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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「ながら族」にはなれない

2019-02-16 09:24:18 | 
 先日生徒と話していて、「先生は【ながら族】ではないんですね」と言われた。考えたことはなかったが、そうかも知れない。食べながら(つまみながら)テレビを見ることはないし、携帯音楽プレーヤーも持っていない。誰かと食事をしながら話をすることもあるが、興味のほとんどは話にあり、料理に意識がいかないことも多々ある。そういえば数年前にホテルのバイキングで行われた同窓会では、話に夢中になって一皿しか食べなかったことに後になって気がついた。少々残念なこともあるが仕方がない。
 一つのことに「集中する」ということは、私にとって快感である。食事に関心が無いわけではなく、話の方に関心が行ってしまうのである。太極拳の教室でBGMとしていろいろな音楽をかけるが、レッスン中はほとんど耳に入って来ない。クラシックもストーンズもボブ・マリーも私にとっては同じなのである(生徒には時々太極拳にその音楽が合うとか合わないとか言われることがあるが)。
 酒を飲みながら音楽を聴くことがあるが、分析してみると、酒と音楽を同時に味わってはいない。音楽を楽しんでいる中で、酒を飲むときには(音楽を忘れて)、酒だけを味わっているのである。わずかな時間音楽から意識を放して、再び音楽に戻っているのである。これでも十分音楽を楽しむことができる。
 他の人は会話と料理、酒と音楽をどのようにこなしているのだろうか。意識を半々に分けて、それぞれに対する感覚を薄めることなく同時に楽しむことなどできるのだろうか。




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