ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

野田総理VS小沢元代表

2012年05月30日 | 社会・政治

 今日の午前中、野田総理と小沢元代表が会談をしたそうで、そのことがたいそうなニュースになっていますね。

 同じ党の代表と元代表が会談することがニュースになること自体、民主党という政党のいびつさを表しています。

 自民党の谷垣総裁と福田元総理や森元総理が会談したからと言って、ニュースになることなどあり得ません。

 で、その会談、従来言われていたとおり、野田総理は増税と社会保障改革への理解を求め、小沢元代表はマニフェスト違反だとして拒絶したとか。
 茶番と言おうかなんと言おうか。
 普通偉い人同士が会談するときは、仮想敵国との会談でもないかぎり、事前に周到に根回しして、しゃんしゃんで終わるようにするもの。
 それをまぁ、新聞に書かれてあったとおりの展開では、国民は呆れるほかありません。
 見世物としても面白くありません。

 これで野田総理は小沢一派を無視して増税に突き進み、小沢一派は離党する、というシナリオが始まるんでしょうかねぇ。
 なんだか虚しいですねぇ。

 それにしても政治家というのは因果な商売です。
 選挙のたびに米つきバッタよろしくあっちにもこっちにも頭を下げてまわり、当選して出世しても、やることなすことマスコミから叩かれ、良いことなんてありません。

 今朝、車で出勤する途中、いつも渋滞する交差点で、どこぞの党の候補者が、旗を立てて名前がわかるようにしたうえで、ハチマキ姿でひたすら渋滞でイライラしているドライバーに向かって手を振り、頭を下げていました。

 駅前の街頭演説なら、多少なりともその人の考えを訴えることができましょうけれど、交差点で手をふったって、その人がどういう政策を実施したいのか、さっぱりわかりません。

 選挙活動の一環なんでしょうが、ほとんど滑稽に見えます。
 都内に住んでいた頃にはお目にかかったことがない、奇妙な選挙戦術です。
 衛星都市の郊外は完全な車社会なので、下手に駅前にばかり立っていたら、車通勤族の票を逃すとでも思ったんでしょうか。

 顔と名前を覚えてもらうのが第一だと思ったんでしょうが、話が逆ですね。
 ああいう顔の人がいた、と覚えてもらうより、ああいう政策の候補者がいた、と覚えてもらわなければ、投票行動に直接結びつくはずもありません。

 でもそうでもないらしいんですよねぇ。

 亡くなった私の祖母は、戦後初めて女性に参政権が与えられて以来、必ず投票しているが、顔の良い男の人に投票する、と言っていましたからねぇ。

 芸能人の人気投票みたいなもんですね。

 だからAKB48の総選挙というのは、政治の選挙をパクッたようでいて、じつは高度大衆社会における選挙の本質を突いているのかもしれません。

 畏るべし、秋元康。

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宗教の自殺

2012年05月30日 | 文学

 亡父の蔵書から、エキサイティングな対談集を読みました。
 宗教学者の山折哲雄と哲学者の梅原猛による、日本の宗教をめぐる対談集「宗教の自殺」です。

 ちょうどオウムによる蛮行が世間をにぎわせていた時期に出版されたもので、前半はオウム真理教に対する分析が語られ、後半は仏教や神道、儒教などの宗教について語られています。

 日本人にとっての善悪の問題、倫理観の問題、ニヒリズムの問題などが、広く浅く語られ、専門書のような難しさはなく、広く浅い知的な読み物に仕上がっています。

 その中で、江戸時代までは仏教・神道・儒教などが渾然一体となった日本教とでもいうべき倫理感が日本人の行動を律し、明治以降は天皇を現人神とする国家主義的な考えが日本人の道徳律となり、まがりなりにも欧米におけるキリスト教のような国民全般を律する考えがあったが、戦後はそれらが破壊され、日本人全般を律する一般的な考えがなくなってしまい、欧米におけるようなキリスト教を柱としたうえでの個人主義ではなく、無軌道な個人主義がわが国を覆い、それは今なお続いているということが、危機意識とともに語られます。

 さらには、神道の根本思想である、人間のみならず動物や植物も人間となんら変わらない世界を構成する一部であるという考え、また、日本仏教における山川草木悉皆成仏というような、人間も自然もすべて仏性を有し、仏になれるという考え、つまりは人間中心の宗教から全宇宙をも包含した古いようで新しい宗教の誕生が待たれる、と結論付けています。

 この対談集の話題はあまりに多岐にわたるため、その内容を詳細に紹介することはできませんが、概ね上のようなことが眼目であったかと思います。

 そしてまた、この対談集を通して、私は亡父と対談していました。
 この本が出版された1995年当時、17年前、50代半ばで、宗門の中で出世街道をひた走っていた亡父は、どういう思いでこの対談集に接したたのでしょうね。

 父は日蓮宗の坊主でしたから、私が読み取る以上に深い意味合いをこの本から学びながら、それでいて懐疑的な視点を失っていなかったのではないかと思います。
 私はただエキサイトしながら知的ゲームを楽しむ感覚でしたが、読書している間ずっと、亡父は私のそのような態度をいさめ続けたように感じます。

 学ぶな、批判しろ、というように。

 亡き父との対話を楽しませてくれた、優れた対談集であったように思います。 

宗教の自殺―日本人の新しい信仰を求めて
梅原 猛,山折 哲雄
PHP研究所

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