9月11日金曜日は朝から時分のニュースを作成し、印刷して販売店に届けた。
その日、天気がよかったので、作業後、順調なら「伊吹山」に山の花を見に行こうかと考えていた。
昼過ぎに済んだので、出かけた。
◆トリカブトに満足/ヘブンスそのはら /御岳/伊吹山
伊吹山の頂上をぐるっと回って花を見て、車に戻った夕暮れ。
西の方でヘリコプターの音がした。
夕焼けの写真などを撮ってしばらくして気がついたとき、ヘリの音は、北北東方向で小さく聞こえた。さっきのヘリかな、と思った。
車に乗って音声だけのNHKのテレビ・ニュース。
穂高で遭難救助のヘリの墜落のニュースが飛び込んできた。
さっきのヘリはその取材の報道機関の便かと想像。
ところで、穂高岳の北側の穂高岳山荘から穂高岳までは登山者が多い。
上高地⇒涸沢(唐沢)ルートでこれるから。
新穂高など岐阜県側からもルートがあるし。
槍ヶ岳から縦走してくるルートもある。
大キレット(大切戸)という長い難所もあるから、人は少なめ。
学生のとき、4回縦走した。
そして、穂高岳から「ロバの耳」「ジャンダルム」を登って、西穂高岳へ行く人はとても少ない。
それだけ、ハードなルート、岩場の険しいルートだから。
学生のとき、槍⇒穂高⇒ジャンダルム⇒西穂高のルートを2回歩いた。
「ロバの耳」「ジャンダルム」あたりは緊張の連続。
それだけに、満足感や開放感も高い。
・・・そんな場所での救助ヘリの事故。
山の事故と救助という関係にフクザツな思いで、その後のニュースに接していた。
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●「回転翼が山に接触か」 岐阜ヘリ事故で調査官が見解
サンケイ 2009.9.12 22:58
墜落し炎上する岐阜県の防災ヘリコプター=11日午後5時10分、岐阜県高山市で共同通信社ヘリから
岐阜県防災ヘリ墜落事故の調査で現地入りした運輸安全委員会の航空事故調査官は12日夜、事故原因について「ヘリの回転翼が山のどこかに接触した可能性がある」との見解を示した。県警高山署で記者団に話した。
調査官は、同署で現場の状況について説明を受けた後、事故直後に上空から撮影した映像を分析。「ヘリ後部の回転翼の一部が折れているのが気になる」と指摘した。
調査官3人は同日午後、現場で実況見分する予定だったが、悪天候のため13日に延期。同署で目撃者などから聞き取り調査を行った。
●北ア・ヘリ墜落:霧が急に発生 岩場覆い視界悪化
毎日新聞 2009年9月12日
防災ヘリコプターが墜落した現場に残る機体のテール部分=岐阜県高山市で2009年9月11日午後、本社ヘリから大西岳彦撮影
岐阜県高山市の北アルプス奥穂高岳(3190メートル)で11日、県防災ヘリコプター「若鮎2号」が墜落し、搭乗員3人が死亡した事故で12日、現場付近で当時、急に霧が発生していたことが複数の目撃者の証言で分かった。県警捜査本部は、天候の急激な変化が事故につながった可能性もあるとみて慎重に捜査を進めている。
県警高山署によると、ヘリは事故当時、20~30メートル上空からロープを垂らしてホバリング(空中静止)。地上では山岳警備隊員らが病死した登山者の遺体の収容袋をロープで結ぶ作業をしていた。
約1キロ離れた「穂高岳山荘」から作業を見守っていた同山荘オーナー、今田英雄さん(66)によると、霧がかかって作業が見えなくなり、心配になって現場にいた支配人に携帯電話をかけた直後に事故が起きたという。今田さんは「普段から急にガスが出ることがある。通常はガスが出たらヘリは上空で待機するが、遺体をつり上げようとした瞬間にガスが出たので離れるわけにいかなかったのだろうか」と推測する。
地上で収容作業を手伝っていた山荘従業員の男性も「作業中も時折、ガスが岩場を覆って視界が悪くなった」と証言した。
◇国交省安全委、聞き取り開始
一方、国土交通省運輸安全委員会の調査官3人は12日午前10時過ぎ、県警高山署に到着。現場付近の事故直後の映像の解析や、現場にいた県警山岳警備隊員からの聞き取りを始めた。
悪天候のため、現地調査は延期される見通し。県警は同日午後、操縦士の朝倉仁さん(57)の遺体を司法解剖し、体調に異変がなかったか調べる。【秋山信一、岡大介】
●3000m級で初救助…ヘリ墜落、経験不足影響か
読売 2009年9月14日21時31分
ヘリ墜落現場に降り立つ岐阜県警捜査員。左後方に見えるのは事故機のテール部分(読売ヘリから)=立石紀和撮影
乗員3人が死亡した岐阜県防災ヘリコプターの墜落事故で、墜落した「若鮎2」と、操縦士の朝倉仁さん(57)が、標高3000メートル級の北アルプスで遭難者をつり上げる山岳救助を行った実績がないことが、県の調べでわかった。
県によると、若鮎2は1997年の運航開始以来、38件の山岳救助を実施。このうち2008年10月、乗鞍岳の2700メートル地点に着陸したのが、最も標高が高い場所での作業で、朝倉さんは副操縦士として参加した。制御が難しいホバリング(空中停止)での救助活動では、07年11月に恵那山の2100メートルで実施したのが最も高い地点だった。この時は朝倉さんが操縦士を務めた。
標高が高い山岳地帯では、急激な天候の変化や気圧の低下でヘリの性能が下がるため、豊富な経験が必要とされる。県は今回、同機を出動させたことが適切だったか判断するため、出動経緯の把握を急いでいる。
一方、岐阜県警は14日、事故後初めて捜査員約10人が墜落現場に降りて機体の残骸などの実況見分を行った。この日は事故当時、現場で救助活動をしていた高山署員も同行し、墜落状況を説明した。
また、運輸安全委員会も、事故機が接触した「ロバの耳」といわれる岩場を上空から視察。調査官らは岩場に約15メートルまで近づいたが、事故の痕跡は確認できなかったという。
●高山の防災ヘリ墜落:出動、5年前の3倍 過去最多215回--08年度 /岐阜
毎日新聞 2009年9月13日 地方版
◇異例の2機体制で対処
山岳救助に向かった3人が死亡する惨事となった北アルプス奥穂高岳・通称「ロバの耳」で起きた県防災ヘリ「若鮎2号」の墜落事故。08年度の県防災ヘリの出動件数は過去最多の215回に達し、5年前の3倍近くになっていた。今回の事故は、登山者の救出のためなどで山間部への出動件数が増えている中で起こった。【山田尚弘】
県防災ヘリは、救急(転院)、救助、消火活動のほか、訓練の災害予防対策活動などで出動する。
県防災航空隊が発足した94年に、「若鮎1号」(川崎式BK117B-2、定員10人)が導入され、97年4月には今回墜落した「若鮎2号」(ベル式412型EP、定員15人)も導入され、全国的にも珍しい2機体制となった。
岐阜は山間部や河川地帯が多く、機動性のあるヘリは山岳遭難や豪雨災害で威力を発揮するため、出動件数も年々増えてきた。08年度は2機で215回、計190時間を運航。中でも捜索救助活動は94年の導入当時は5件だったが、ここ数年は50件程度に増え、山岳での捜索救助も増えている。
県防災課によると、2機が持つ機能に基本的な違いはないが、2号の方がエンジン性能が高く、標高が高い場所でも飛行できるという。2号は今回亡くなった操縦士の朝倉仁さんが専従で運航していた。2号の山岳での捜索救助活動は08年度は6件、今年度は11日の出動も含めて3件あった。
04年度からは、ヘリに岐阜大医学部付属病院の医師が搭乗し、交通の便が悪い地域から大規模病院に患者を搬送する「ドクターヘリ」としての運航も行っている。
他県の防災ヘリに応援要請をするための協定も近隣8県1市と結んでおり、08年度は5回出動した。
●北ア・ヘリ墜落 ロープ揺れフック外す 隊員証言 視界不良、上空で異音
中日 2009年9月13日 朝刊
岐阜県高山市の北アルプス奥穂高岳付近で人命救助中だった県防災ヘリコプター「若鮎(わかあゆ)2」が墜落し乗員三人が死亡した事故で、ヘリから降下して遭難者を救助していた県防災航空隊主任の土田裕次さん(36)が、ヘリが墜落する直前、大きな異音がしてヘリと自分を結んでいたロープが大きく揺れたため危険を感じとっさにロープのフックを外し、間一髪で難を逃れていたことが分かった。
県防災課の荻山博之課長が十二日、同県各務原市の県防災航空センターで会見し、土田さんから聞き取りした内容を明らかにした。
荻山課長によると、土田さんは同乗していた県警山岳警備隊員(36)と、遭難者から約十メートルほど低い地点にロープで降下。この時点で天候は良好で、山の稜線(りょうせん)も目視できたという。
土田さんらは岩場に設置された登山用の鎖を登り、遭難者に救助用具を装着。ヘリは上空にいったん待避していたが、無線連絡を受けて現場に降下し、ホバリング(空中静止)しながらロープを下ろした。
この時、付近はもやが流れる状態で、視界は不良に。ロープを救助用具の金具などに通し、自分の胸元のフックに固定するのとほぼ同時に、上空で「バン」という大きな音が聞こえ、顔を上げると、もやの中でヘリの機体が横向きになったように見えたという。
その直後にヘリと自分たちを結ぶロープが「左右に暴れるように揺れた」といい、土田さんはとっさに胸元のフックを外し、ヘリとともに自分と遭難者が落下するのを免れた。墜落の瞬間は目撃しなかったという。
県警と運輸安全委員会は十三日に天候が良ければ現場で実況見分を行う予定。
●ヘリ部品散乱、激しい衝撃物語る 墜落現場ルポ
岐阜 2009年09月16日09:01
切り立った岩場に引っ掛かるようにして落下を免れた「若鮎2」のテール部分=15日午後、高山市奥飛騨温泉郷神坂
【ひだ高山総局・国枝拓】がれきの登山道の先を急ぐと足元に化学繊維片が目立ち始めた。墜落した県防災ヘリ「若鮎2」の機体の一部か。さらに進むと、一帯にはガラス片や金属片が散乱し、現場を直感した。飛騨側から長野県側へ尾根を越えると、事故機の巨大なテール部分(尾部)が冷たい雨に打たれ、横たわっているのが見えた。15日、墜落現場の奥穂高岳近くの岩場「ロバの耳」へ向かった。そこには、救助中だったヘリが墜落し、3人の乗員の尊い命が奪われたあまりに悲惨な事故現場があった。
同日早朝、同市奥飛騨温泉神坂の新穂高登山口を出発。樹林帯やがれきの斜面を登ること7時間、事故現場に最も近い山荘「穂高岳山荘」に到着した。
小休止の後、墜落現場へ向かった。山荘から現場までは約2時間。濃霧のため、視界は数十メートルしかないが、霧の切れ間から、切り立った岩山が突然姿を現す。想像以上に険しい地形に身がすくんだ。
事故機のものとみられる部品は、「ロバの耳」北側の飛騨側斜面約20メートル四方に特に散乱していた。ガラスや金属、樹脂片などが墜落時の激しい衝撃を物語る。テールが折れたヘリは制御を失って機体を粉々にしながら落ちていったのか。濃霧が吹き上がる現場で合掌した。
岩峰に載ったテール部分は、これまでに報道された空撮写真、映像で見た時は小さく見えたが、目の前にある実物は巨大なヘリの一部分だった。上下逆さまのままのテールは前日に現場入りした捜査員が縛った数本のロープで、岩に引っ掛けるようにして固定されていた。
その切断面は、折れたように見え、裏側には、緑や白のペイントで施された岐阜県のロゴマークがはっきりと確認できた。濃い霧のため、墜落したヘリが炎上したはるか下方の現場は確認できない。
事故発生から5日。現場には生々しい惨状が広がっていた。
●岐阜県ヘリ墜落:県警の中止要請伝えず 防災航空センター
毎日新聞 2009年9月26日 2時07分
3人が死亡した北アルプスでの岐阜県防災ヘリコプター墜落事故で、岐阜県は25日記者会見し、出動の経緯を明らかにした。県防災ヘリは、県警から離陸を待つよう要請があったにもかかわらず出動。離陸後も県は、危険なので引き返すようにと働きかけられながら、現場の地形の険しさを十分に認識していなかったため、飛行中の操縦士に県警の要請を伝えず、引き返しの指示もしていなかった。
岐阜県の武藤鉄弘総務部長によると、救助要請が入った県防災航空センターは、県警航空隊に、操縦士を1人派遣してほしいと要請した。県警側は、当時操縦士が2人しかおらず、1人を派遣すると、救助経験が豊富な県警ヘリを運用できなくなるため、「待ってほしい」と回答した。
しかし、防災航空センターは「一刻一秒を争う」「県警ヘリでの対応は時間がかかる」と判断、墜落した「若鮎2」の出動を決定。県警航空隊は、出動準備をしていた「若鮎2」に離陸を待つように要請した。しかし、「若鮎2」の操縦士は「高山市消防本部から正式な要請書が来ているから待てません」と答え離陸したという。
離陸後も高山署は「現場は危険。県警ヘリで対応させてほしい」と防災航空センターに電話をしたが、センターは「既に離陸した。活動の可否は、現場の状況で機長が判断する」と回答。県警航空隊からも県防災課へ「操縦士を戻した方がよい」などと働きかけたが、県警側からの要請などを、県防災課は飛行中の操縦士や防災航空センターに伝えていなかった。
県防災ヘリは、3000メートル級の山岳地帯で救助経験がなかったことが判明している。
武藤総務部長は「経験の長い操縦士であったため、救助活動が無理な状況ならば、現場で判断すると、防災航空センターは考えていた。現場の地形の険しさの認識も十分でなかった。ただ、今回の出動については、(現行の)要綱要領に従って問題はなかった。操縦士に(情報を)逐一報告をすると定めたマニュアルはない。伝えなかったことについて問題があったかどうか、検討する」と語った。【石山絵歩】
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