さて前述の通り、日本の模型作り文化に大打撃を与えた悪しき存在としての先入観で見に行った海洋堂の展示会だったわけですが、その展示内容は入り口の展示室こそ近年の食玩アイテムの一覧展示でしたが、食玩ブーム以前、模型店からガレージキットメーカーへと成長する過程の紹介や作品群の展示に多くのスペースが取られていました。
模型店時代の海洋堂は小さな店ながら商売熱心さが伺えますし、70年代からすでにプラモデルの将来の在り方、模型のアート性を模索していたようです。
81年にガレージキットの工房を設置し、4年後にはプラモデルの取り扱いをやめガレージキット販売に専念したとあります。この時代のうねりを感じますね。
当時、私は模型の世界から離れていましたので、この頃の時代の空気を肌で感じていたわけではないのですが、提示資料などから自作モデルを作れる製作者の喜びやこの時代の熱気が伝わってきて、何だか感動さえありました。
私もガンダムの初期のファンの一人でしたし、既成のメーカー品の模型では満足しきれず自作への憧れを持った記憶があるものですから…
特撮もののリアルな模型や、本来2次元のアニメ・キャラの3次元化など、自由な製作で高度な完成品が作られ、そのキットや完成品がまた情熱的に受け入れられる、そんな模型好きにとって夢のような世界が実現していったのが、80年代だったのですね。
ちょうどバブルと重なり、趣味にかけるお金の潤沢だったこの時代に模型の世界は大きく様変わりしたようです。カーモデル、特に43に関してもこの時代にレジン・メタルキットが長足の進歩を遂げましたから、それは私の視点からも想像がつきます。
さてそのような見ごたえある展示品を見た後に、順路を逆にたどって食玩アイテムの展示場に戻りますと、何だか初めの先入観とは違う見方でこれらを見る事が出来ました。
模型作りに熱を上げる人達が、ガレージキットというパーソナル性の強い模型文化を作り上げ、熱狂のうちに90年代を過ごし、その90年代の終わりに食玩ブームを巻き起こした…
そう考えると、模型を取り巻く環境は必然的に新しいステージに突入したのだ、と言う事を実感しました。
少数のマニアだけでなく、不特定多数のマジョリティーを巻き込む食玩。模型文化が市民権を獲得し、美術館で展示される時代。その一方で、さらなる模型の可能性の追求が今日もなされています。
よく、資本主義の市場原理やテクノロジー依存に陥ると文化はダメになると言われますが、こういった時代の潮流は一時的にその文化を減速させたりすることはあるかも知れません。が、そこに作り手達の情熱が残っている限り、また新しい流れが起こり、その文化は洗練されていくのかも知れません。
今、私は43カーモデルを楽しむ一人として模型の世界に浸っていますし、この世界で今も情熱を傾ける多くの人達を知っています。
43カーモデルも食玩ブームの影響を免れず、廉価で高品質な完成品が幅を利かせる状況は同じですが、おかげでこの世界も市民権を獲得しアマチュアビルドの世界にもまた新しい未来が展開することを信じて、もう少しこの趣味を続けていくのも悪くないなと、改めて考え直す機会になりました。