70年代から80年代にかけて、渋澤龍彦とともにアンダーグランドの文化人として名を馳せた人に、種村季弘という独文学者がいます。
渋澤龍彦はSMのSのほうの創始者、サド侯爵の「悪徳の栄え」などを翻訳紹介したことで有名であり、また、正体不明の作家、沼正三の問題作「家畜人ヤプー」の作者ではないかという疑惑を持たれました。
この人は生涯在野のフランス文学者兼小説家として過ごし、大学などに宮仕えすることはありませんでした。
講演などを引き受けることもなく、人前で話すのが苦手だったと思われます。
三島由紀夫や唐十郎など、妖しい文化人との交流が深かったことでも有名です。
一方、Mの創始者、マゾッホの「毛皮を着たヴィーナス」などを翻訳、紹介したことで知られたのが種村季弘です。
この人、私の母校の教授でもあり、講義を聞いたことがあります。
書くものは面白いのに、下を向いてぼそぼそしゃべり、驚くほどつまらぬ講義でした。
有名人ということもあって、初日は大講義室に入りきらぬほどの学生が押し寄せていましたが、しだいに学生が減り、年度末には数えるほどしか聴講する者はいませんでした。
この人が書いた評伝に「謎のカスパール・ハウザー」というエキサイティングな著作があります。
1828年の今日、ドイツ、ニュールンベルクで16歳ほどの少年が保護されました。
彼はしゃべることができず、言葉を理解することもできませんでした。
また、よちよち歩きしかできなかった、とも。
紙とペンを与えると、カスパール・ハウザーという名前だけを書いたそうです。
法学者、医者、神学者などが彼に興味を抱き、教育を重ねた結果、どうにか言葉を理解し、話すことができるようになり、後に語ったところでは、暗い部屋に閉じ込められ木馬の玩具だけを与えられ、孤独に生きてきたそうです。
カスパール・ハウザーです。
彼は当初異常に鋭敏な知覚を持っており、暗闇のなかで文字を読んだり、棒にふれるだけでそれが鉄製か真鍮製かを当てたり、何百メートルも離れた蜘蛛の巣に獲物がかかったことが分かったりしたそうです。
暗闇の中で独り生きていくうちに鋭敏な感覚を身に付けたものと思われます。
それが証拠に、教育を受け、ふつうの暮らしをするうちに、それらの知覚は失われていったそうです。
当時のマスコミは彼のことを書き立て、王様のご落胤ではないかとか、ナポレオンの孫ではないかとか、いわゆる貴種流離の物語を作り上げて大衆の関心を引きました。
しかし、彼が流暢に言葉を操ることができるようになる前に、何者かによって暗殺され、ついに犯人が捕まることはありませんでした。
この一件によって、ますます彼は貴種流離の悲劇の王子として扱われるようになったのです。
バーデン大公カールのご落胤という説が有力で、近年、彼の下着から採取した体液をDNA鑑定しましたが、バーデン大公家が一貫して調査を拒否しているため、仮説の域を出ません。
また、バーデン大公家と近しい者の城から、1928年、偶然隠し部屋が見つかり、部屋の間取りや木馬など、カスパール・ハウザーの証言と一致するものが多く発見されたため、この説を裏付けるものと言われています。
カスパール・ハウザーとバーデン大公カールです。
いずれにせよ、カスパール・ハウザーは発見から5年ほどで暗殺されてしまったわけで、真相は永遠の闇の中です。
後に人を過酷な環境において経過を観察することをカスパール・ハウザー実験、過酷な監禁生活で成長した者がみせる症状をカスパール・ハウザー症候群と呼ぶようになりました。
今となっては謎は謎のままそっとしておくほかありませんが、人の世というもの、何でも起こりうると知ると、平凡でつまらぬおのれの境遇が、幸福に思えてくるから不思議です。
そういう意味では、彼は凡人に幸福をもたらす天使なのかもしれません。
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