goo blog サービス終了のお知らせ 

気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

作られた精神より、みぞおちの弛んだからだ

2019-02-09 07:59:16 | 「立つ」健康法
 「健全な精神」とは、どういう精神を言うのだろうか。逆境に負けないたくましい精神を言うのだろうか。よく「精神を養う」「精神を鍛える」などと聞くが、どうも私は好きになれない。何となく無理して自分を変えようとしているように思えるからだ。
 からだのためには「その人らしい」精神でいることが良い。人はそれぞれ性格が異なり、行動に早い遅いがあり、大胆・繊細がある。「その人らしさ」も違って当然で、気の弱い人が強い人を羨んだり、自分を卑下する必要もない。仕事でも人との付き合いでも、自分らしくいられないと疲れるものだ。場合によってはそれは大変な苦痛である。
 自分に「合う」か「合わない」かは、みぞおちで分かる。みぞおちが硬くなっていれば、合わないことをしているのである。みぞおちが硬くなれば、全身のバランスだけでなく、自分らしさも失う。見せかけの屈強な身心を持ち、他人に評価されたとしても、その不自然さはみぞおちには現れる。からだを悪くしてまで、合わない理想を目指す必要性はないのではなかろうか。
 社会生活を営む以上、誰でも多かれ少なかれ合わないことがあり、みぞおちが硬くなる可能性はある。時々みぞおちを弛めると良い。私は日々キチンと「立つ」ことで、みぞおちを弛め、バランス(自分らしさ)を取り戻している。
 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« からだの形と実感 | トップ | 「ながら族」にはなれない »
最新の画像もっと見る