ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

コーラン焼却

2012年05月02日 | 社会・政治

 アフガニスタン各地で駐留米兵がイスラム教の聖典、コーランを燃やしたことに対する抗議デモが続いています。
 中東諸国との紛争は、いくら米国が否定しても、宗教戦争としての一面が厳然として存在することを否定しきれるものではありません。
 そうではありますが、宗教対立だけが原因ではなく、じつは油が採れることが最大の理由であることは疑いありません。
 
 昨年3月、テリー・ジョーンズなる米国人が、突如としてフロリダ州の教会でコーランを被告とする模擬裁判を開廷。
 テロを助長し他の宗教の信者を迫害しているなどとして、裁判官よろしく人道に対する罪で有罪を宣言しました。
 コーランを油に1時間漬けた後、派手に燃やし、映像をウェブサイトで公表までしましたね。

 愚かな男です。
 イスラム過激派は宗教対立を煽り、問題を宗教戦争だけにすり替えようとしているのですから、テリー・ジョーンズのような男の出現は願ったりかなったりと言えましょう。

  もしかしてテリー・ジョーンズこそ、イスラム過激派だったりして。 

  相手が直接的な軍事行動ではなく、象徴的な行為でこちらを侮辱してきた場合、それに対しては紳士的に、口頭もしくは文書で、しかしはっきりと抗議する以上のことをしてはなりますまい。

 例えばかつて、タリバンがバーミャンの仏教遺跡を爆破した時、仏教徒は抗議の声を上げこそしても、実力でイスラム過激派に対抗するようなことはしませんでした。
 その時のタリバンの言い草が笑えます。
 すなわち、「仏教徒のみなさん、誤解しないでください。我々は仏教徒のみなさんを誹謗中傷する気はありません。ただ、この世に必要ないものを爆破しただけです」、だそうです。

 自国や他国の国旗を焼いたり、聖典を燃やしたり、象徴的な建築物を破壊するのはテロリスト及びテロリストにシンパシーを感じる者が陥りがちな誤った行動です。
 これは互いの憎しみを憎悪化させるだけの効果しかなく、軍事行動よりも卑劣で愚かな行動というべきでしょう。

  見習うべきは、バーミャン遺跡を爆破されても大して騒ぎもしなかった仏教徒の大人な態度でしょうねぇ。

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図解 これだけは知っておきたいコーラン入門
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さみだれ

2012年05月02日 | 文学

 千葉県は朝からどんよりとした雲に覆われ、時折雨がぱらつています。

 五月雨かな、と一瞬思いましたが、五月雨は陰暦の5月、今で言うと6月後半から7月前半にふる雨のことですから、私たちの季節感でいうと、梅雨をさしているものと思われます。

 こういうことはよくあって、正月を初春などと言うと、真冬じゃぼけ、と思いますが、陰暦での正月は2月も後半ということですから、そろそろ梅が開き始めるかという頃。
 初春という表現も頷けます。

 してみると、下の藤原定家の和歌も、趣深く感じられます。

 五月雨の 月はつれなき み山より ひとりもいづる 郭公かな 

 梅雨どき、月はつれないことにその姿を見せてはくれないが、山からホトトギスの鳴き声がして、趣深く感じられる、といったほどの意でしょうか。

 では、下の蕪村の句はどうでしょうか。
 
 さみだれや 大河を前に 家二軒

 さみだれや 名もなき川の おそろしき

 梅雨どきの自然の恐ろしさを静かに暗示して秀逸です。 

 幸いにして、雨は明日までで、あさってからはよく晴れるそうです。
 明日からの4連休、後半が行楽日和と見えます。

 小さな楽しみを、しっかりと楽しみましょう。



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ウサマ・ビン・ラディン殺害から1周年

2012年05月02日 | 社会・政治

 ウサマ・ビン・ラディンが米国軍によって殺害、遺体を海に遺棄されてからちょうど1年がたちました。

 イラク戦争、アフガニスタン戦争と今も続く米国によるテロとの戦いは終結の気配を見せません。

 イラク戦争では、イラクが大量破壊兵器を隠し持っていると米英が難癖をつけて始めた戦争で、フセインがいくら大量破壊兵器など持っていない、米英との戦争は避けたいと叫んでも、やる気まんまんの米英を思いとどまらせることは不可能でした。

 終戦後、イラクに大量破壊兵器は無かったことが判明しても、米国大統領も英国首相も、反省するどころか、それでも正しい戦争だったと言い張っていましたね。

 あぁ、わが国も70数年前、同じやり方で米英の戦略にまんまと乗せられ、退くも地獄進むも地獄という状況に追い込まれて、わずかな活路を求めて真珠湾を空爆し、同時にマレー半島の英領を襲ったのですねぇ。
 国敗れ、軍事的、外交的に旧敵の言いなりになることによって経済的繁栄を手に入れたわが国。
 戦に敗れるというのはそういうことだと知ってはいても、あのような卑怯な連中と手を組み続けるのは嫌ですねぇ。


 米英のやり方は今も昔も姑息で卑怯。
 そのくせ無理めの理屈をこじつけて、正義は我にあり、と嘯いてなんの恥じらいもないのだから困ったものです。

 テロというのは姑息で卑怯な手段ですが、相手がそれに倍する悪党とあれば、なんだかテロリストが哀れに思えてきます。

 いったい、ウサマ・ビン・ラディンというのは9.11テロの本当の首謀者だったんでしょうかねぇ。

 結局ウサマ・ビン・ラディンを殺害し、サダム・フセインを処刑したからと言って、テロがなくなるはずもありません。

 過激なテロリストは生け捕りにして、終身刑務所に閉じ込め、その言い分をじっくり聞くことで、対テロ対策、さらにはイスラム過激派に対する政治的な駆け引きの材料にすべきであったろうと思わざるを得ません。

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