●笹井芳樹の陥穽 - Nature論文リバイズを「企画」した責任者は誰なのか
世に倦む日日 2014-04-17
・・・・・・・(略)・・・
笹井芳樹は、論文のプロジェクトを4段階の工程に分ける論法を巧妙に示し、自分は論文を仕上げる最終段階に加わっただけで、それも、若山照彦やバカンティに依頼されての立場だったと言い、不正(捏造、改竄)に関わる自分の責任を言い逃れた。しかし、この自己正当化の主張は根本的に間違っている。笹井芳樹が示した4工程とは、(1)着想や企画、(2)実験、(3)データ解析と図表作成、(4)文章の構成執筆で、自らは(1)-(3)には関与せず、(4)だけに参加したと言い、責任は小さいと強調した。これは詭弁である。そうではない。逆だ。いわゆるNature論文、2013年に投稿して掲載された2本目のarticleこそ、まさに笹井芳樹が前面に出て構想・設計されたものであり、すなわち論文の企画責任者として指さされるべき主役は笹井芳樹なのだ。笹井芳樹が会見で説明したように、この2013年の論文はリバイズである。2012年に小保方晴子と若山照彦の共著でNatureに投稿し、審査で落ちて不掲載になったものを、笹井芳樹が構成を練り直し、論理を説得的に詰め、完成度を上げたものに他ならない。だから、(2)の実験や(3)のデータ解析と図表については、基本的に最初の落選論文と同じものが使われていて、そのため、笹井芳樹の「ノータッチ」の言い分が通るのである。だが、この論法にこそ笹井芳樹の陥穽があり、(2)と(3)は小保方晴子と若山照彦の責任に帰すことができても、(1)の論文企画についてはそうは言えない。2012年の論文と2013年の論文とは違う。企画が違う。
2013年の論文は、2012年に落選した論文の不備を埋め、審査に合格するべく体裁を整え、より強力に理論武装した論文だ。その目的は、この論文をNatureに載せ、大々的な成功を演出してSTAP細胞を理研の事業の柱に据え、「成長戦略」の重点政策の目玉に指定してもらうことである。そして、ライバルである山中伸弥のIPS細胞を凌駕し、山中伸弥にリベンジすることだった。それが、この2013年のNature論文の目的であり、書き直して新規に提出した真の狙いである。2012年の論文と2013年の論文では、実験とデータは同じでも、その企画は全く違うものだ。2本目の論文は、まさに笹井芳樹が企画・構想したものである。だから、文章も笹井芳樹が構成・執筆した。笹井芳樹の参加で箔が付き、論文が洗練され格調高い作品になったからこそ、科学的には同じ中味の実験と結論でも、前回は「細胞生物学を愚弄している」と言われて審査で落とされ、今回は合格して晴れてNatureのお墨付きという成果を得たのである。前回(2012年)の不合格論文に同じ捏造があったかは定かでないが、本来、この論文は前回と同じく、「科学を愚弄している」と辛辣に批評され却下されて当然だった。データや図表をチェックしなかったという笹井芳樹の言い訳が事実であれば、その理由は、(1)の企画の思惑が先行して、功名と嫉妬だけの動機で筆を走らせたからである。要するに、この2013年の論文は(1)の企画こそが全てで、俗物官僚の笹井芳樹がNatureという目標だけのために一心不乱で書き上げたものだ。
今後、笹井芳樹はどうなるのだろう。笹井芳樹という存在は、この事件の構図の中では最も人気のない人物で、小保方晴子に対する批判派からも、擁護派からも、両方から叩かれている男だ。笹井芳樹に対する同情論はない。笹井芳樹の世間の評価は、「STAP細胞」のあるなしと関係なく、それ以前の、山中伸弥に対する醜い嫉妬という図で確定している。この像は揺るぎない。この事件で、今後どれほど多くの情報が出ても、また時間が経っても、笹井芳樹による山中伸弥に対する嫉妬とそれによる失敗という印象が拭われることはないだろう。この事件のドラマの核心的要素の一つである。このイメージを打ち破るのは困難だ。先のことを考えたとき、あのような開き直り会見がよくできるものだと、その人格と心理に信じられない感触を覚える。理研は、この会見にバカ官僚の米倉実を同席させ、記者に抗弁する笹井芳樹を尊重し擁護するような姿勢を見せていた。笹井芳樹の責任逃れの言い分とか笹井芳樹の「STAP細胞あるある」論を、理研はそのまま認めるつもりなのだろうか。笹井芳樹への処分は無しだろうか。施設内のフリーザーに保存しているマウスの細胞の遺伝子を調査することもせず、笹井芳樹に奔放に喋らせ、国民の怒りを増幅させ、理研は一体何を考えているのか。
・・・・・・・・・・・・・(略)・・・ |