夏を快適に乗り切るため、Tシャツ を何枚か購入しようと、千葉そごうに出かけました。
肌触りの良さそうなTシャツ を三枚ほど購入し、そのまま千葉市中心部をふらつきました。
千葉パルコ前の千葉中央公園から、アニメ・ソングらしい大音量の歌声と、野郎どもの野太い掛け声が聞こえてきます。
なんだろうと行って見ると、様々なコスプレを着た若い男女が、アニメ・ソングに乗ってヲタ芸を打っていました。
アニメ・ソングはすべてCDらしく、歌手の姿は見かけませんでしたが、壇上では3人の男女がそれぞれ思い思いのコスプレをしてヲタ芸を打ち、ギャラリーを指導していました。
その姿は芸術的なまでに美的なものでした。
ほとんど馬鹿馬鹿しいとしか思えない狂気じみた衣装、それにあまりに一心不乱に踊るその姿。
それは若さの発露というよりも、もっと原初的な衝動に突き動かされているかのごとくで、私はしばし呆然と見つめざるを得ませんでした。
ヲタ芸を打っている姿を生で見たのは初めてです。
見た目の気持ち悪さをべつにすれば、青空のもと、音楽に乗って体を動かすことは、爽やかな運動であるはずです。
しかし、ヲタクにまつわる暗い欲望の影は、彼らからもにじみ出ていました。
楽しい趣味を持ってうらやましく思う反面、彼らが社会でまともな大人に擬態して生きていくことは困難であろうと、いらぬ心配を感じずにはいられませんでした。
連休最終日、精一杯、ヲタクである悦びを味わいなさい。
そしてまた、明日からは、擬態して生きる日常に耐えなさい。
必ず週末はやってきます。
圧倒的に長い擬態の時間と、わずかな悦びの時間を繰り返すのが生きるということ。
夢中でヲタ芸を打っていた彼らと私との間で、何か違っている点がありましょうや?
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