だけみると、明らかに誰よりも頼もしい。ここまで結果を出し続けられている人は、特に作曲面においては、右に出る人は居ないだろう。クォリティーの面では安定感抜群である。なのに、いつも我々は彼女の事を心配している。どーんと構えて待っている、という事がない。何の不安もなく「宇多田は大丈夫」と信頼しきっている人は、大抵活動休止中は彼女の事を忘れているタイプなんじゃないか。それはそれでいい事だが。

単なる考え過ぎ、という面も勿論ある。しかし、どちらかといえば「そんなにいつも心配心配ばかり言いやがって少しはヒカルの事信頼しろよ」と普段言ってる方の私がこうやって毎度書いていて「やっぱり期待の方はひねり出すように出してるなぁ…心配は呼吸のついでにできる」なんて風に感じるのは、ちと尋常ではない。ならば、と、その原因の答を探そうとしそうなものだが、不思議な躊躇いがそこにはある。なんだかまだまだこのテーマから離れられそうにない。

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