哲学はなぜ間違うのか

why philosophy fails?

動物の高速予測法が進化

2008年07月26日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

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目の前にいる動物の次の動きを、瞬時に予測するには、どうしたらよいか? 視覚、聴覚などで得られる感覚信号だけから動物の外面的な動きを把握し、そのデータから推算して次の運動を予測する仕事は簡単ではない。多数の筋肉の伸縮による動物の運動は、複雑な脳神経活動によって制御されている。この筋肉運動を、たとえば高速コンピュータを使って、ロケットの軌道予測に使うシミュレーションプログラムの計算のように実行しても、かなり時間をとる上に、たいていは観測データが少ないのであまり正確な予測はできない。まして、コンピュータよりずっと計算速度が遅い脳神経系を使う情報処理として実行しようとしても、とても実用の速度には間に合いません。

そこで、(拙稿の見解では)哺乳動物の進化の過程で別の方法による、動物の動きの高速予測法が開発され、実用化された。それが、動物を駆動する内的要因として、意志、意図および欲望というものを想定して、それを推測することで次の行動を予測する方法です。

拝読サイト:夏休みスペシャル企画 親子ロケット教室

拝読サイト:人工生命

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擬人化が言語の前

2008年07月25日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

拙稿でいう擬人化とは、私たちの脳が無意識のうちにする働きの一つです。脳は感覚器からくる信号を処理して物事の動きを感知するとき(拙稿の見解では)、無意識のうちに、その動きが、その物事の内面にある意志、意図、あるいは感情を駆動力として起こされる、という図式のシミュレーションを作る。そのシミュレーションを仲間との運動の共鳴を認知する場合と同じ神経回路で処理することで、仲間とその物事の認知を共有し、記憶し、(場合によっては)言語化する。逆に、言語化される物事は擬人化されている物事に限る。その意味で、物事の擬人化が(拙稿の見解では)言語化の前段階として起こる。

物体の運動を認知するこのような脳の活動は、たぶん、霊長類を含む広範な哺乳類に共通な神経機構を土台とする働きと思われる。目の前で動く動物の動作に敏感に反応することは、哺乳類の生活に重要な能力です。群行動をする哺乳類は、特に群れ仲間の動物の動きには敏感でなくてはならない。それには、動物の動きを目で見て、一瞬のうちに次の行動を予測する能力が必要です。

拝読サイト:脳が肥大化しています! ◆『人間は脳で食べている』2/2 伏木亨◆

拝読サイト:敢えて真面目に宇宙人について考えてみる

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すべて擬人化

2008年07月24日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

Michelangelo_caravaggio_raise_lazar 逆に言えば、私たちは、人体やその他の物事の動き、あるいは変化、を見るとき、(拙稿の見解では)それらの内部にそれらに動きや変化を与えるような内的要因の存在感を感じて、それをその物事が内蔵する感情であると思っている。物事が変化するときは、それが人間であろうと、そうでなかろうと、その内面にある内的要因=感情によって動く、と私たちは感じる。この図式は、(拙稿の見解では)人間や物事のシミュレーションとして私たちの脳に記憶されていて、連想によって無意識に想起される。

ところで、拙稿では、物事の認知に関するこの脳内現象を、(適切な用語が作られていないようなので科学用語にも哲学用語にもなっていない)擬人化という言葉で説明したが、これが、拙稿が命名したい脳内現象を名づけるのに適切な用語であるかどうか、筆者は自信がない。ふつう、擬人化とは、詩歌など文学やマンガなどに使う修辞的な技法とされている。現代のマンガ文化では、六法全書がキャラクターの絵を添えられて擬人化されている例がある。これら、一般にいわれる擬人化は、修辞法や子供向けに親しみやすくする目的で使われるものとされる。拙稿の用語法によれば、擬人化はずっと強い意味になって、人間の脳が物事を理解する仕組みは、すべて擬人化と呼ぶことになる。したがって、(拙稿の見解では)いわゆる修辞法の擬人化は、無意識の認知の過程を、意識の表面に引き出すことで強く感性に訴える技法といえる。

拝読サイト:蝉雨音色

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ジェンダーも擬人化の名残?

2008年07月23日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

さて、擬人化された物事は、(拙稿の見解では)それが私たち自身の身体であるかのように運動し、運動の加速に伴った感情を持つことによって一つの身体運動‐感覚受容シミュレーションとなり、過去の現実として私たちの脳に記憶される。それが人間であろうと動物であろうと無生物であろうと、あるいは集合的なものや抽象的な概念であろうとも、私たちの脳内では同じ仕組みで擬人化される。注目された瞬間、その物事は、実際に人間であるときもそうでないときも、仲間の人間の身体であるかのように、さらにまた、仲間の動きにつられて動く自分の身体であるかのように、意志あるいは感情、のようなものを内部に持っている、と私たちには感じられる。

幼児向けのマンガなどでは、木も草も風も時計も自動車も、顔が描かれていて、ときには手足がついていて、笑ったり怒ったりする。未開人が感じる、森の精霊たち、ヤオヨロズの神、ランプの精、花の精、などなども、諸々の物事が擬人化されたものでしょう。(英語以外の)西洋語の名詞についている男性、女性などのジェンダーも、未開人があらゆる物事を擬人化していた名残だという理論が、現代哲学の開祖の一人によって唱えられています(一八七三年 ショーンシー・ライト自意識の進化』既出)。

拝読サイト:アニミズム

拝読サイト:男女共同参画を斬る①

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注目、注意のニューロン

2008年07月22日 | x8私はなぜ言葉が分かるのか

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ちなみに、注目という動物の行動は、首と目玉を旋回してある視覚対象を視野の中央に持ってくる無意識の筋肉運動です。これは、視覚や聴覚その他の感覚の情報を処理して運動神経に指令を送る神経活動の仕組みで実行される。私たちが自分の身体の動きとしてこれを自覚するとき、注意という心的現象として感じる。

注意という心的現象については、現代心理学の初期から研究考察の対象になっている(一八九〇年 ウイリアム・ジェームス 心理学の原理)にもかかわらず、客観的な物質現象としてはなかなか捕捉できない。私たちが自分の行動を自覚するときには、明確に、自分が何に注意しているかが分るのに、脳神経系の働きとしてそれを客観的に記述できない。最近、脳科学的実験によって、ようやく大脳前頭葉前野皮質の脳細胞群がこの神経活動の中心になっているらしいことが見えてきた(二〇〇四年 レベーデフ、メッシンガー、クラリック、ワイス『前頭葉前野皮質における注意対記憶位置の表現』)。

これらの研究がさらに進んで、拙稿の提唱している擬人化がどういう脳神経現象なのか、科学的に解明されることを期待したいが、残念ながら現代の実験計測技術では、無理でしょう。脳計測の技術は急速に進歩しているとはいえ、感覚情報の複雑な処理を神経細胞間の連携活動として捉えるにはまだまだ精度が足りない。

拝読サイト:ルールのアップデートに特異的な神経活動

拝読サイト:言語学と脳科学

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